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第1話

 「あれっ?お前、今日俺とシフト代わったじゃん」  失敗した、今日は夜勤のはずだった。家には帰れない、なぜなら明朝に帰ると直実(なおさね)に伝えたからだ。もしも誰かがあの部屋にいたらどうすればいいか分からない。友達が来るかもしれないと言っていた、それが女性だという事は分かっている。だから帰れない。  直実と暮らし始めたのはつい三カ月前のこと。「お前の飯美味いな、これ毎日食えたら良いのに」そう呟いた直実のひと言がきっかけだった。単なる同居人、恋人じゃない。  体の関係はない、一度だけアルコールが入っていつもより調子のいい直実を説き伏せるようにして互いの身体を触ったことはある。そしてそれが、単なる排泄行為だったと分かっている。  直実に気持ちを押し付けて出ていけと言われてしまえば、この先二度と会えなくなるかもしれない。こうやって一緒に暮らしてもらえるまで、三年の月日がかかった。今更ゼロにはしたくない。だから慎重に大切に、いつか好きになってもらえるかもしれない日を待っている。何しろ十年越しの恋だ、この一瞬を焦ってもしかたない。  直実とは同じ養護施設で育った。  直実は育児放棄した親の元から引き取られたと言う。今でもその当時の話はしたがらないから、深く聞いたことはない。けれども親がつけてくれた名前があるだけ羨ましい。  睦生(むつき)という名前は一月に施設の前に捨てられていたからつけられた名前だ。拾われた当時、推定二歳で自分の名前も誕生日もわからない。放置されていたのか言葉も話さなかったらしい。その所為なのかどうなのかは分からないが、大人を怖がって誰にも近づかせなかったと言う。そんな時に手を差し伸べてくれたのが一つ年上の直実だった。直実の手からは食べ物も受け取ったらしい。  出会った日から、どこに行くにも後をついて回り、何をするにも一緒だった。十八歳になり一足早く施設を出た直実を追って一年後に東京に出てきた。  一年ぶりに会った直実は女性と暮らしていた。それから友達として、二年間大人しく見守った。別れた隙を狙ってようやく一緒に暮らすところまでこぎつけたばかりなのだ。  「なあ、今日の夜泊めてくれるやついないかな」  「角谷さんなら今日は寮にいるから行けばいいじゃん、可愛がってもらってたろ?」  「角谷さんか……」  角谷は会社の先輩で二年間付き合った、直実の代わりに心と体を埋めてくれた相手だ。そして二カ月前に直実と暮らせると決まってから別れたばかりなのだ。  仕事だと思って切っていた携帯の電源を入れると角谷の番号を呼び出す。  「ねえ、今日の夜泊めてくれない?……あ?ううん、違うよ、別れてないって。とりあえず今晩一晩だけでいい。……うん、すぐ行く。いや、飯は食ったよ」  二カ月前、別れたいと言い出した時にも「そうか、好きな人と一緒に暮らしているのか」とすぐに退いてくれた優しい男。ただ直実が本当は恋人じゃなくて、たんなる片思いの相手だとは伝えていないのだけれど。  「角谷さん?ごめんね、急に」  「どうした?彼氏と喧嘩でもしたのか?」  「んー、まあいろいろとね」  「そうか……俺を頼ってくれただけで嬉しいよ。でもな、俺もそこまで聖人じゃないからなあ、好きな子が一晩横に眠るのはな」  「……いいよ、そのつもりで来たし。シようよ」  心だけでは、結局埋められないところもある。ただ誰かの温もりを求めても仕方の無いことだと思う。  「そう?何があったか聞かない方が良いのかな」  流されたふりをしてその隙間を埋める、それで満たされるものがあるのなら。  「シャワー借りるね、準備してくる」  そう言い残すと浴室へと向かった。ぐるぐる螺旋階段を昇る。同じ場所にいるのに気がついたら高いところに上がってしまっていて引き返せない、気持ちの重さに潰されそうになる。 違う男の影を探しながらまた上がっては行けない階段を一段上がる。

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