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第8話

一気に頭から冷水を浴びせられた気がした。 堪え切れず、 「すいませんっ」 と智紀さんの腕から逃れようとしたけど腰に手をまわされた。 たいした拘束じゃなかったけど、何故か振りほどけなかった。 ただ後孔に触れていた指は離れていってひとまず安心する。 「いいよ。初めてだもんね、怖いよね」 怖い……というか、いや怖いが。 それよりもなんで俺、流されてるんだろう。 そんな今さらなことを考えてしまう。 相手は男で初対面なのに、風呂にまで入って――互いの性器を擦り合わせて。 「あ、ちょっと萎えた」 握ったままだった智紀さんが呟いて俺を笑いを含んだ目で覗きこむ。 「なに、素面にでも戻った?」 「……いや……あの」 「まあ別にいいよ」 まったく気にする様子もなく智紀さんは笑って俺のものを解放した。 「……あ」 なんでこんなこと、と思ったばかりなのに離されると物足りなさに身体が疼いて思わず声が出た。 やばい。 自分の漏らした声に真っ青よりも真っ赤になったのはすぐに智紀さんが可笑しそうに笑って俺の耳を舐めてきたから。 「どうしようか。とりあえず抜く?」 正直迷った。 冷静を取り戻した理性の一部が男同士だぞってストップをかける。 だけどそれでもいい、と流されようとしている自分もいる。 決め切れずに俺は揺れる水面に視線を落とす。 いっそあのまま強引にでも快楽を与え続けてくれればよかったのに。 少し萎えはしたけどまだ硬さを残した俺のものはすぐそばにある智紀さんのに微かに触れていて、その硬さを感じるたびにぞくぞくと背筋を這う刺激があった。 「ちーくん、どうする?」 「……智紀さんは」 揺れる理性と思考。 頬に滑る智紀さんの指に視線を上げたら甘い眼差しが俺を捉える。 相手は男だ。 だけど、いや、でも。 「なに?」 「……どうしたいんですか?」 ―――俺はひきょう者だ。 「俺?」 可笑しそうに口角を上げるその綺麗な顔から少し視線を逸らして、ぎこちなく言葉を続ける。 「……傷の舐めあい……するって言ったのは智紀さんだし……。智紀さんは俺がもういいって言えば、止めるんですか?」 ズルイなと自分に呆れる。 こんな遠まわしじゃなく、素直に言えばいい。 けど、自分じゃ決め切れない。 たとえ一夜限りかもしれなくても自分からは言えない。 沈黙が落ちて、ジャグジーの泡が吹き出る音だけが夜の中に響く。 じっと背けた顔に視線を感じた。 「―――じゃあ」 ちーくん、と言って智紀さんの手が俺の腰から離れていった。 え、と戸惑うように智紀さんを見たら唇が触れそうなほど顔を近づけられた。 さっきよりも一層の妖艶さを増した微笑が向けられる。 「俺の好きなようにするけど、いい?」 その瞳に捕らえられる。 「ちーくんがやめてくれ、っていってもやめないけど。いーい?」 「……」 ごくり、と唾を呑む音がやけに大きく響いた。 俺は余計なことを言ったのかもしれない。 ただ黙って流されてた方がよかったのかも。 そんな気がして、だけどもう後にも退けず――小さく頷いた。 瞬間、ものすごく楽しげに智紀さんの目が瞬いて、怯んだ。 けどもう――遅かった。 心臓の音が耳にうるさい。 俺はこれからどうなるんだろう―――。 唾を飲み込む音が自分の中でやけに大きく響いた。 けど――― 「でさ、ちーくんの好きな子ってどんな子なの?」 と、智紀さんは俺から離れると大きく伸びをして湯船につかりなおした。 人一人分ほど空いてしまった距離に拍子抜けする。 「……え、は」 「好きだった従妹ちゃん。どんな子?」 「……えっと……男嫌いだったんです。幼稚園の頃、男の子にいじめられて……それでトラウマになって男が苦手になって」 「へぇ、可哀想に」 さっきまでの熱があっという間に霧散していくようだ。 結局智紀さんは、もうなにもしないということにしたんだろうか。 「……でも俺だけは平気だったんです。だから……俺は彼女のナイト気取りで……」 智紀さんは真面目に俺の話に耳を傾けていて、だから俺は少しづつ鈴のことを話していった。 話すたびにどんどん心が落ち着いていく。 どんどん、冷静になっていく。 そうすると初対面の智紀さんとこうして風呂に入っているという事実が改めておかしいと気づかされて、さらに冷静になる。 「そっか。ずーっと好きだったんなら、なかなか忘れられないよね」 「……」 もう諦めた―――違う、俺は鈴の幸せを願って、だから俺の気持ちはもう終わらせたんだ。 だけど簡単に忘れられるはずもなく、だから答えきれない。 黙っていると智紀さんが立ちあがった。 視線を上げると笑顔で、 「あがろうか」 と促された。 「……はい」 一緒に連れ立って上がるのも微妙だったから智紀さんが先にあがって、俺は少しして上がった。 もうすっかり俺の身体は落ち着いてしまってる。 やっぱりもうシないんだろうな。 俺ももうそういう気分じゃなくなってるし。 脱衣所で身体を拭きながらため息をつく。 少し……残念な気がする、なんてどっか俺おかしくなったんだろうか。 きっと男同士なんて未知の世界に足踏みこもうとしてたから少しまだ変に気分が高揚してるのかもしれないな。 「……あ、どれ着よう」 綺麗に身体を拭いて、そしてどうしようかと迷った。 バスローブ、パジャマ……。 いやその前にこのままここに泊まるんだろうか。 いやもうシないなら帰る、とか? でも智紀さんの服はそのまま置いてあってバスローブが一着減っていた。 それにならって俺もバスローブを手にする。 えっと……それで下着……。 当たり前だけど風呂に入る前脱いだものしかない。 それを履いていく、よな? 履かない方がおかしいよな? なんで俺はこんなことで悩んでるんだろう。 本当にどこか頭のねじが一本飛んでしまったんじゃないのか。 自分に呆れながら結局下着をつけバスローブを着て部屋に戻った。 だけどそこに智紀さんの姿はなくて寝室に向かう。 開いていたドアから中を見ると棚みたいなところを開けてなにか出しているようだった。 なにしてるんだろう。 寝室に足をそのまま踏み入れて、目に入った大きなベッドに緊張する。 でも、きっともうなにもない―――よな? 智紀さんは俺が入って来たのを気づいていないようだ。 髪から水滴が頬を伝ってきて、髪を乾かして来ようかとバスルームにまた戻ろうとした。 だけど手を掴まれる。 「ちーくん、どこ行くの?」 気づいていたのか。 智紀さんが音もなく俺の傍に立って目を細める。 「えっと、髪乾かそうかなと思って」 「別に濡れたままでもいいんじゃない? 濡れ髪もなかなかそそるよ?」 ……そそるって。 「そうそう。それでさっきの続きになるけど」 「……つづき?」 動揺する自分を宥めながら問い返す。 首を傾げた智紀さんは―――妖しく目を光らせた。 「ちーくんはさ、その従妹ちゃんをオカズにシたことある?」 「―――」 その問いに、 その意味に、 一瞬で頭の中が真っ白になった。 そしてゆっくりと手を引かれてベッドに座らされる。 「忘れるのって、痛いよね。傷じゃあないけど、まぁでも傷みたいなものなのかなぁ? 膿を出すのも痛い、って知ってる?」 「……え。あ、あの」 智紀さんの手が俺の頬をかすめる。 いや、そうじゃなくて。 視界が遮られる。 暗くなる。 「膿んでひどくなるとさ、傷口にメス入れてぱっくり開いて力任せにしごいて膿みだして、って相当痛いよね。思わない?」 「と、ともき、さん」 俺の目につけられた、たぶんアイマスク。 「まあでも出してしまえばすっきり治るの待つだけだし、ね?」 肩が押されて、ベッドに倒される。 柔らかなスプリングに身体が沈む。 一層、頭の中は白んでいって、戸惑う俺の両手が頭上でなにかに、縛られる。 それからバスローブの襟元に手が触れて、小さく身体が震えた。 「ちーくんは、大好きな彼女でシたことある? 俺に教えてよ」 甘い、けれどそれはまるで、命令。 「……あ、あのっ」 ようやくの思いで声を発したけど。 「俺のやり方、でいいんだよね?」 笑う声がして―――やっぱり、俺はとんでもない人に捕まったんだって再認識した。 ***

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