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番外編 ある夜とあの夜

【ある夜とあの夜】 「ちーくん!」 リビングでぼーっとテレビを見ていたらいきなり後ろから抱きつかれた。 「うわっ」 いつの間に風呂から上がったのか。 きっと驚かそうと気配を消して戻ってきたんだろう。 子供かよと呆れながら俺の肩にぽたぽたと落ちては染みこんでいく水滴に眉を寄せて智紀さんを見上げた。 「智紀さん」 「はーいー」 「ちゃんと髪は拭いてくださいっていってるじゃないですか」 なんでもてきぱきとこなすし、生理整頓も上手なのになぜか湯上りはだらしない。 いくら暖房いれて暖かいといったってもう12月なんだからちゃんと髪は乾かしてほしい。 なのにいつも適当に拭いて出てくる。 「あとで乾かすって」 「俺の服がすっげぇ濡れていってるんですけど」 「あーごめん」 「……ほんっとうにわかってるんですか。毎日聞きますけどそれ」 「ごめんごめんー」 「絶対反省してないでしょう」 「してる! だけどさ」 「なんですか」 「ちーくんが乾かしてくれるんだろうなーと思うとつい自分で乾かしちゃうのがもったいなって思うわけだよ」 「……じゃあもう乾かしません」 「えー。ちーくんが乾かしてくれないなら俺風邪ひいちゃう」 「智紀さんは風邪ひきませんよ」 「なんでー」 「ほらなんとかは風邪ひかないっていうし」 「うわ、ひっでー! 俺すっげぇ傷ついたんだけど」 「はいはい」 「ちーくん」 「なんですか」 「髪乾かしてくれないの?」 「子供じゃないんだから自分でしてください」 「俺はちーくんにしてほしい」 「……」 「まぁこのままにして風邪ひいて、ちーくんに看病してもらうっていうのもいいけど」 「……バカですか」 「バカでいーよ。ちーひろ」 「うわっ」 かぷり、と耳朶を食む唇に背筋が震えた。 「ちーくんに乾かしてほしーなー」 「……ああ、もう。じゃあ早く用意してください」 「はい」 ため息をつけば、あっというまに智紀さんはすでに持ってきてたらしいドライヤーをセットして俺に渡してくる。 もう一回ため息をついて、仕方ないといった感じで智紀さんの頭をタオルで拭いてドライヤーをかけていった。 ドライヤーをかけている間は大人しい智紀さん。 それがまるで猫みたいで実はこっそりその姿を見るのが楽しかったりする。 髪は短いしそんなにたいして時間はかからない。 もうそろそろいいかなーと乾いた髪を整えるように梳いていたら智紀さんがなにか言った。 ドライヤーの音にかき消されて聞きとれず、もう乾いたしドライヤーをオフにする。 「何か言いました?」 「なんて言ったでしょう?」 「知りません」 「冷たっ!」 「なんて言ったんですか」 「んー、好きって言ったの」 「……は?」 「ちーくんに乾かしてもらうのが好きって、ね」 「……」 「あれ、ちーくん拗ねた?」 「なんで俺が拗ねるんですか」 「本当に―――千裕は可愛いな」 「……だからなんでいきなり押し倒すんですか」 「ちーくんが乾かしてくれる指の感触がすっげー気持ちよくて勃った」 「……バカですか」 「バカでいーよ」 俺に覆いかぶさり、触れるだけのキスをしてくる智紀さんに俺は大きなため息を吐きだした。 「俺仕事で疲れてるんですけど」 「俺もー」 「明日も仕事です」 「俺もー」 「なら――…」 言ったって無駄だろうけど釘さしておかないとしつこく攻められそうだ。 「千裕。知ってる?」 「……え?」 「ちょうど一年前、俺とちーくんバーで出会ったんだよ」 「……」 「一年目の記念日。だから―――シないとね?」 「……バカじゃないですか」 そう言いながらも近づいてくる顔から目が逸らせない。 ―――もう一年なのか。 すごく不思議だった。 あの頃俺は好きだった子に失恋して智紀さんも失恋して、それで出会ったその日に―――。 「ちーくん」 「なんですか」 戯れに俺の肌に触れてくる唇が甘く名前を呼ぶ。 目が合うと智紀さんは俺の耳元に唇を寄せて甘ったるい言葉を囁いた。 そして悪戯気に俺を見つめる。 「千裕は?」 「……」 俺はため息をつきながら智紀さんの首に手を回して引き寄せると耳元で本当に小さく、呟いた。 「――です」 満足そうに笑う智紀さん。 俺は顔が熱くなってるのを実感しながら、身体にも生まれ始めた熱にそっと甘い吐息をついた。 【おわり】

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