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繭の中-30-

「…リド……て…さい…」  揺さぶられ、深く沈み込んでいた意識が浮上する。 「ジェリド。起きて下さい」  重い瞼を開けるとガラス玉の様な紫水晶《アメジスト》色の瞳が覗き込んでいた。 「ジェリド」  再度呼びかけられ、慌てて起き上がり状況把握の為に辺りを見回す。  手には手錠が嵌められ、見慣れない卵型のベッドの上でイグルと二人きり。  ハッキリしない頭を必死に動かし、思い出す。  ――確か……起きていてもやる事ないって、横になったんだっけ…?  ――何時の間にか寝ちまったのか?  仮眠を取るだけのつもりが、熟睡してしまったらしい。  気力体力魔力が回復する術具だと聞いていたが、安眠効果もあったのだろうと未だに重い頭を振る。 「お前、ずっと起きていたのか?」 「いえ、空気の異常を感じて今起きたところです」 「空気の異常?」  言われ、ジェリドは臭いを嗅ぐがこれと言った異臭は無く、特に酸素の薄さも感じない。  言葉の意味を尋ねるようにイグルの顔を見ると、共有できない感覚をどう説明していいか考え、そして。 「胸騒ぎを覚えませんか?」  小首を傾げるジェリドにイグルは言葉を変えて再度問う。 「静か過ぎると思いませんか?」 「へっ?」 「そこの時計が確かなら今は三時です。小等部は勿論、高等部も下校する時間です。ですが、人が動いている気配がありません」  見れば、壁に掛かった時計の短針は三時を指していた。イグルの言葉を確かめる様に辺りの気配を慎重に探るが、人の動く気配どころか生き物の気配すらしない。  ――ジャック先輩!  慌ててベッドから飛び出そうとするジェリドを手錠の鎖を引いてイグルは押し止める。 「痛ってぇな! 何すんだよ!」 「ここから出ない方がいい」 「はぁ?」 「私達が動けるのはこの術具が結界の役目を果たしているお陰かも知れません。状況が分からない状態で無闇に動いてはいけません」 「……確かに、そうだな」  ジェリドは崩れた体制を整える。 「ベッドからは出ない。保健室《ここ》に俺達以外居ないのか確認するだけだ。邪魔するなよ」  イグルが頷くのを確認し、ジェリドは慎重に屋根の三分の一が斜めに切断されたような卵型のベッドの端から身を乗り出して室内を窺う。  ベッドから見て右斜め前。入り口の正面に設置された養護教諭用の席にジャックは居た。  外傷は見当たらないが上半身を机に上半身を預け、両手をだらりと垂らしている。  僅かにだが胸が上下している事から呼吸しているのは確かだ。  生きてはいる。  そっと胸を撫で下ろすが、気配が感じられないほどに衰弱しているのだと緊張が走る。  何とかしてジャックをこのベッドへ移す手立てはないかと考えていると、サラサラと水が零れるように自分の中から魔力が流れ出ていくのを感じ、ジェリドはベッドの中へと身を戻した。 「誰かが魔力収奪の術式を発動させている」 「魔力収奪?」 「聞いてその名の通り強制的に魔力を奪い取る術式だ。実技訓練の時に一度体験しただけだが、魔力が奪われる感じが同じだ」  だから人の気配が感じ取れ無いのだと納得する。  魔力は身体の基本物質である気《き》血《けつ》津液《しんえき》を元に魔力核が精製するものだ。  魔力が枯渇すれば魔力核は魔力精製の為に気血津液を消耗する。  通常であれば魔力精製のコントロールはある程度可能な為、生命に危険を及ぼす事は無いが、魔力収奪の術式は本人の意思など無視し、命が尽きるまで毟り取り続ける。 「人の滅多に来ない保健室にだけ術式を施すなんてバカなまねする奴は居無い。確実に他の場所にも張られている。人の気配が感じられないのはその所為だろう」  手遅れになる前にジャックを救出せねばと気が逸るが、ベッドから出る事も出来ない。  どうしたものかと思案しているとイグルが口を開いた。 「術式はとても不安定な物だと認識しています。術師のレベルが高ければ高い程に省略は可能ですが、固定式の物は正しく紡がれて初めて発動します」 「何だ、行き成り。基礎のおさらいか?」 「今発動している術式は固定式か否か分かりますか?」 「読めば分かるかもしれないけど……」 「読んで下さい」 「簡単に言うんじゃねーよ。読むって事はその術式に触れるって事だ。魔力収奪の術式だぞ。触れたらどうなるかぐらい分かるだろうが」 「魔力不足で倒れる事を懸念しているのでしたら、問題ありません」 「あ?」 「私の魔力を提供します」 「あのな。お前が倒れたら同じ事だろうが」 「私は魔術師としては経験が浅く知識もありません。ですが、魔法使いに認められる程の魔力はあります」  どうぞと手を差し出されジェリドは躊躇するが、悩む時間は無いと人差し指から薬指までの三本の指を口に納めた。  身体を直結する事でイグルの魔力管をトレースし、自身の魔力管と繋ぎ合わせて行く。  自分のものとは明らかに異なる魔力が流れ込み、あまりの気持ち悪さについ指に歯を立ててしまった。申し訳なく思いイグルへ視線を向けるが、イグルは眉一つ動かさずにジェリドを見ているだけだった。  重く濃厚な魔力を取り込み続けていると限界を感じ、口に納めていた指を吐き出した。 「もういいのですか?」 「ああ」 「でしたら読んで下さい」 「言われなくってもやるよ」  ジェリドはベッドから乗り出し手を伸ばし床に触れる寸前で止まった。 「もしも、俺がぶっ壊れて邪魔になるようなら腕を切り落としていい。お前だけでも脱出しろよ」 「言われなくてもそのつもりです」 「本当にムカツク奴だな」  舌打ちし、そのまま床に手を置いた。張られている術式をトレースすると同時に魔力が吸い取られて行く。  引き摺り込まれるような感覚に歯を食い縛り堪えていると、身体を侵食するように膨大な情報が流れ込み、心臓は跳ね上がり血流量は増し、全身の毛穴が開き汗が流れ落ちる。  上位魔術師が張ったであろう術式は低位の魔術師であるジェリドの身体には負荷がが大き過ぎた。  脳が揺さぶられ視界がぶれる。 「ッガハッ!!…」  鼻から血を噴出し、ギシギシと軋む様な痛みに堪えるが痙攣が始まり姿勢を保てなくなる。ベッドから崩れ落ちようとするジェリドの身体をイグルは掴み、ベッドの中へと引き戻した。  電流を流されたように身体を震わせ、大量の鼻血を流すジェリドの鼻をベッドのシーツで拭っていると、震えたままの手が流れるような銀色の髪を掴んだ。  目の焦点は合っておらず、無意識の行動だろう。  銀色の髪を引き寄せると酸素を求めるように、水を求めるように、命にしがみ付く様に、イグルの唇に吸い付くと、必死に魔力を奪い取る。  力の加減もなく荒々しく扱われてもイグルは振り払う事をせずにそのまま受け入れていると、標準値まで魔力が回復したのか、瞳に正気が戻った。  焦点が合わないほど近い他人の顔と生々しい唇の感触にジェリドは慌てふためき掴んでいた髪を離し、イグルを突き飛ばした。 「なっ! 何やってんだよお前!」 「私は何もしていません。行動を起こしたのは貴方です」 「はぁ?」  そんなバカなと否定するものの、こんな事でイグルが嘘を吐くとも思えず押し黙る。  真偽の程を窺うようにイグルを見るが、感情の見えない表情は冷たいほど静かだったが、先程まで綺麗に整っていた髪が荒れているのに気付き、自身の手を見れば銀色の髪が何本も絡み付いている事に愕然とした。 「まっ…マジか? わっ、悪い……」  気まずさから謝るが、イグルはそれを流した。 「そんな事より読めましたか?」 「あっ…ああ。全部じゃないけど、固定式だって事は確かだ」 「そうですか」 「そんな事分かったからって、どうなるもんでもねーだろ」 「そうでもありません。魔術師が近くに居るのであれば破る事は出来ませんが、固定式なら魔術師は離れた場所に居る可能性が高い。修正される事がないのなら何とかなるはずです」 「はずって……」 「固定式の術式は正確である事が絶対条件です。僅かでも綻ばせる事が出来れば何とかなるかもしれません」 「簡単に言うんじゃねーよ。俺もお前も低位の魔術師だぞ。しかも俺は魔力がスッカラカンでお前はクソみたいな術式しか使えねーじゃねーか!」 「貴方は時間をかければ第四位の術式が扱えましたよね?」 「ああ? 四位の術式で破れる様なもんじゃねーぞ」 「一撃では無理でしょうが、何撃も当てれば傷の一つくらいは付けられるんじゃないですか?」 「だ~か~ら。俺は魔力がねーんだよ!」  差し出された手を見てジェリドは顔を顰める。 「マジか。お前は鬼畜か?」  今だ止まらない鼻血を拭い、睨みつける。 「あのな。お前のバカみたいに濃い魔力取り込んだ所為で魔力管がイカレそうなんだよ! ついでに収奪の術式を読むなんてまねした所為でオーバードライブ気味で色々吹っ飛びそうなんだよ!」 「分かっています。ですが、やってもやらなくても死ぬかもしれないのです。やって死んだ方がいいのではありませんか?」 「あ゛ぁ?」 「それに私にはどうでもいいのですが、もたもたしていると机の上で倒れている高等部の者が死ぬかもしれません」  確かにイグルの言う通りである。  言う通りなのだが、何か釈然としない。  この場を切り抜ける駒として使われている気がしてならない。  勿論イグルにそんな気はないのだろうが……。  どうにも感情の感じられない声と表情が悪い。  ギリギリと奥歯を噛み鳴らしイグルを睨む。 「お願いしますと言え」 「お願いします」  釈然としない自分を納得させる為の妥協案であったが、躊躇いなく発せられた心のない言葉にジェリドは頭を抱え喚く。 「だぁぁぁぁぁぁぁ! 全然お願いされた気がしねぇ!」 「私の言い方が気に入らないようでしたら如何様にでも言い直します。指示して下さい」 「指示とかその時点で間違えているだろうが! 言葉だけのお願いなんか意味ねーんだよ!」  ジェリドが何を言っているのか分からずイグルは困ったと言う様に目を伏せる。 「あーーもういいよ! クソッタレ。やってやる! 手ぇ寄越せ!」  差し出された手を恨めしそうに見詰め。 「死んだらお前に取り憑いてやる!」 「お好きにどうぞ」  どうでもいいと言う様なイグルの言葉にジェリドは「ムカツク!」と叫んだ。

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