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―― 幸せのいろどり(3)
「…… あ、彼、こっち来るよ」
静香は、口元に手を翳して、ヒソヒソ話をするように声のトーンを落とした。
さりげなく視線を巡らせば、定位置だった柱の影から、真っ直ぐにこちらへ歩いてくる彼が目に入った。
「ご注文、お決まりですか?」
低過ぎず、高過ぎず、まだ落ち着ききっていない、ゆるやかな成長途中の声質。
にこっと、少しはにかんだ笑顔を見せてくれた。
「ケーキセットを……」
静香の言葉に、彼は一旦立ち去り、何種類かのケーキをトレイに乗せて戻ってくる。
「お好きなのをお選び下さい」
そう言って彼が差し出した数種類のケーキが並ぶトレイを、静香は嬉しそうに眺め、さっきメニューでどのケーキにするか既に決めている筈だったのに、わざと首を傾げてケーキを選ぶ仕草をしている。
俺は、半ば呆れながら、静香を見つめていた。
注文を訊いて、立ち去っていく彼の後ろ姿を見送ってから、俺は静香へ視線を戻した。
「さっき、どのケーキにするか決めていたのに、彼にわざわざケーキを持ってこさせて、悩んでるふりしただろ?」
小さな声で咎めた俺に、静香は悪戯っぽい表情で笑う。
「…… ふふっ、でも少しでも長く、お気に入りの彼を近くで見れたでしょ?」
「お気に入りって……、俺は…そんなつもりじゃ……」
「彼、可愛いよね。 私も近くで顔をよく見てみたかったんだもの」
悪びれずに、そう言って笑う静香に、俺は小さく溜息を漏らして苦笑した。
***
「今日はこの後、どうする?」
大好きなケーキを食べて満足そうな顔の静香に、店を出たところで今夜の予定を尋ねると、静香は急に申し訳なさそうな顔をして、「ごめんね」と謝る。
「今夜は、彼の家に行く約束をしてて……」
「いいよ、そんな事で謝らなくても。 二人で準備しないといけない事とかもあるだろうしね」
「うん……」
「じゃあ、俊之くんの家まで送るよ」
そう言って、駐車場へ歩き出そうとした俺の腕に、静香が腕を絡ませてきた。
「…… どうした?」
立ち止まって、俯いてしまった顔を覗きこむと、静香は瞳いっぱいに涙を溜めている。
「…… ごめんねお兄ちゃん。 一緒にいられるのは今日が最後なのに、時間取れなくて」
―― なんだ…… そんな事、気にしなくていいのに。
「…… 馬鹿だな」
静香の泣き顔を見るのは、久しぶりだな…… なんて思いながら、俺は妹の頭に、軽くポンと手を置いた。
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