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肩を落として門を潜る。砂一色だった地面には草が茂り、川が流れていて、そこに架けられた橋の向こうは光で溢れ、丸で別世界に入った様だった。
地獄と云うから、石を積む鬼や、枯渇した川に顔を突っ込む餓鬼、針の山を裸足で歩かされたり釜で煮られる人が居たりするのかと思ったが、なんてことない、普通だ。
ふと、光の中に小さな人影が見えた。橋を渡ると、仁王立ちになって立つその人物が、弾んだ声を上げる。
「ウェェルカァム!」
勢い良く上げた両手を、弧を描いて下ろしながらくるんと回り、ヒラリ舞うスカートの両端を摘み上げて腰を引き、上目遣いにウインクをしたのは、金色の長い髪を両サイドの上方で結び、レースをふんだんに配った丸袖のゴシックなワンピースを着た子供だった。
「アザゼルだよっ。よろしくね!」
「あ、ああ」
高いテンションに戸惑う俺の顔を見るなり何かに気付いた様に、あっ、と声を上げて詰め寄ってくる。
「おにーさん、今、可愛い嬢ちゃんだなヤりたいな、て思ったでしょ」
「いや、そんなことは」全く思っていない。云わせて貰えば、ミハさま以外に興味は無い。この子がミハさまを知っていると思えないので口にしないが。
「でもね」
聞いていない。すっと俺の手を掴み、スカートを捲り上げて白いカボチャパンツを見せ、その胯座に押し付ける。掌が外見にそぐわぬ盛り上がりを捉え、思わず目を丸くした。
アザゼルが、あははと笑う。してやったりと云う顔で。
「驚いたね。偽物じゃないよ。僕は正真正銘、男! 見る?」パンツを脱ごうとする彼に首を横に振った。「結構」
確かに驚いたが、幼女だろうが少年だろうが俺にはどうでも良い。
「おにーさんは、なんて云うの?」
「何がだ」
「名前だよぉ」
なーまーえ、と云われ、名前、と復唱する。
「俺、は」
サタナエル。その名はもう剥奪された。何と名乗るべきか悩む頭に、真っ黒な瞳で指を差す男が、ふっと過ぎる。
「ベリアル」デモゴルゴンに付けられた名だ。
「ベリアル! これからサタンのとこまで連れてってあげるねっ」
満面に人懐っこい笑みを咲かせるアザゼルの、ほんのり薄紅色をした頬は、マシュマロの様にふっくらしていて、成程、これは好きな人なら『ヤりたい』と思うだろう。俺はミハさま以外に触れたいとも触れてほしいとも思わないが。
それより、響きの不穏な名の方が余程興味深い。
「サタンとは何だ」
訊くと、アザゼルは両手を一杯に広げた。
「ここで1番強い人! ベルゼブブを負かしちゃうくらい、ちょー強いの。で、付いた名前がサタン。本当の名前は、忘れちゃった!」
俺は、ベルゼブブがどんな奴で、どれだけ強いのかも知らなければ、そいつに勝って何故サタンと呼ばれるのかも解らないのだが、爪先でくるんと小さな躰を回し、光に向かって大きな声を上げる彼に、そこから説明する気は無さそうだ。
「火車カモォーン」
光を劈く様に、何かが猛スピードで駆けてくる。そして、俺とアザゼルの前で急停止した。2メートルはありそうな大男と、人力車だ。
アザゼルに乗ってと促され、乗る。
「ゴー!」
大男がやって来た方向へ、人差し指の先を向けたアザゼルの号令で、車が走りはじめた。速い。躰を持って行かれそうな風圧に耐えていると、何やら焦げた臭いが鼻に突く。外へ目を向ければ、黒煙が上がっている。恐る恐る下を覗き、ぎょっとした。回転する車輪が燃えているではないか。
「おい、アザゼルっ。火が出てるぞ!」
「そだよ。だから火車っ」
アザゼルの暢気な笑い声を後ろへ流しながら、人力車――いや、火車は炎を上げ、光の中を走った。
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