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第51話
考えなきゃいけない、そう分かっていても仕事を理由にして後回しにしてしまう。
実際は連休があったせいで考える時間もあったわけだけど……付き合うということを思い浮かべすぐに打ち消してばかりだった。
だって、あの人が俺に告白した要素が、どうしてもわからない。
結局答えをだすという地点にも辿りつけず、あっという間に毎日が終わっていく。
見ないフリしていてもその日は否応なくくるわけで。
目前に迫った期日にハッとしたのは木曜の夜、智紀さんからのメールでだった。
明日の夜、中華を食べに行く約束をしたのは先週のことなのに遠く感じると同時に、もう、と早くも感じて。
―――別に、俺はあの人のことが嫌いなんじゃない。
そう、思いながらも、明日8時に、というメールを確認して俺は深いため息をついたのだった。
***
「北京ダック、いいの?」
メニュー越しにちらりと俺を見てくる智紀さん。
約束していたとおりに訪れた中華料理店。
何を頼もうか、やっぱりこれは外せないだろ、なんて言いながら注文を決めていって、この前会ったときに言っていたメニューがなかったから訊いてみた。
「いいですよ。別に」
確かに多少高いけど、払えないほどってわけじゃないし。
それに初給料で奢るって決めてたから遠慮はしてほしくない。
「やった! ラッキー」
ラッキーって……。
十分金持ってて、いつでも食べれるだろうに、なに言ってるんだろう。
本当変な人だよな、智紀さんって。
ふっとつい口元が緩む。
それに気づいた智紀さんが「なに笑ってるの、ちーくん」と言ってくる。
「いえ、別に」
「まぁだいたいの予想はつくけどね」
「……なんですか」
「智紀さん今夜も素敵だなーとかだろ?」
「……」
いつもと変わらない智紀さんを放っておいてウエイターを呼ぶと注文をした。
料理とお酒も注文して、きっと会話も弾んで楽しいディナーになるんだろう。
―――それが長く続いてほしいと思うっている自分にうんざりとする。
"今日"になってしまったっていうのにまだどうすればいいかわからないとか。
ないよな。
少ししてビールが運ばれてきて乾杯をした。
「ちーくん本当に社会人になったんだなぁって感慨深いね」
「大袈裟ですよ」
「いまからどんどん大人になっていくんだねぇ」
「だから大袈裟ですよ」
俺は胸の底で燻るものから目を逸らして、ただ必死にいつも通りを取繕って、笑った。
きっとそんな誤魔化しなんて、この人には通用しないんだろうとわかってはいたけれど。
――――
―――
――
「北京ダックうまー」
ちーくん、巻いて?ってなんの期待なのかよくわからない眼差しで見つめられてため息つきながら北京ダックを葱や薬味とともに餅皮に包んで渡してあげると嬉しそうに美味しそうにバクバク食べている。
「智紀さんってそんなに北京ダック好きなんですか」
「んー?」
ぺろりと、だけど決して粗野じゃなくて綺麗に食べ、口元をナプキンで拭きながら智紀さんはにこりと笑った。
「もちろん好きだけど、それ以上に」
「以上に?」
「こうしてちーくんが俺のために甲斐甲斐しく餅皮に包んでくれて食べさせてくれるのがいいよね」
「……」
いや、あんたが巻いてって言ってきたんだろう。
そんなツッコミを言う気力もなくため息を返事がわりにする。
「ちーくん、もう一個ちょうだい?」
俺の呆れた表情なんて気にも留めずにこにこと手を差し出す智紀さんに、もう一度ため息をついて黙って餅皮を手にした。
***
どの料理も美味しく、円卓には二人でよく食べ切れたなっていう量の皿が空になっていた。
「結構食ったなー」
「俺かなり苦しいです」
酒も入ってなんだかんだあっという間に和やかに食事が終わってしまった。
白酒をストレートでずっと飲んでいたせいか酔いが結構まわっている気がする。
じんわり熱い身体とふわふわする思考。
満足感と満腹感にゆっくり息を吐き出し水を飲んでいたところで智紀さんが「そろそろ出ようか」と言った。
頷いて席を立つ。
「御馳走様、でいいのかな」
「もちろんです。絶対俺が払いますから」
「ありがとう。御馳走になるよ」
「いいえ」
こっちこそいつも御馳走になってるんだしな。
レジで会計を済ませる。大まか予想通りの金額。
今回だけじゃなくこれからは俺も奢らせてもらうようにしないとな。
―――そう考えて違和感を覚えたけど、酔いのせいか思考が鈍くてなんなのかわからなかった。
店の外にでると素面なら肌寒さを感じそうな空気が火照った身体には心地よかった。
「ちーくん、酔ってる?」
智紀さんと並んで歩きだす。
「別に……少しくらいですかね」
「そう? 結構飲んでたよね」
「料理美味しかったし、それに―――……」
「それに?」
言葉が途切れた俺に智紀さんが顔を覗き込むようにして聞いてくる。
「……えっと」
それに、なんだったんだろう。
やっぱり俺酔ってしまったのかな。
こめかみ押さえて軽く頭を振ると、智紀さんがくすくす笑う。
「本当可愛いなあ、千裕は」
不意に名前で呼ばれ心臓が跳ねた。
「可愛くないですよ、全然」
智紀さんは相変わらずくすくす笑っていて、いったい何のスイッチ入ったんだなんていぶかしんでたら手が握られた。
「ちょっと遠回りしよう」
そう手を引かれる。
駅へとじゃなく、裏路地へと入っていく。
おいおいこんなところ連れ込んでこの人何する気だよ。
「どこかお店に入ってもいいんだけどさすがにね。人の目もあるし」
「人の目……って」
一体なにを、と眉を寄せてると智紀さんが立ち止まり俺に向き直った。
シンとした人通りのない静かな路地。
頭上高く、遠くにある月が満月だということをいま知った。
「ちーくん」
甘さを含んだ声が呼んで俺の手を握り締める。
え、まさかこんなところでヤったり―――。
焦ってると握りしめられた俺の手が持ち上げられ、その甲に唇が押しあてられた。
そしてまっすぐに智紀さんが俺を見て、笑う。
全部絡みとられるような眼差しに言葉を失っていると、
「教えてくれる?」
と握られていた手が、指を絡み合わせる繋ぎ方に変えられ
「酔うほど酒飲んじゃうくらい悩んでた答え」
そう、言われた。
「……答え……」
「そ。千裕。俺の告白の返事は? イエス? ノー?」
「―――」
冷や水を浴びせられたように一気に思考が覚醒する。
酔いは醒め俺は顔を強張らせた。
うまい食事と酒に逃げて、目を逸らしていたこと。
唾を飲み込む音が、やけに大きく身体を震わせた。
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