ミルクみたいに甘くなったんだって。 　俺の蜜香。 　食べたもので蜜香が変わるなんて知らなかった。なんだか、それは、まるで――。 「トウ？」 「あ……一誠、ごめん、起こしちゃった？」 「いや、あー、うん。トウがベッドにいなかったから、探した」 「ごめん。洗濯してた」 　ナイトモードにしてあるから、大丈夫かなって。それにご近所さんのこともあまり気にしなくていい、ケーキ屋らしからぬ、人の少ない場所にある家だから。 　静かに、静かに、家の主を起こしてしまわないように静かに回転する洗濯機の中身を眺めていたんだ。向かいあわせ、っていうと機械相手におかしいかもしれないけれど。でも、俺も、一応機械だから、むしろ向かい合わせって言った方が正解なのかもね。 　一誠は俺の隣に腰を下ろすと、俺と同じように洗濯機を見つめた。 　中には俺が汚してしまったシーツとバスタオル、それから今日着ていた服が回っている。クルクルクル、ゴトゴトゴトって。 「明日の朝でいいのに。洗濯」 「んー、一誠は寝てていいよ？」 「いや、いいよ」 「でも、ケーキの仕込みあるじゃん」 「なら、トウだって明日仕事だろ？」 　一誠はそこで小さく笑うと、首を傾げて俺にキスをくれた。目を閉じて、唇に触れて、また目を開けるとそこには一誠がいる。 「ごめん、心配かけた？」 　少しだけ、一誠が、不安そう？ 「いや、なんというか」 　その一誠がまた回っている洗濯機に目をやった。 「今日、結構食べただろ？　その、何か落ち込んでるのかなって」 「……」 「君は食べるの、好きじゃないだろ？　無駄だからって」 　そう。無駄だ。別に食べないでも動いていられるから。食べたって意味なんてないから。やっぱり食べるのは無駄だし。食べられちゃった物が可哀想だ。 「だから、落ち込んでるのかと思ってさ」 「……うん。そう……なんだけど」 「なんだけど？」 「なんかさ……」 　どの言葉で言えばいいんだろう。目の前にある機械と同じ俺。生き物じゃない俺は。 「ねぇ、トウ」 「？」 「トウと、こうしてる時間が俺は好きだよ。なんの変哲もない、他愛のない時間もすごく好きだって思う」 　一誠は洗濯機をじっと見つめ、一つ、深呼吸をしてから、俺を見つめた。 「だから、結婚しないか？」 「え？」 「君と結婚したい」 　俺は、生き物じゃない。 「何、言って……」 「ずっと、一生、君といたい」 　一生、なんて。 「ダメ？」 「な、何言って、んの？　あの、一誠？　俺は？」 「セクサノイド、なんだろ？」 　死が二人を分かつまで？ 　健やかな時も、病める時も？ 　誓いの言葉のどれもこれもが、俺には。 「でも、一生、君と生きていたい」 「ちょ、あの、一誠、あのさ」 「ずっと言おうと思ってた」 「……」 「愛してる」 　俺には、誓いの言葉がどれ一つだって不似合いなのに、出てこないんだ。 「愛してるから、結婚しよう」 「……」 「俺がウエディングケーキを作るよ。二人っきりであげる挙式で構わない」 　いやです、って言葉が出てこない。セクサノイドなんだから、言わなくちゃいけないのに。結婚なんて、俺には不似合いなことなのに。 「トウ……」 　一誠のことが大好きだから、いやですって、言いたくない。 「頷いて欲しい」 　死がやってくる日まで、健やかな日も、病める日も、一誠が大好きだって、思うから。 「トウ」 「……」 「俺と、一生、一緒に生きて欲しい」 　一分一秒、全部、丸ごと、俺は一誠がずっと大好きだから。 「二人っきりの……じゃなくて」 「トウ？」 「井上さん、呼びたい」 「！　ああ！　いいよ！　そうしよう！　うん。それがいい！　絶対に！」 「わっ、ちょっ、い、一誠っ？」 　急にギュッと抱き締められて、びっくりして、そして二人して転がった。洗面所にさ、クルクルゴトゴト、夜だからって遠慮がちに回る洗濯機の前で、転がって。 「ココアのケーキがいいかな。あぁ、でも、ミルクの蜜香が甘くて可愛かったから、生クリームたっぷりもいいかも」 「ちょっ、ねぇ、一誠」 「君の好きなものをたんまり作ろう」 「っぷ」 「トウ？」 　だって、なんか、そのはしゃぎ方がさ、まるで俺の誕生日会みたいな感じだったから。 「なんで？　俺の好きなものばっかなの？　一誠の好きなものも作ろうよ」 「それは、大丈夫」 「？　なんで？　だって、一誠の好物」 「俺の一番好きなものは結婚式の後、夜にいただくから」 「！　っぷ、あははははは」 　言いながら、俺のお尻を揉む一誠につい大笑いをした。なにそれ、って可笑しくて笑って、笑う俺に、一誠が、いやいや本当にって真面目な顔をして見せるから、また笑って。 「じゃあ、俺だって、一誠がいいもん」 「なるほど」 　何より、好きなんだ。一誠だけなんだ。 　その一誠に抱きかかえられたまま、そっと唇にキスをした。 「まだ蜜香、ミルクみたいな甘い香りだ」 「まだ？　そんなに？」 「あぁ」 「じゃあ、蜂蜜食べたら、本当に蜜香だね」 　食べたもので、蜜香が変わる。それはまるで――。 「トウ」 　それは、まるで、生きているみたいでさ。 「ねぇ、一誠、結婚式にはさ……」 　ミルク煮食べたいね。 　食べて、セックス をして、仕事をして、洗濯をして、笑って、困って戸惑って、また笑って。それはまるで生きてるみたいで。 　俺に心臓はないけれど、まるであるかのように胸のところが熱くなるんだ。じわりと熱くなって、戸惑うから、愛しいその人にとにかくしがみついていた。 「行ってきます」 「行ってらっしゃい」 「ねぇ、一誠」 「んー？」 　健やかな時も、病める時も、いつか貴方の鼓動が止まるその日まで、俺は「生きて」そして――。 「大好きだよ」 　愛しい人と共にいたい。