126 / 126

くすりは正しく使いましょう! 小児科医周防武の最後の恋番外編

 晩秋の頃におこなわれる学会に向けて、隙間時間をうまく使い、診察室にて勉強に勤しむ。  地域密着型のアレルギー専門小児科医院の院長として、普段から忙しく仕事をこなす毎日。その関係で、なかなか時間がとれないのが現状なのだが。 「…………」 「……俺を見ていないで、仕事を見つけたらどうだ。そこの新人さん」  最新医療が載ってる雑誌に目を通していると、恋人で男性看護師の王領寺歩が、しゃがみ込みながら、ジト目で俺をガン見する。 「おい、聞いてるのか?」 「俺はただ、タケシ先生を見てるだけなのに、邪魔をしてないだろ」 「邪魔してるって。おまえのその存在感が!」 「俺の存在を感じてる時点で、勉強に全然集中してないってことだろ。それってダメじゃん」  説得力を持たせるように、利き手の人差し指を立てながら、ドがつく正論をぶつけられたせいで反論の余地なし。だが、抗わずにはいられない。 「しゅっ、集中させるように、俺に気を遣ってくれてもいいだろ……」  動揺が声色に表れてしまい、心情がダダ漏れするという、いいとこなしの俺。 「タケシ先生、あったかいお茶とコーヒー、どっちがいい?」 「う~ん、今はコーヒーの気分かな」  気を遣えと言った俺のセリフに、歩はすかさずナイスな問いかけをした。付き合いたての頃は、言われたことに対して文句をたれていたのに、最近は自分で最適な環境を作ろうと考え、動くことができる。 (――どんなにバカでも、成長するもんだな) 「わかった、作ってくる」  いつもなら難癖つけて、少しでもこの場に長く居座ろうとするクセに、今日に至っては妙に引き際が良すぎると言えよう。 「午後から雨が降ったりして……」  誰もいない診察室の中、身震いつきで怯えて見せても、ムダな演技にしかならない。そのことにみずから失笑し、軽くため息をついて気持ちを切り替え、ふたたび雑誌に視線を落とした。  内容を頭の中で噛み砕きつつ、学会のテーマと重なった部分を書き写そうと、万年筆を走らせていたら、診察室にコーヒーの香りが漂う。  勉強の邪魔にならないように傍らに置かれた、愛用しているマグカップを確認し、患者用の椅子に腰かけて、褒めてほしそうな恋人の面持ちを見たからこそ、『ありがとう』と言いかけた瞬間――。 「タケシ先生、俺にお薬を処方してほしいです!」 「おまえ、どこか悪いのか?」  もたげていた自身の首をしっかり上げ、歩の顔色を窺いながら、すぐさま訊ねる。高校3年生の頃、歩は甲状腺ガンを患っていた。ここにきて、どこかに異常でもきたしたんだろうか。 「タケシ先生が俺のことをもっと好きになってくれる、そんなお薬はないかなぁってさ」 「……なんだそりゃ?」  心配する俺の気持ちを無にするようなセリフで、緊張が一気に解けた。胸を撫でおろす俺を見ているのに、歩は真面目な顔を崩さずにふたたび強請る。 「タケシ先生は名医だろ。いいお薬ないですか?」 「薬には副作用ってものが必ずあるけど、それでもほしがるのか?」  子どものようなおねだりに呆れ果て、あえて質問で切り返しすると、目の前にある歩の口から『あっ!』という声が漏れ出る。 (それでも薬を欲しがるおまえは、どんなことを言うだろうか。もしや副作用のない薬を寄こせなんて言ったら、そんなものはないと突っぱねるがな――)  普段交わされる会話から推測して返事を待ったのに、歩は顎に手を当てて気難しそうに考え込む。 「歩、こんなくだらないことに頭を使わないで、仕事中に使えよ。きっと病院が快適になること、間違いなし!」  さっき歩がやっていたように、利き手の人差し指を立てて得意げに告げた途端に、「もう!」という短い怒号が大きな声で発せられる。 「びっくりした、なんだ?」 「くだらないことじゃねぇし。タケシ先生、全然わかってない」  珍しく声を荒らげた歩のセリフがきっかけとなり、診察室に険悪な雰囲気が漂った。 「わかってないって、なんのことだ?」  嫌なそれを払拭したかった俺は、すぐさま歩に訊ねる。 「病気に関しての見立ては完璧なクセに、恋愛についは本当にダメだよな」 「なにがそんなに――」  おまえを苛立たせているんだと言いかけて、思い当たるフシにぶち当たる。前回、歩とケンカしたのは、県内の小児医学会の研究発表会のとき。チームリーダーだった俺は日々めちゃくちゃ忙しく、歩にかまう暇がまったくなかったときだった。 (仕事中はもちろんのこと、プライベートでもすれ違いが発生し、くだらないことで言い争いになったっけ)  そのときと今を比べると、そこまで忙しくないものの、いつもより歩を蔑ろにしているのは事実。しかも前回の失敗をふまえて、今後は気をつけようと思っていたのに、そのこと自体をすっかり忘れてしまった。 (コイツはコイツなりに、忙しい俺にかまってもらうべく頭を使って、必死にコミュニケーションをとっていたってわけか) 「歩、あのさ……」  たどたどしく言葉を発しつつ、歩の後方に視線を飛ばす。扉がしっかり閉ざされているを確認したのちに、ふたたび視線を目の前に移した。 「おまえの薬のこと、なんだけど」 「うん……」 「薬が必要なのは、俺のほうだと思うっ」  両手の拳を膝の上でぎゅっと握りしめ、まくしたてるように告げた俺を、歩はアホ面丸出しで眺める。 「タケシ先生?」  まじまじと見つめられるだけで、恥ずかしさが一気に増した。 「俺に薬、を、くれな、ぃか?」  言い終える頃には顔全部が熱くなり、それを見られたくなかった俺は、思いきり首を垂れるしかなかった。 「タケシ先生いいのかよ、薬には副作用があるんだろ?」 「かまわない。その副作用は恋人のことを、もっと好きになるってもの、だから……」  普段言わないことを、猛烈に照れながら口にする自分。見るからに情けない姿を、医者として冷静でいるもうひとりの自分が、ここぞとばかりに指を差して笑ってる気がした。 「甘いのが苦手なタケシ先生に、俺から甘い薬をたくさんあげちゃうけど、それでもいいのかよ」 「たくさんはいらない。だってそれをもらってる最中に、誰かが入ってくるかもしれないだろ……」  ありえそうなことを指摘したら、歩は納得した面持ちで口を開く。 「じゃあまずは、俺からお薬をひとつ差し上げます」  深く俯く俺の両頬に手を添えて、やんわりと顔を上げさせられたら、嬉しそうにほほ笑む歩と目が合う。 「もちろん夜にもあげるけど、そのときはたくさんあげてもいい?」 「用法用量を正しく守らなきゃ、副作用で俺はおかしくなるかもしれない」  薬はいわば毒の一種――量が少なければ効かないし、多ければ体を蝕む。それは相手を想う気持ちと、同じなのかもしれない。 「おかしくなってるタケシ先生、見てみたいかも」 「もうすでにおかしくなってる。早く薬を寄こせ。さもないと――」  突き刺さる歩の視線から逃れるように、目線を横に向けて薬をねだった。 「さもないと?」 「おまえのことをもっと好っ!」  不貞腐れながら、好きにならないと告げかけた言葉を、カサついた唇が塞いでとめる。  俺の両頬を包み込む大きな手と、押しつけられる唇が意外と優しくて、蓄積された疲労とか、歩をかまってやれなかった自分のイラつきなど諸々含めて、キレイさっぱり一気に昇華していくのがわかった。 「タケシ先生、効いた?」  ただ唇を重ねた、数秒間という短い時間のキス。たったそれだけで、不思議と気持ちに余裕ができてしまうなんて、驚きしかない。 「おまえがいなきゃ、俺はダメみたいだな。まいった……」  自分の首に手をやり、襟足の髪を意味なく撫で擦る。 「今頃それに気づくとか、すげぇ遅いって」  にんまりほほ笑む歩がにくたらしかったものの、自身の失態を挽回してもらった手前、あまり強いことは言えななかった。 「恋愛に不器用な俺に、今後も定期的に薬を寄こしてくれ」 「わかってるって。タケシ先生ってば医者のくせに、看護師の俺に薬をねだるなんて、かわいいお医者さんだよな。今すぐ注射でも打つ?」 「はあ? なに言ってんだ。いらないよ、そんなもん!」 「またまた~! ホントはお注射欲しいクセに!」  調子に乗った歩は声をたてて笑って、俺の肩を痛いくらいにバシバシ叩く。 「歩、いい加減に――」 「周防先生と歩くんっ、診察室の外まで声が聞こえてますよ」  ノックと同時に、ベテラン看護師の村上さんに注意されてしまった。 「先輩すみません。周防先生と一緒に気をつけます!」  俺が謝る前に歩は大きな声をあげて、みずから謝ってくれた。 「タケシ先生、貸しはひとつにしといてあげる。せいぜい俺から与えられる薬の種類に悩んで、おかしくなっちゃえばいいんだ」  してやったりな顔で出て行った、安定剤という名の俺の恋人。果たして俺は、用法用量を正しく守って、服用することができるのだろうか。 「この恋は甘くない――」  アイツが出て行った診察室の扉を眺めながら、ついぼやいてしまう。  歩との恋愛歴は長いというのに、いつまで経っても、甘くなることはない。それは俺のせいなのだが。 「また俺から歩に薬をねだるとか、そんなの無理に決まってるだろ。恥ずかしすぎる!」  ほかにも文句を大声で垂れてしまい、ふたたび村上さんに注意されてしまった俺。安定剤になる看護師が傍いないとダメなことが、嫌でもわかってしまったのだった。 おしまい 閲覧とお星さま、ありがとうございました。

ともだちにシェアしよう!