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繭の中-31-
暗い視界に光が差し、焦点が合わない程に近くに有るのがイグルの顔だと理解したジェリドは思いっきり仰け反った。
そしてそのまま背中からベッドへ倒れ込むと、手錠で繋がれているイグルまでが倒れ込んで来た。
「痛っ! つーか重い!」
「不可抗力です」
また魔力不足を補う為に無意識にイグルに吸い付いてしまったのかと、自己嫌悪を覚えつつイグルを退かし起き上がると片方からだけ流れていた鼻血は両側から流れ、見れば腕は内失血の為に紫色に変色し、手の平は裂傷を起こし、血塗れだった。第四位の術式を連発した代償としては微々たる物だと、痛む両手をそっと握り締める。
術式を破る為とはいえ保健室の壁に穴を開けた以上、鬼の様な枚数の反省文を書かされるだろうと、嘆息し、立ち上がる。
「ジャック先輩回収すんぞ」
念の為、収奪の術式が機能していない事を確認し、机に倒れたままのジャックへと二人で近付く。
術式が無くなった今、ベッドまで運ぶ必要はないかと考えイグルから奪い取った魔力を分け与える為にジャックの口へ指をそっと差し込み魔力管を繋いでいく。
軽い眩暈を覚えながら魔力供給をしていると次第に青白かったジャックの顔に色が戻り、硬く閉じられていた瞳が開き睨まれる。
「…あ?」
口に指が入れられている意味が分からず、不機嫌な声を漏らすジャックにジェリドはこれまでの経緯を掻い摘んで話した。
「つまり、どっかのバカが収奪の術式を発動させ、意識不明になった俺を助ける為にお前等二人で頑張ったって事か?」
「まぁ、そんな感じ…っス…」
説明の間イグルから奪った魔力をジャックへと供給し、再び魔力不足となり傾げるジェリドの身体をジャックが支えた。
「酷ぇ状態だな。つーか、半分は俺の所為か。おい銀髪、指寄越せ」
口を大きく開けるジャックにイグルは躊躇いも無く指を差し出す。
「結構貰う事になるが平気か?」
「お好きなだけどうぞ」
「んじゃ。遠慮なく貰うな」
ジェリドを支えたままパクリとイグルの指にかぶりつき、魔力を吸い取る。
ある程度魔力を取り戻したジッャクは支えていたジェリドをイグルに渡す。
「おい。治癒してやっから、気持ち悪くても我慢しろよ」
治癒術式は多少の痛みや吐き気を伴うと魔術師なら誰しもが理解している。
何故態々そんな事を断るのだろうかと訝しんでいると、ジッャクの顔が近付いて来た。
「まっ…!」
叫ぶより早く口を塞がれ、無様な悲鳴が上がる。
「うぐっ! んっごーーーーーー!!」
魔力不足で動かない手足の代わりに声で離せと訴えるが解放しては貰えない。
憤懣を募らせながら不自由な手足が治癒術式によって癒されるのを永遠の様に思えるひと時の間、じっと待つ。
漸く身体を動かせるようになるとジェリドはジャックを突き飛ばした。
「何してんだよ!」
「だから言っただろ。気持ち悪くても我慢しろって」
「はぁ?」
「俺は戦闘専門。治癒系は苦手なんだよ。こうやって『ぶちゅ』とやんないと出来ねーの」
「だからって、ふざけるなよ!」
「うっせーな。つーか、魔術師が口と口のふれあい程度で騒ぐな」
「騒ぐわ!」
ジャックの痕跡を消すように乱暴に口を拭っていると、目付きが極悪ながらへらへらと笑みを浮かべていたジャックは表情を引き締め、真顔となる。
「あのな。これは先輩からのアドバイスだ」
「何だよ」
「野郎同士が口付けたのなんかキスにカウントするな。虚しくなるだけだ」
怖いくらい真剣な表情の割りに内容の薄いアドバイスにジェリドは言葉を失う。
「よし。それじゃあ、みんな動けるようになったつー事で次行くぞ」
「いや、待てよ!」
「うるせぇな。男が小さい事を拘るな。短小包茎か?」
「違げーよ!」
「だったらいいじゃねーか」
「よくねーよ。てか、話を摩り替えんなよ!」
「あぁ? 俺だって好きでやったんじゃねーんだよ。お互い痛み分けつー事で引けよ。面倒くせぇな」
半分キレ気味となったジャックにケツを蹴飛ばされ、不本意な治癒の件は強制的に終了となった。
ジャックは術式の痕跡を探るように保健室のいたるところを注意深く探り、それが終わると穴の開いた壁から外へと抜け出た。
すぐさま術式を紡ぎ、手の平から無数に帯状の物を出現させばら撒くとそれらが全て校舎に吸い寄せられるのを確認し、二人を手招く。
「どうやら収奪の術式が仕掛けられているのは校舎だけのようだ。出ても大丈夫だぜ」
念の為注意深く辺りを窺いながら穴から出ると、ジャックの放った物の影響で校舎に仕掛けられている術式が視覚化されていた。術式は一教室それぞれ独立したものが仕掛けられており、保健室のそれが壊された今も収奪の術式は機能したままだ。
「不味いなこりゃあ」
「止められないのか?」
「収奪の術式なんか簡単に壊せるけどよ、そういう事じゃねーよ」
「じゃあ……」
「いいか。ここは魔術師学校だぞ。魔力をふんだんに持った奴が集まる場所だ。何百と居る魔力保有者から気を失うほど魔力を奪い取るって事は、それだけ魔力を必要とするドデカイ事が起こるって事だ」
ジャックの言葉にジェリドは息を呑む。
「どうすんだよ」
「どうもしねぇよ。つーか出来ねーよ」
「そんな!」
「いいか、第一位の教師連中が動いてないんだ。それがどういう意味か分かるだろ」
事故、事件何かしらが起こった際にそれらを治めに動くはずの教師達が動いていない。
この場に居ないのか、この世に居ないのか、どちらにせよ第一位の術師達を排除する力を持った者が相手では手も足も出ない。
「俺らに出来るのは、剣術師学校《となり》の教師どもに泣き付くだけだ」
「校舎内の連中そのままにして行くのかよ!」
「俺ら三人で何百人も抱えて逃げられる訳ねーだろうが」
「けどよ!……」
「泣き付きに行っている間に死人が出るかもしれねーから、収奪の術式は壊して行く。俺に出来るのはそれくらいだ」
言葉を挟む事無くひっそりとジェリドの側に控えている白銀の少年を振り返る。
「銀髪。もう一度魔力を分けろ」
術式の仕掛けられた部屋から脱出する為に二人に魔力を分け与えていたが、部屋から出た今は魔力供給をする必要性を感じられず、答えずにいると手錠の掛かった手をジェリドに握られた。
「この場にアークが居たらどう行動するか考えろ」
考えるまでもない。
自分の主がどう行動するか容易に想像がついたイグルは返事の変わりに手をジャックへと差し出した。
魔力供給を受けたジャックは手錠で繋がれた二人に避難する様に言うが、もしもに備えて自分も同行するとジェリドが言い張る為、必然的にイグルも同行する事となり三人は校庭を挟み聳《そび》え立つ時計塔へと陣取った。
「よし。術式を破壊したら即効で剣術師学校へ向かうからな。準備しておけよ」
頷くとジェリドは杖を出現させ、飛行の術式が使えないイグルの腕を掴んだ。
ジャックは手の平から鋼の杖を出現させると術式を紡ぎだす。
「我が右手に宿りし断罪の刃よ! 浄化の炎を纏い……」
詠唱を省略しない事から高位の術式だと知れる。
「……煉獄の刃よ全ての罪を断ち切れ!」
杖を振るうと同時に無数の炎の刃が校舎へと襲い掛かり、視覚化された術式が次々と断ち切られて行く。
「よし! これでこれ以上魔力を搾られる事はないな」
その言葉にジェリドはホッと息を吐くが、すぐさま校庭に浮かび上がる術式に息を呑む。
「おい。マジか……」
赤黒い禍々しい円状の術式の中心に黒い書物が浮かび上がり、バラバラとページが開かれて行く。
ジェリドが己の杖で飛ぶよりも早くジャックが両手に二人を抱え、杖に飛び乗ると同時に開かれたページより巨大な影の一部が姿を現す。
「おい! 逃げるのかよ!」
「あったりまえだつーの! あんな訳分かんないもんと戦える程俺は強くねーんだよ!」
真っ直ぐ剣術師学校へ向かって杖を飛ばすが、強大な術式の発動に生徒の術式暴発防止に設置されている防御壁が反応し魔術師学校を包み込む。
目の前を遮るようにして出現した防御壁を回避すべくジャックは杖を急遽反転させるが、二人を抱えている為にバランスを崩し中を舞う。
ジャックの腕から離れ、ジェリドはイグルを引き寄せ腕に収めると飛行術式を発動させ中に留まり、ジャックは杖を呼び戻すとそのまま飛び乗った。
遠く離れた校庭に目を向けると、時計塔より低くはあるが全長三十メートルはある毒々しい瘴気を放つ影の姿はありありと見えた。
「クソっやられた! アレが狙いだったのかよ!」
「何なんだよアレ?」
「知るか! 俺が訊きてーわ!」
甲冑を纏った巨大な化け物の動向を注意深く探るが、化け物は微動だにしない。
「何で動かないんだ?」
「俺らみたいな小物に興味ないのかもな」
「まさか魔力不足とかか?」
「確認の為に石でも投げつけてみるか?」
「あんたにアレの反撃を凌げる自信があるならやってやるけど?」
「アホ抜かせ。んな自信ある訳ねーだろーが! 第三位の人間を舐めんな!」
そんな遣り取りをしている間も化け物は動く気配を見せない。
「おい、チビ共。一旦下りるぞ。何時アレの気が変わって攻撃してくるか分からないからな」
三人は化け物を刺激しないようにと細心の注意を払い、森の中に下り立つと、そっと岩陰に身を隠した。
「全然動かないな」
そうジェリドが零すとそれまで沈黙を守っていたイグルが口を開いた。
「もしかしたら何かを待っているのかもしれません」
「何かって何だよ」
「知りません」
「おい」
「ただ、あの化け物を発動させる為に魔力を集めていたとしたら、こんな場所で発動させるのはおかしい」
イグルの意見にジャックが同意する。
「確かにな。魔術師学校《ここ》でアホみたいな魔力を喰う術式を発動させたら防御壁で閉じ込められるのは分かりきっているしな」
「あの化け物はただの保険かもしれません」
「術式発動の糧として魔術師を逃がさない為のか?」
「もしくは人質として捕らえておきたいのかも知れません」
そう言うとイグルは唐突に術式で氷剣を出現させると手錠の掛かった腕目掛け躊躇いなく振り下ろす。
だが、剣先は白い肌に届く寸前で止められた。
「邪魔しないで下さい」
「何のまねだ!」
「この非常事態に行動を起こさない訳がありません。あの方はきっと無茶をする」
腕を掴むジェリドを非難の目で見る。
「貴方が邪魔なんです」
「はぁ?」
「貴方に付き合ってこの場に残った結果、閉じ込められました。これ以上この場に留まる訳には行きません。私はアーク様の元へ行きます」
ジェリドの腕を払い、再度剣を振り上げる。腕を切断させまいとジェリドは錠の掛かったイグルの腕を抱き込んだ。
「分かった。アークのところへ行くって言うなら一緒に行ってやる。だから手首切断しようとするんじゃねーよ! 治療術式がまともに使える人間がいないんだ。神経が上手く繋がらずに使いもんにならなくなったらどうすんだよ」
「優先されるのはアーク様の命です」
「だーーーー! だったらそのアークの命令に従えよ! あいつ、俺の言う事聞けって言ってただろうが! 腕、切断禁止! いいな!」
アークの命令だと言われれば従わない訳にもいかず、イグルは不承不承氷剣を手放しジェリドを睨んだ。
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