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繭の中-40-*
暗闇。
目を閉じているのか開けているのか分からず、アークは漆黒の闇へ引きずり込まれて行く。
闇に溶け込んでしまったかのように何処から何処までが自分なのか境界線が分からず沈んで行くと、微かに呻き声が聞こえた。
声は徐々に大きくなり聴覚にではなく脳に響き、恐怖や怒り。苦痛や憎しみを訴える。
痛い、苦しい、怖い、許せない、殺す、止めてくれ、死にたくない……。
許して、殺してくれ、助けて、助けて、死ね、死ね、死ね……。
何でこんな……、違う、苦しい、憎い、憎い、憎い……。
怖い、恐い、こわい……コワイ、こワイ……。
切れる、砕ける、裂ける、折れる、潰される……。
溶ける、消える、埋まる、溶解される……。
殺せ……殺す、死ぬ、死ねる……嫌だ、嫌だ、嫌だ……。
負の思考に侵食され、意識が感情が混濁していると、突如光の中に放り出された。
うつ伏せに寝ているのか、頬や胸に硬質な感触。歪む視界を調節するように何度も瞬きをすると視界が回復し、自身の腕と白い床が見えた。
軋む身体を動かし何とか起き上がると、自分と一緒に引き摺り込まれた友人の姿を探すべく辺りを見回し、愕然とした。
全身を覆う白い糸で人が壁一面に貼り付けられ、天井からは繭に包まれた人間が何体も吊るされていた。
糸の隙間から覗くのはどれも魔術師学校の教師や生徒服で何人かは見覚えのある顔があった。
「何だこれは……」
壁に近寄り、糸を引き千切るように引くと、中から見知った顔が現れた。
虚ろな瞳に生気はなく頬はこけ、唇は干からびて割れ別人のように見えるが、間違いなくツインテールの少女ミルフィーだった。
ダート達の話では交流試合先に留まっているはずのミルフィーが何故目の前に、しかもこんな状態で居るのかと疑問に思いながら頚動脈部分に触れ、生死を確かめると弱々しくはあったが脈は触れた。
生きていると分かり胸を撫で下ろすが、危険な状態にある事には変わりはないとアークは失った剣の代わりに甲殻鎧の術式で短剣を作り必死に糸を引き裂いて行くとまた別の顔が現れた。
ミルフィーと一緒に見舞いに来てくれたメリーだった。
やはり脈は弱く一刻を争う状態に急いで糸に刃を当てるが、硬く弾力ある糸を中々切り進めず手間取っていると背後に人の気配を感じた。
「おいたは駄目だよ、アンジュ」
ミルフィー達を背に隠すように振り返れば何処から現れたのかアレイスターが立っていた。
何時もと変わらない微笑を浮かべてはいるが、魔術師学校やカーテラス国の時とは違い形ばかりの微笑みだった。
暗く淀んだ瞳は虚ろで何も映しておらず、纏っている空気の禍々しさから人の温かさは感じられない。
何故こうも変わってしまったのか。考えられる理由は一つ、魔道書の発動だ。
先程化け物に取り込まれた時に触れた嘆きや絶望、痛みや悲しみ、恐怖や怒りが術者に影響を与えたとしか思えない。
ほんの一瞬触れただけのアークですら意識の混濁があった。
何時間も触れていれば思考や人格を侵し、別の何かに作り変えるに違いない。
それはつまり……。
魔物に人の言葉が通じないように。
異なった価値観を持った人間から同意を得られないように。
今のアレイスターにいくら言葉を重ねても届かない事を意味する。
無慈悲な現実にアークは唇を強く噛み締めた。
「部屋で待つように行ったのに、僕の帰りが待てなかったのかい?本当にアンジュは寂しがりやさんだね」
耳に心地よい優しさを孕んだ、だが空虚な声だった。
「先輩」
「先輩じゃなくて、お兄ちゃんだろ?」
冗談めいた言葉だが、そこにあるべき感情はない。
無駄だと、無意味だと分かってはいたが、それでも語りかけずにはいられなかった。
「アレイスター先輩。今直ぐに皆を解放して下さい」
「アンジュ。彼等は魔道書を維持する為に強制召還した高魔力保持者だ。放す事は出来ないよ」
そう言うとアレイスターは指を弾き、アークの前に外の映像を映し見せた。
「ほら、見てご覧」
剣術師達が奮闘する戦場に一瞬光が瞬いた次の瞬間。爆炎に包まれた。
何もかもを吞み込む炎にアークは言葉を失いただ映像を見詰めた。
「これが今のお兄ちゃんの強さだよ。誰にも負けない」
嬉しそうに話すアレイスターに混乱に埋もれかけた感情が呼び戻され、目の前が真っ赤になる程の怒りで叫ぶ。
「大切な人を犠牲にし、関係ない人を虐殺して成し遂げる復讐に何の意味があるんですか!」
「本懐を遂げる為の犠牲は仕方ない。分かるだろ?」
「仕方ないなんて言葉で片付けないで下さい!」
「アンジュ……」
「私をアンジュと呼ぶなら、妹だと思うなら、もう止めて下さい!」
「何を言っているんだい? お兄ちゃんはアンジュの為にこの力を手に入れたんだよ」
「私の為だと言うのなら、今直ぐそんな力手放して下さい!」
縋るようにアレイスターの胸倉を掴み詰め寄るが、暗い瞳は静かに見詰めるだけだった。
駄目なのだと。
例え本物の妹が乞い願ったとしても今のアレイスターには届かないのだと愕然とし、掴んでいた胸倉を離すと、半歩ほど下がった。
その時――。
天井からアレイスター目掛け白い塊が落ちた。
それが何かを判断する前にアレイスターの筋肉と骨を切断し、頚部に白刃が深々と突き刺さっていた。
剣術師の自分が反応できない程静かな暗殺術とアレイスターの死に衝撃を受け、アークは瞬きを忘れ、光る剣をただ見つめた。
アレイスターの肩に片膝立ちでいたイグルが立ち上がると同時に剣を引き抜くが、傷口から吹き出たのは血ではなく黒い霧だった。
土人形のように崩れるアレイスターから飛び降りるとイグルは本体からの強襲に備えようとするが体勢が整うより早く吹き飛ばされた。
何が起こったのか分からぬまま身体に残るダメージで自分が攻撃を受けた事をイグルは理解した。
立ち上がれずにいるイグルを守ろうと駆け寄り、背に隠すと、床に円状の術式が発現しアレイスターは現れた。アークの正面へと立ちはだかる。
「居ないと思ったら繭にでも取り付いていたのかな」
「アレイスター先輩」
「そんなに警戒しなくてもアンジュの友達を殺したりはしないよ。第一その子は莫大な量の魔力を持っているからね」
アレイスターの言葉に振り返れば横たわっていたイグルの身体は半分以上が床に沈んでいた。
「イグル!」
沈む友人を助けようと身体を掴むが、上がるどころかずぶずぶと沈んで行く。
「危ないよ、アンジュ」
アレイスターに手を捕られ、乱暴にそれを振り払う。
「イグルを返して下さい!」
「全て終わったらね」
「今直ぐにだ!」
アークは床に転がっていたディランの剣を蹴り上げ手に取るとアレイスターに斬りかかった。
本気でなかったとはいえ易々と剣をかわされ、己の慢心と甘さに舌打ちをする。
言葉が通じない今、力を持ってして従わせる以外ないのだと覚悟を決め構え直すと呼吸を整える。
部屋中に人質が居る以上、周りに影響を及ぼす攻撃系術式は使えない。
剣のみで制圧するしかないと覚悟を決め斬り込むが、肩に喰い込む筈の刃は甲殻鎧の術式で作られた剣によって受け止められた。
「剣を振り回すなんて危ないよアンジュ」
「何で……」
後方支援を主とする魔術師が接近戦用の術式である甲殻鎧を習得する者は少ない。
嫌な予感を覚えながら、アークは筋肉強化した身体を甲殻鎧の術式で武装する。
魔術師とは思えない隙のない構えに息を飲む。隙を作るべく再び踏み込んだ。
避け辛い突きの攻撃は難なくかわされ、相手の体勢を崩すどころかかわされた自分の方が体勢を崩してしまった。
身体を捻り背中への攻撃を何とか受け止めるが、相手の力に押されアークはその場に崩れる。
「アンジュ。何だいその野暮ったい鎧は。折角のドレスが台無しだよ」
不満と共に振り下ろされる甲殻鎧の剣を床を転げる事で避けると、目くらましの為に低位の電撃系術式を展開させる。
反射的に目を瞑ったほんの僅かな隙に立ち上がり、斬り込む。
だが小細工が通用する相手ではなかった。
アークの剣は易々と受け流され、その際生まれた隙へと蹴りが叩き込まれる。
踏ん張り衝撃に耐えるが、ダメージは確実に身体にあった。
間合いを取り直し、斬り込むがアークの仕掛ける攻撃は全て読まれ、対するアレイスターの攻撃は殆どを受け止める事は出来たが、受け止め切れなかった何撃かは容赦なく甲殻鎧を打ち砕いた。
同じ甲殻鎧の術式で紡がれた剣が鎧を貫くのは使い手の錬度が高い事を意味する。
当たり前だ。
第六位の剣術師のアークに対し相手は第三位、もしくはそれ以上の高位魔術師だ。
加えてアレイスターの動体視力、反射神経、接近戦のセンスは剣術師のものだ。
自分よりも高位の魔術師であっても接近戦なら剣術師である自分に分があるという当ては外れ、背中に汗が伝う。
言葉は届かず、力の敵わない相手を退かせる術などない。
だが、退く訳にはいかない。
捕らわれている人達を助ける為に、アレイスターの行いを正義としない為に立ちはだからなくてはいけない。
倒せなくとも、後に続く人の為に少しでも攻撃力を削ぎ落とそうと剣を構える。
手加減など無用。
殺す気でかかっても倒せない相手だと、迷いを振り切り踏み込む。
使い手の精神を表したような真っ直ぐな剣は弧を描きアレイスターへと振り下ろされる。
激烈な暫撃。
二手三手と剣がかち合う。
殺気を込めるアークに対し、じゃれ付く猫をあしらうかのようにそれを受け止めるアレイスター。
大人と子供程の実力差。
掠り傷一つ負わせる事の出来ないアークの甲殻鎧は徐々に剥ぎ取られて行く。
「もどかしいね」
そう零したアレイスターが右手を高く掲げると、宙に無数の甲殻鎧の短剣が出現した。
「動いちゃ駄目だよ?」
下手に避けて壁に捕らえられている人質に刺さる事を懸念し、アークはその場で短剣を迎え撃つと決め剣を構えた。
同時にアレイスターの手が振り下ろされた。
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