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アキ-1
きっとあなたは覚えていないだろうけど、僕達は20年前に会ったことがあるんだよ。
僕には物心がついたときから父親がいない。母親は黒目黒髪の平凡な日本人、しかしその子供の僕は色素の薄い茶髪に、黄色に近い茶の瞳だ。近所の人たちから「あの子はハーフだから…」などと影で言われることがあったが、なんとなく聞いてはいけないような雰囲気だった。
あれは、小学2年の春頃。学校の帰り道、クラスメイト達から見た目のことで散々揶揄われていた。口答えしたら倍になって返ってくるのが分かっていたから、ひたすら下を向いて堪えていた。そんな時に、ふと男性の声がしたんだ。
「君、凄く綺麗だね」って。
それから、周りの悪口を言っていた子達を見渡して「こんなに綺麗な子を大勢でいじめて何が楽しいのかな?」って言ったんだ。
僕はびっくりして、動けなくなった。だって、その人は背が高くてとても怖い顔をしていたんだ。前にドラマで見た殺し屋みたいな人だと思った。
周りの子達は、ヒッと軽く悲鳴を上げて、逃げる様に走っていった。僕だけは取り残されてしまい、恐怖で足が竦んだ。この人は一体何者だろうと恐る恐る見上げると、
「あーあ。また怖がらせちゃった。俺、ただ君を助けたかっただけなのになぁ。ごめんね」
って、頬を掻きながら困ったように笑ったんだ。
その表情に、さっきまでの緊張が嘘みたいになくなった。笑った顔はとても優しそうで、ほっとした。それから助けてくれたことに気が付いて、慌てて「ありがとうございます」って頭を下げると、彼はまた笑いながら僕の頭を撫でてくれた。母親にさえ滅多に撫でられたことがないから、とても驚いた。でも全然嫌な感じはしなかった。
「君ほんとに綺麗だよね。瞳もきらきら金色に輝いてて琥珀みたいだ。あ、琥珀って知ってる?」
「知らない…」
「はは、そっか。君の眼と同じ色の宝石だよ。すっごく綺麗なんだ。…だからさ、もっと自分に自信を持ちなよ。君はこれから、どんどん美人になる。俺が保証する」
そんな風に手放しでほめてくれた人は、彼が初めてだった。なんだかくすぐったくて、嬉しくなった。「お兄さん、誰?」と聞くと、近くのビルを指さして「ここで働いている人だよ」と言った。「今はまだ新入社員だけど、いつか社長になりたいんだ」と笑っていた。その姿がすごくカッコよく見えて、胸がどきんと高鳴った。今思えば、これが僕の初恋だったんだと思う。
もっと話したかったのに、いきなり警察官に声をかけられて驚いた。何がなんだか分からなかったが、少し離れたところで僕をいじめていた子が笑いながら見ていたから、多分その子が連れてきたのだろう。僕は必死に、彼は僕を助けてくれたんだと説明した。すぐに彼は解放されたけれど、そのまま別れて、それ以来同じ道で彼を探してみても二度と会うことはなかった。
大学入学を機に一人暮らしをするようになって、僕の友好関係は広がっていった。髪を黒に染めれば、瞳が琥珀色でも日本人としてあまり違和感はなく過ごせた。それから、なぜか男性に言い寄られることが多くなり、どうやら自分は男女どちらでもいけることに気が付いた。来るもの拒まずで相手に困ることもなく、結構な遊び人だったと思う。けれど、大学を卒業してからはそんなこともなくなった。
就職した会社に、彼を見つけたからだ。就活中に彼の会社の求人を見つけ、一抹の希望で面接を受けたら、無事内定を頂けたのだ。
彼がまだ同じ会社にいるという確証はなかったが、社員食堂で姿を見つけた時には、心臓が止まるかと思った。彼は昔と変わらないどころか、大人の色気が増してさらにカッコよくなっていた。どきどきと胸の高鳴りを抑えきれず、さり気なく彼を見つめ続けた。彼はだいたい一人でいるが、たまに同僚か誰かと一緒に食事を取ることもあるみたいだ。別の部署で階も違うから、食堂以外で彼に会える機会はまずない。だから、遠くから密かに見つめるには丁度良かった。
そんなストーカーまがいのことを続けて4年程経った頃、偶然別の場所で彼を見かけた。たまたま入った雰囲気の良さげなバーに、彼がいたのだ。一人でカクテルを呷っていて、それがまた物凄く色気を醸しだしていた。彼が帰ってからマスターにさり気なく話を聞くと、彼はだいたい一人で金曜か土曜に来るのだと言う。「顔は怖いけど、そっち系の人じゃないから安心して」と言われて、思わず笑ってしまった。「違うよ。僕のタイプだから口説きたいなと思っただけ」と答えると、「そう、頑張ってね」と微笑まれた。
それから何度かバーに通い、彼と被るのが4回目のときに思い切って声をかけたんだ。普段の僕からは考えられない程大胆にアプローチを仕掛け、そしてあれよあれよという間にホテルに行くことになった。まさか彼も男性相手でも大丈夫な人だとは思わなかったが、優しく抱いてくれて夢みたいだった。けれど、仕事は何をしているのか聞かれて咄嗟に大学生だと答えてしまったのは失敗だった。本当は27歳で同じ会社にいるというのに、彼の中の僕は22歳の大学生になってしまった。しかも、彼は男性相手をするのは僕が初めてなのだという。一夜の過ちで全てなかったことにされるのかと身構えると、なぜかお金を渡されてしまった。売春のようなことをする気はないし、口止め料だって必要ないと断ると、「それじゃあ俺の気がすまないから」って。なんだか無性に悲しくて泣きたくなった。それでも、アドレスを交換して、また会う約束をしてもらえたことに舞い上がってしまった。
それ以来、週に1度こんな関係を続けている。お金なんていらないと何度も断ろうと思ったし、実際に断っている。彼の中の僕の立ち位置が絶対に恋人にはならないことに、辛いな、と思うこともあるが、変に拗れて二度と会ってくれなくなるよりはマシだと自分に言い聞かせた。平日は影から彼を見つめ、土曜は別人として共に過ごす。それは束の間の幸せな日々だった。
そのバランスが崩れたのは一か月ほど前。突然僕は、彼の部署に異動することになったのだ。嬉しい、というよりも先に感じたのは恐怖だった。彼に毎日会えるということよりも、彼に僕の正体がバレてしまうことへの恐怖。案の定、仕事は全然身に入らなかった。
少しブラウンに色付いたパソコン用眼鏡をかけ、さらに前髪を長く垂らして瞳を隠す。極力顔を上げずに、声も出さない。たまにマスクもつけ、傍から見たら完全に不審者だが、彼にバレないように必死だった。そしてそんな苦しい日々が続いたある日、僕は会議室に呼び出されてしまった―――。
「タカさん…。ごめんなさい」
「アキ……?」
もうこれ以上、黙っていることは無理だった。タカさんは僕の顔を見て、青ざめた顔をしている。当然だ。金で買っていた男がこんな身近な人間だと分かったんだから、彼だって気が気じゃないだろう。僕は呆然と固まっている彼を置いて、会議室から逃げ出した。
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