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Allure 第2話
あの夜以来、店で顔を会わせても極力普通に接してきたつもりだが、それが想像以上に疲れるということに気付いたのはここ最近だ。裏を返せばそれほど彼を意識しているという現実を突き付けられるようでもあって、疲労困ぱいの日々が情けない。そんな男を自宅に送るなどというのは、本来以ての外なのだ。
彼の部屋へ行けば、少なからずあの夜のような状況になることも否定できないし、仮にそうならなかったとしたら、意外や期待外れに感じてしまうかも知れない。波濤にとっては、どちらにしても気が進まないに変わりはなかった。
一体自分はどうしたいというのだろう。
先程からの彼の言動ひとつを取ってみても、あの夜から何ら変わらない好意をありありと感じるのも確かだ。
からかい半分、悪戯 まじりの言葉が耳に心地よい。『お前が心配してくれんならもっと元気が出ちまう』などと言われれば、少なからず頬が染まる。心が躍る。
受け入れたいのか突き放したいのか解らない。
あの夜、告白への返事として、『お前とはいい同僚でいたい。それ以上にも以下にもなりたくない』と言ってはみたものの、こうして誘われれば心が躍るような気持ちになるのが非常に厄介だ。
考えれば考えるほど気が滅入るとばかりに、波濤は深い溜息を漏らしながら、飛んでいく窓の景色を見つめていた。
◇ ◇ ◇
「荷物、ここでいいのかよ?」
まだ若干足元がふらついているような素振りでリビングへと向かう龍の後ろを付いて、紙袋を両手に抱えながらそう訊いた。すると彼は満足そうにこちらを振り返って笑い、上着を脱ぎ捨てソファへと身を投げ出した。
「波濤……来いよ」
両腕を広げて手招く。まるでそのまま抱き締めてやると言わんばかりの仕草で微笑まれて、思わずドキリと胸が鳴る――。
見上げてくる瞳は、酔いも手伝ってか図らずも淫らだ。何ともいえない色香に身体の中心が掬 われるように熱くなる。ついふらふらと、差し出された腕の中へと包まってしまいたくなる――。
知らずの内にうっとりと彼を見つめていることに気付き、波濤はハッと我に返った。
「た、戯けたこと言ってねえで……それより何か飲むモンとかいるか? 水でも持ってきてやろっか?」
視線を泳がせながらそう訊けば、龍はそんな態度が可笑しいとでもいうように、楽しげに頬をゆるめては微笑 った。
「そんじゃ貰うか、水」
そう言って思い切りノビをする。そんな様子を横目にしながら、肩をすくめる派手なゼスチャーで胸の高鳴りをごまかすと、波濤はいそいそキッチンへと向かった。
初めて立ち入る彼のプライベート空間――他人の家の台所を覗くのはちょっと興味をそそられるものだ。灯りを点ければ、予想の他きちんと片付けられているのに驚かされた。
綺麗にしているというよりは殆ど使われていないのか、生活感がまるでないのがかえって龍らしい。何だか微笑ましいような気分にさせられる。
とにかくは言われた通りに水を持ってリビングへと戻ると、龍は先程のタクシーの車内と同じように、どっかりとソファの背にもたれてまぶたを閉じていた。
やはり疲れているのだろうか、気持ちのよさそうに軽い寝息まで立てている。
飲み過ぎたというのも半ば本当のことなのだろう――そう思いながらテーブルにグラスを置いて隣へと腰掛けた。
寝入っている彼を見ていると、自然と笑みがこぼれるような安堵感を覚える。今ならばずっと見つめていても誰の目も気にしなくていいのだ。この龍自身に冷やかされることもなければ、同僚らに余計な勘ぐりをされることもない。まるで自分だけのもののように思えて、気持ちが温まる。思わずこの大きな胸に頬を寄せて、身も心も重ねてしまいたくなる――。
「……龍」
無意識に手を伸ばし、彼の髪に触れようとした瞬間に、ビクリと指先が震えた。
(そうだ、こんなことを望める立場じゃないんだった……。夢を見たりしてはいけないんだ)
波濤は寂しげな苦笑いを漏らすと、気を取り直して声を掛けた。
「龍、風邪引くぜ? 寝るんならちゃんとベッド行った方がいんじゃね? ここで寝ちまうんなら、毛布とか何か掛けるモン持ってくるけど……」
そう言って覗き込んだ拍子にスクッと瞳が開かれて、波濤は思わず仰け反るくらいに驚かされてしまった。
「ちょっ……てめ、狸寝入りかよッ!?」
「んな、白々しいことするか。お前が声掛けてくれるまではマジで寝てた。一瞬だけどな」
龍は楽しそうに言うと、未だ少しだるそうに身を起こして、『サンキュ』と、テーブルの上の水を口にした。
「しかし今日は疲れた。ハロウィンなんたらとかいうイベント、あんなの毎年やってんのか?」
年に数回はあるという、似たようなイベントをこなしてきたお前はすげえなといった調子で見つめられて、返答に困らされる。
水を飲み終えたと思いきや、色気もそっけも全くない調子で、再びノビをして深くソファに背を預ける。あまりのマイペースぶりに、今までの緊張がバカらしく思えてしまった。
またいつぞやの夜のように、よからぬ雰囲気にでもなったらどうしようだなどと、わずかにでも思ったことが癪 にさえ感じられる。
一気に気が削がれたとでもいおうか、ドッと疲れが押し寄せてくるようだった。
だが緊張が解けたことで、心地よいだるさを感じるのも悪くない気がして、つられるように波濤もまたソファへと背を預けた。
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