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繭の中-36-

 永遠にも感じる術式解除の痛みに耐える事三十分。  それは漸《ようや》く終わり、疲れたアークは隣の席からディランが立ち去る姿を最後に眠りに付いた。  どれほど経ったか、エンジン音に誘われるように意識を浮上させ重い瞼を抉じ開けると、ディランが座っていた席にイグルが座り、静かに見詰めていた。 「イ…グル」  掠《かす》れた声で呼ぶと白銀の友人は前持って用意していたらしい水差しをそっとアークの口へと差し込んだ。  乾いた喉を潤し、一息付いていると挺首へと続く扉からジェリドが現れた。 「よぉ。起きたか。丁度いいから飯にしようぜ」  見ればジェリドの手には大きなバスケットがあり、中から漂う匂いに腹の虫が鳴ってしまった。  気恥ずかしさから表情を固めているとジェリドに笑われた。  備え付けの簡易テーブルを設置し、バスケットを開くと中には色とりどりの野菜と串焼きにされた肉。卵焼きに握り飯が入っていた。  それを食べながら情報の統一化をすべく三人でこれまでの事を話、魔術師学校で何があったのかどういう経緯でチェブランカの元へ辿り着いたのかが分かった。 「それにしてもよくチェブランカから助力を得られたな」 「それは……」  ジェリドの言葉を遮るようにイグルがアークを呼んだ。 「失礼しますアーク様」 「うん?」 「ディランという男にアレイスターについて調べて貰ったのですが、報告しても宜しいでしょうか?」 「ああ、勿論だ。聞かせてくれ」  ジェリドに向けていた身体をイグルへと向けると、イグルは「失礼します」と断り報告を始めた。 「まず、アーク様が連れ去られたあの場所はカーテラス国と呼ばれていました。アレイスターの本名はアレイスター・オズド・カーテラス。カーテラス国の王太子。王と王妃そして妹や王家に連なるものの生死は確認した者がおりませんので正確な事は分かりません」  抑揚のない声は更に続ける。 「カーテラス国は閉鎖的な国で、人や物の行き来は少なく滅んだ年も理由も分からないそうです。ただ、チェブランカの手下の中にカーテラス国の生き残りがおり、その者が言うにはカーテラスは魔物の襲撃が頻繁にあり、その都度村や町一つが消滅していたそうです」 「村や町一つが頻繁にか?」 「はい。ですので、その者はカーテラス国は魔物に滅ぼされたのではないかと言っておりました」  魔物に襲われ地方の村が滅ぼされる事は稀にある。  だが、王都に魔物の侵入を許す事はない。  例え侵入があったとしても王都を守る剣術師や魔術師が速やかに排除する。  第一アレイスターは赤き魔女によって滅ぼされたと言っていた。  カーテラス国滅亡に魔物は関係ないだろう――そう結論付ける。 「これは関係ない事かも知れませんが……」 「何だ?」 「キレイだったそうです」 「は?」 「通常、魔物に襲われた場合血痕や喰い散らかしがあるものですが、その者が見た村の建物や畑には襲撃の痕跡は一切なく、ただ村人だけが消えていたそうです」 「それは、ただ単に集団疎開したとかじゃないのか?」 「分かりません。私は聞いた事をそのままお伝えするだけです」 「そうか」  魔物の襲来があると一時避難として近隣の村に身を寄せる事がある。  別段珍しい事ではない。  避難した事を知らなかった人間が勘違いしたに違いない。  思い起こしてみればアレイスターも魔物の襲撃は少なかったと言っていた。  やはりカーテラス滅亡に魔物は関係がない。  だが、それが意味するのは……。 「それから、魔道書ですが」  思考の淵から引き戻す一言に、意識をイグルへと向ける。 「カーテラスの魔道書についての情報はありません。ただ、ディランがこれまで見てきた魔道書はどれも封印の書だそうです」 「封印の書?」 「はい。複数人で紡ぐような大きな術式を一人でも展開出来るように完成した術式を封印する術具だとか。大きさや厚みで性能は違うようですが、物によっては第一位の魔術師千人に匹敵する力を持っているそうです」 「千人……」  とんでもない数に愕然とするが、人の作った物だ。何かしらの綻びがあるだろうと直ぐに立て直す。 「何か弱点はないのか?」 「所詮は道具ですので、使用者を殺せば終わるそうです」  ――殺す。  戦いの場について回るその言葉が酷く重く感じ、イグルから視線を外し俯いた。 「そうか」  一通りの話を聞き終え、顔を上げるとジェリドが何か言いたげに見詰めていた。  先程何か言いかけていた事を思い出し、話を向けるが、ジェリドは一瞬視線を彷徨わせると。 「悪い。何言おうとしてたか忘れちまった」  そう言って苦笑した。  救出され寝ている間に一晩がたった事を知り、既に上りきった朝日に照らされる雲の海を逸る気持ちで挺内の窓から見詰めた。  アレイスター自身もカーテラスからヴェグルへ戻るのに同じだけの時間がかかるはず。到着の時間が数時間違うだけだ。人質となっているのは魔術師学校の生徒。殆どが貴族の子供だ。国も慎重に対応しているに違いない。膠着状態が続いていればまだ助けられるかもしれない。  ――間に合ってくれ!  そう願うようにドレスを握り締めた。 「私の着ているものと交換いたしますか?」  突如イグルに問われ、握り締めていたドレスを放した。 「私は女物の衣服に慣れていますが、アーク様はそうではないでしょう?」  確かに裾の長いドレスは脚にまとわり付くようで気持ちが悪い。  提案通り服を交換してもらおうと立ち上がるが、ふとアレイスターの言葉を思い出した。 『君にその格好《すがた》で止めて貰えたら』  妹に似た格好でいれば説得にも役立つかもしれない。  そう思い、アークは申し出を断り席に座り直すと窓へ再び目を向けた。  雲の切れ間から僅かに地上が見え、ヴェグル国だろうかと目を凝らしていると、通路を挟んだ向こう側の席で爆睡していたヘルシングが飛び起きる。 「キタ! キタキタキタキタキタキタキタキタキタァ!!」  その叫びに呼応するように飛空挺は高度を下げて行く。  白い煙を霧散させるように雲を掻き分けて行くと青く広大な海が現れ、その上には見覚えのある地形が広がっていた。  ジオラマのように小さく見える国の四方八方から黒煙が上っており、戦いの口火が切られた事は明らかだった。  逸る気持ちを沈めるように胸を押さえていると、それまで何処かへ姿を消していたディランが挺尾側の扉から現れた。 「さぁ。戦いの時間だ。具合が悪かったり覚悟が決まらない子はこのまま飛空挺に残る事。死ぬ覚悟が決まっている子はおいちゃんに付いて来てね」  そう言われ興奮気味のヘルシングはすぐさま駆け寄った。 「君はどうでもいいよ」  追い払うように手を振るが、ヘルシングはそれを無視しディランの横を歩く。 「どうでもいい事ないだろうが」 「まぁ、虫除けくらいには使えるかなぁ」 「虫除けだぁあ!?」  二人がどうでもいいやり取りをしている後ろを少年三人は付いて歩き、階段を下りて行くと格納庫へと着いた。  少年三人が見た事が見た事もない形状の物体が中央に堂々と置かれていた。  全長六メートル程のそれは馬車にも見えるが、車輪は小さく何より馬がいない。  前後左右に大きな窓があり、中を覗くと大人が優に二人は座れる座席が三列同じ方へ向いて並んでいる。 「何だコレ?」  その場にいる全員の心の声をヘルシングが代弁した。  するとディランは目を輝かせ説明した。 「おいちゃんが作った空飛ぶ箱《コーチ》だ!」 「は?」 「まぁまぁ、いいから乗りなさい」  困惑している四人を余所にディランは扉を開き中へ乗り込んだ。  乗れと言われれば乗るしかない四人は気が進まないながらも、ヘルシングはディランの隣へ。少年三人は真ん中の座席に乗り込んだ。 「皆、座席にあるベルト締めるんだよ」  言われて座席に備え付けられている帯状のもので身体を固定させていると、飛空挺の格納庫のハッチが開かれて行く。  浮き浮きと遠足前の子供のように円状のハンドルを握り締めているディランにヘルシングは不審げな声で訊ねる。 「これマジで飛ぶのかよ?」 「魔術師が箒や杖を使って飛ぶのと同じだよ。そんなに心配しなくてもちゃんと飛ぶよ。理論的にはね」 「今、なんて言った?」  質問の答えより先にコーチが動き出す。 「理論的にって何だよ」 「ほら、バタバタしてたからね。テスト飛行まだなんだよね」  その言葉に後ろの席に並んで座った三人は慌ててベルトを外そうと藻掻くが、慌てている為か外れない。 「ふざけんな!」  ヘルシングがディランの胸倉を掴むと同時にコーチが傾いた。 「待っ…!?」 「舌噛まないようにね」  その注意勧告を最後に空飛ぶ箱《コーチ》は飛空挺から滑り落ちた。  コーチは飛んでいなかった。  運転席から地上に向かってただ落ちていた。  風撃の術式を正面から受けているかのような重力の衝撃に耐えながら喋る事の出来ないジェリドは最小限のジェスチャーのみで『いざという時は俺が風撃の術式で助ける』と伝えれば、真ん中に座ったアークとその向こうに座るイグルは顔を引き攣らせながらなんとか頷く。  少年三人が墜落回避の算段をつけている一方。命がかかったこの状況を気に入ったヘルシングは楽しそうに叫んでいた。 「ヒャッハァぁぁぁぁぁぁぁ! 最高! マジ最高!!」  その隣でディランは「あれ? おかしいな?」などと怖い独り言を零している。  少年三人は必死にベルトの繋ぎ目と格闘している間にも地面は迫る。  もの凄い重力の支配され思うように動けない中で甲殻鎧の剣を使うのは躊躇われたが、このままでは本当に墜落してしまう。多少の怪我を覚悟して剣を精製し、ジェリドのベルトを切り離している間にも森の木々が眼前に迫る。  ベルトから解放されたジェリドは衝撃吸収の為にと術式を紡ごうとするが、風撃の術式を紡ぎ終わるより早く、コーチが急上昇した。 「あー……、引くレバー間違えてた」  とんでもない独り言に誰一人突っ込む事が出来ず、急上昇による重力に座席に押しつぶされそうになりながらそれに耐えているとコーチは一回転し、機体を立て直すと水平飛行へ戻り森の木々を撫でるように突き進む。  森を超えれば農村地帯となりその先は地方都市となる。更に進めば中央都市だ。  地方都市はまだしも中央都市に入るには検閲がある。  水平飛行となり重力が和らいだ事でどうにか喋れるようになったアークはどうするのかと問うと、ディランは軽い口調で答えた。 「アークくんおいちゃんの事何だと思っているのかな? おいちゃんこう見えてもマフィアの一員だよ。検閲なんかまともに受ける訳ないじゃないか。強行突破だよ」  予想していた答えに「はぁ」と溜息にも似た返事が零れる。 「それに都市が非常事態な時に暢気に検閲なんかしていないよ」  中央都市へ続く門の正面に着けば、高さ三十メートルの門は全開放となっていた。ディランの言葉の通り地方都市へ逃げようとする人や馬車で混雑し、検閲が出来る状態になかった。  風圧で人を飛ばしては行けないとコーチを減速させ、溢れかえる人の上を飛んで居ると門番の制服を着た人間が光を持って信号を送ってきた。 「停止せよと言ってますが……」  念の為、アークはディランに知らせるが、ディランは「そうだね~」と言うだけで停止命令を無視しそのまま飛行を続けていると、前方に黒い影が蠢いているのが見えた。 「何であんな所に影がいるんだよ」 「あれは君達が見た化け物と同じ物なのか?」 「ここからじゃ分かんねーよ。なぁ、イグル」 「そうですね」  少年三人のやり取りを聞きディランは提案する。 「どうせ通り道だし行ってみよう。そうすれば分かるだろうからね」  逃げ惑う市民の空飛ぶ物体に対する困惑と恐怖の視線を置き去りに、街を突き進むと漸く朧げだった影が鮮明となった。  影が聳《そび》え立つそこは街外れに幾つか設けられた騎士団の駐屯地だった。  騎士団が常に演習出来るようにと作られた広いグランドを占領しているのは毒々しい瘴気を放つ全長三十メートルの甲冑を着た化け物だった。  その化け物を取り囲む騎士団と急遽借り出された魔術師達は防御壁を張り巡らせ、グランドから一歩も出られないようにしている。  既に何度が接触があったのか防御壁を紡ぐ術師の後方に負傷した複数の剣術師がいた。 「何んで攻撃しないんだ?」  独り言のようにジェリドが問えば、ディランは軽い調子で答えた。 「駐屯地にお偉いさんでもいるんじゃないのかな?」  言われて注視すると化け物の背後には建物があり、中で数人の術師達が動いていた。  魔術師学校同様、魔力を得る為の生贄がまだそこにいるのだろう。 「人命第一だからね。この国は」 「面倒くせぇから俺が行って化け物ぶっ潰してこようか?」 「止めなさいヘルシング。君が行くと場が混乱する。あと、君一人で何とかなる相手じゃない」 「んなの戦《ヤ》ってみねぇと分かんないだろうが!」 「分かるよ。君、弱くないけどもの凄く強い訳じゃないからね」 「あぁ?」 「だって君、おいちゃんの部下に負けたじゃないか」  痛いところを突かれ戦闘狂は髪を毟り取る勢いで自身の頭を掻いて呻いた。 「ところで君達の探している人物はいそうにないかな?」  少年三人は目を凝らし駐屯地を見渡すがアレイスターの姿はない。 「あの化け物は術師が直接動かしているようです」  イグルの指摘に少年二人は化け物を凝視すると化け物が動く度に影が揺れ、中にいる人間が見え隠れする。  中に取り込まれている男を見てアークは目を見張った。  色は赤と違うが森でヴェロニカを襲っていた黒服の剣士達と同じ服に愕然とする。  あの日ヴェロニカを襲っていた剣士達はアレイスターの臣下だったのだろう。  特徴が合致したからといきなり襲う事などない。  あの場にアレイスターはいなかった。  臣下達の判断で行動したのなら、それはヴェロニカに見覚えがあったからに違いない。  理由はどうあれヴェロニカがカーテラス滅亡に関わっているのは確実だと、アークは目を伏せた。 「俺達が学校で見たのは固定の術式だった」  ジェリドの言葉に伏せていた目を上げて見る。 「本来はあのように直接動かすものだったのかも知れませんね」 「動かなかったのは操る人間がいなかったからかだよな」 「やはりあれは待っていたのでしょう」  ジェリドとイグルが言わんがする事を汲み取ったアークは運転席に座るディランに頼む。 「急いで魔術師学校へ行って下さい!」  戦力分散を狙って同時に化け物を出現させる為に魔力を奪い易いところを狙ったのだとしたら、大切な人間の生死を他人に預ける訳がない。  アレイスターはそこにいる。 「ちょっと揺れるからね。確り掴まっておくんだよ」  コーチは機体を持ち上げると猛スピードで魔術師学校へ向かった。

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