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第2話

バーのドアベルが静かに響いて何気なくカウンターにいた俺は視線を走らせた。 スーツ姿の男が一人店内に入ってくる。 薄暗い照明の中で、その男は異様に目立って見えた。 20代半ばか後半か。爽やかそうな雰囲気をした顔立ちの整った男。 まだ大学生の俺が社会人の男の地位を推し量ることなんてできないけど、それでもその男は普通のサラリーマンと違うのはわかった。 オーラっていうと大げさかもしれない。 でも華やかで知的な空気をまとってカウンターへと歩いてくる姿を無意識のうちに目で追っていた。 その男が俺が座る席の間一つ空けて立ち止まりカウンターに手を置く。 常連らしい男はマスターとバーテンに声をかけて―――俺を見た。 「こんばんわ」 「……こんばんわ」 「隣いい?」 「え? はぁ」 俺が見すぎていたせいなのか、声かけられたうえにまさかの相席。 正直戸惑いながらジントニックを飲む。 高いスツールのイスに座った男はバーテンに 「とりあえずビール」 と声をかけて背広の内ポケットから煙草を取り出した。 片手で一本取り出して口に咥えて火をつける。 流れるような動作は様になりすぎていてまた目で追ってしまう。 「吸う?」 煙草を差し出されて、結構ですと首を振った。 俺、なにしてるんだ? こんなにじろじろ見てたら不審者だろ。 グラスに視線を落として表面に薄く浮かぶ水滴を眺める。 たまには一人で飲もうとふらり立ち寄ったバー。 初めて入ったこの店を選んだ理由はとくにない。 ただ静かな場所で一人で酒を飲んで――感傷に浸るのもたまにはいいかなと、それだけだった。 「俺、邪魔?」 顔を上げたら頬づえをついた男が口元に笑みを浮かべて俺を見つめてる。 邪魔と言ったら正直邪魔で。 それでも実際目についたってことは多少興味があるってことだろうから、そうでもないとも言える。 「いえ……」 無愛想にするのもなんだから、愛想笑い程度の笑みを浮かべる。 「そう? よかった。俺も一人で飲みたくて来たんだけど、やっぱり人恋しくなって隣に座らせてもらいました」 ……少し変わった人なのか? 気さくといっていいのか、屈託なく話しかけてくる態度はでも嫌な感じはない。 自分の空気に巻き込むのがうまそうな人だな、っていう印象を受けた。 ジントニックを飲んで、たまにはこういう出会いもいいかと会話を続けることにした。 「俺も一人で来たんですけど、俺でよければ話相手になりますよ」 「本当? 悪いね、気を使わせたみたいで」 「いいえ」 素直に嬉しそうに笑顔を向けられて俺もつられて笑顔になる。 それが俺と―――片瀬智紀さんとの出会いだった。 お互い簡単な自己紹介をして、初対面だというのに打ち解けるのはあっという間だった。 智紀さんからもらった名刺には"代表取締役"なんていう肩書があってびっくりするのと同時になるほどなとも感心。 小さい会社だよ、とは言っていたけど、やっぱりなにかしら上に立つ人は違うんだなと実感する。 俺自身人見知りする方ではないけど、それでもまるで昔からの知り合いのように思えるくらい会話が弾むのは智紀さんのリードがうまいからだと思う。 「それにしてもいいなぁ、大学生」 「そうですか?」 「合コンしたい」 「すればいいじゃないですか」 三杯目になる酒を飲みながら智紀さんはしみじみと呟く。 「それに別に合コンなんかしなくてもモテそうだからすぐに彼女できるんじゃないんですか?」 彼女、か。 恋愛ネタはいまは避けたかったけどしょうがない。 胸の奥がちくちく疼くのを無視して残り少しになっていたジントニックを飲みきった。 「まぁモテはするけど」 あっさり認めても智紀さんなら嫌味じゃないから不思議だ。 「でも好きな子に好きになってもらわなかったら、意味ないよね?」 「……」 俺は――笑えてるだろうか。 もうとっくに諦めて、封印した気持ち。 「俺、最近振られたんだよね」 「え?」 俺と――同じ? イヤ違うか。俺は気持ちを伝えることはしてなかったから。 智紀さんは静かにグラスを置くと笑った。 「千裕くん、も、だろ?」 「……は?」 まるで俺のすべてを見透かすような目。 動揺よりも先に単純に驚いた。 「なんで」 「だって」 ――泣きそうな顔してたから。 智紀さんの言葉に、俺はどんな反応をすればいいのかわからずにグラスを傾けて空だったことに気づいた。 「千裕くん」 俺はそんな顔してる? いや、してるつもりはない。 「よかったら店かえない? 俺の失恋話、聞いてよ」 俺の話をするつもりはない、けど。 智紀さんも俺と同じなんだと思ったら、頷いていた。

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