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アキ-2

 翌日。土曜日。毎週彼と会っている日。  昨日から何度も彼からLINEや着信が入っているが、全て無視している。散々騙し続けていたんだから、今更合わせる顔なんてない。  月曜日。僕は平気な顔をして出社した。前の部署にいたときと同じ、眼鏡を外して前髪をサイドに流すスタイルだ。今の部署になってからは初めてのことに、周りからチラチラと視線を感じる。特に部長からの視線が酷かった。只でさえ怖い顔で睨まれるので、僕以外だったら苦情がきそうだ。それでも、開き直れば幾分か楽になった。仕事のミスも全くなくなり、グループリーダーに「別人みたい」なんて言われてしまう。けれど「私生活でごたごたしてたので」と曖昧に笑って誤魔化すと、それ以上は聞かれなかった。  一週間が過ぎ、金曜日。僕は早々に仕事を片付けて、彼に声をかけられる前に会社を出た。そして、家に着いてから彼にLINEを送る。  これを片づければ全て終わる。あと一日だけ。まだ泣くには早い。涙が滲みそうになる目を擦り、僕は金庫から封筒を取り出した。  待ち合わせの場所にいた彼は遠目からでも分かる程怒りのオーラが出ていて、周囲5mは人がいなかった。僕の姿に気付くと大股で近づいてきて、そのまま車に乗せられた。無言のまま連れて行かれた先はいつものホテルだ。  なし崩しで抱かれてしまう前に、僕は部屋の入口を入ってすぐに頭を下げる。 「タカさんごめんなさい。僕の話を聞いてください!」  彼は溜息の後に軽く頷いて、ソファーに腰かけた。僕は深呼吸をしてから隣に座り、鞄から封筒を取り出した。 「今までいただいたお金です。ずっと使わずにしまってありました…。いつかちゃんと返そうと思って…」  おずおずと差し出すが、タカさんは無言のままだ。しばらくしても受け取ってくれる気配はないので、僕はそれを机に置いた。 「どういうつもりだ」  その低い声に彼の怒りを感じて、思わずビクリと身を固める。冷たい空気に肌がぴりぴりと痛くなった。 「その…えっと…ごめんなさい」 「口止め料ってことか?お前がゲイだって会社で言いふらさないようにって?はっ。道理で毎日あんなに怯えてた訳だ」 「ちがっ」 「そういうことだろ!今更こんな金を返すような真似して。人の気も知らず、全てなかったことにするつもりか」  タカさんが勢いよく立ち上がると、僕の腕を引っ張ってベッドに押し倒した。そのまま抵抗する余裕もなく、唇を塞がれてしまう。 「ん、やめ…」  制止の声も虚しく、開いた口から舌が割入られ、乱暴に口内を弄られる。呼吸が苦しく目尻に涙が溜まってきたところで、やっと解放された。そして、ぽたりと頬に水滴が落ちてきた。 「え…?」  見上げると、タカさんが涙を零していた。僕を見つめながらぽたぽたと静かに雫を落とす。どうして彼が泣いているのか分からなかった。 「すまなかった……」  タカさんが眉を寄せ、僕の上から体を離す。そして背中を向けてベッドサイドに座った。 「アキにとっては遊びなのに、こんなオジサンに本気になられても迷惑なだけだよな。しかも上司だなんて。誰にも言わないから安心してくれ。金だって、アキのことが好きだから渡していたんだ。今更返されても困る」  そう言いながら、彼は俯いて乱暴に目を擦った。その姿にやっと、彼が勘違いをしていることに気付く。  僕は咄嗟に「違う!」と叫んで、彼の震える背中に抱き着いた。 「違う、遊びじゃない。僕はタカさんが好きなんだ。本当はずっと前から知ってた。入社したときから、遠くから見てた」 「え…?何言って…」  彼を傷つけるくらいなら、嫌われた方がマシだ。こうなったらもう、とことん嫌われてやる。 「5年間、食堂でずっと見てたんだ。あなたがソバよりうどん派なのも知ってるし、カレーは甘口が好きなのも。他にも…」 「え、待って、本当に?」 「そうだよ!声をかけたバーだって、前からあなたが通っていることは知ってたんだ。それどころか僕は、あなたにもう一度会いたくてあの会社に入ったんだよ!20年も前に言われたことを未だに覚えてるとか、ドン引きでしょ」 「20年前??」  彼の動揺が背中から伝わってくる。その背中をさらにぎゅっと抱きしめて、頭を擦りつけた。 「20年前に道でいじめられてた子を助けたの覚えてない?茶色の髪に金色の瞳の男の子」 「茶髪に金色の瞳?あぁそういえば。え!?まさか」  ハッと振り返ったタカさんに、僕はにこりと笑って返す。 「そう、僕だよ。あの日タカさんは僕の眼を見て『琥珀みたいで綺麗だ』って言ってくれたんだ。そんな風に言ってくれる人は初めてで、すごく嬉しかった」  タカさんが驚きに目を見開いている。僕は目を逸らして、再び背中に頭を預けた。 「気持ち悪いでしょ。そんな長い間、一回りも年下の男から想われてたなんて。ストーカーみたいだって嫌いになったでしょ」 「そんなことない」  動揺する彼に、僕はまた言葉を続ける。 「無理しないでよ、自分でも気持ち悪いって思うし…。これで分かったよね、僕がバレたくなかった本当の理由。もう充分だよ。週に1度だけでもタカさんを独り占めできて幸せだった。ありがとう」  僕は、そっとタカさんから体を離した。痛む胸には気付かないふりをして、必死に笑顔を作る。 「今まで騙していてごめんなさい。もう、こうやって会うのは今日で最後にしてください」  そう言いながらベッドに正座をして手を付き、頭を下げた。しばらく沈黙が続いたかと思うと、はぁと溜息が聞こえた。 「あのさ、なんで俺の気持ちは聞かないの?」 「そんなの分かり切ってるよ。さっきだってすごく怒ってたし…。もうタカさんのことはあきらめる。仕事は先週1週間やってちゃんとミスなくできるって分かったから…。もちろん、タカさんが嫌だったら辞表出すけど…」  泣きそうになりながらも未だに顔を上げられずにいると、ふわりと抱きしめられた。そして体を起こされて、大きな手のひらで頬を撫でられる。タカさんは、困ったように笑っていた。 「俺はアキが好きだよ。今のすごい告白も、驚いたけど嬉しいと思ったし。怒っていたのは、お前が今までのことをなかったことにしようとしたからだ」 「え…。だってタカさんは元々女性が好きなんだよね。たまたま僕が声かけたから、ちょっと遊んでみただけでしょ?」 「確かに最初はそうだった。だけど、俺はアキに惹かれた。アキのことをもっと知りたい。これでも、誕生日とか好きな食べ物とか、たくさん聞きたいの我慢してたんだよ?ホテルばっかじゃなくて、一緒に買い物に行ったり映画見たりもしたかった。でもそんなこと言ったら、君が逃げるかもしれないと思って怖かった。臆病者なんだ、俺」  ウソでしょ…と呟くと、頭をぽんと軽く叩かれた。 「本当だよ。ねえ、もう一度やり直せない?」 「やり直す…?」 「だから、さ。22歳のアキじゃなくて、27歳の田村秋吉と恋人になりたい」 「え、僕の下の名前知ってたの!?」 「おいおい、驚くところはそこなの?大事な部下の名前くらい把握してるよ。……それより返事は?」  そんなの、最初から決まってる。僕はタカさんを思い切り抱きしめた。 「よろしくお願いします」  ぽろぽろと涙が零れ落ちる。その雫をタカさんが優しく撫で、温かいキスが落とされた。

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