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—— 幸せのいろどり(38)
—— 明日、逢える。
そう考えただけで、自然に口元が緩んでいた。
腰掛けていた椅子から立ち上がり、パーティ会場に戻ろうと中庭の入り口へ向かうと、入り口の横の壁に凭れて煙草を燻らせている男がいた。
スラリと俺よりは高い身長で、端整な顔立ちの中年の男。 さりげなく着崩したスーツ姿が粋でセンスがいい。
煙草を指に挟み口元へ持っていく仕草も、サマになっているな、なんて思いながら、その側を通り過ぎてホテルの中へ入ろうとする俺に、男が声をかけてきた。
「パーティ抜け出して、彼女に電話か?」
「—— ?」
いきなりかけられた言葉に驚いて、足を止めて振り向くと、男は一息紫煙を吐き出して口元に笑いを浮かべている。
知らない男…… だと思ったけれど、何処かで会ったことがあるような気もする。
振り向いたまま何も言わない俺に、男が近付いてきた。
「透くんだろ?」
「…… そうですが……」
パーティに来ている客の一人か。 それとも過去に面識のある人間なのか。 思い出しそうで、思い出せない。
「はは……、憶えてないか。 まあ、当然だろうな。 前に会った時は、君はまだ中学生か……、高校生になったくらいだったんじゃないかな」
「…… 申し訳ありません、憶えていなくて。」
その人は、神谷貴志と名乗った。
昔、父の会社に勤めていて、やはりパーティの時に一度だけ会ったことがあると言う。
だけど俺が、何処かで会ったことがあるような気がしたのは、パーティなんかじゃなかった。
名前を訊いて、思い出した。
設計事務所の社長で、賞を幾つも取った結構有名な建築デザイナーだった。
才能もあって、若さとその容姿で話題になり、テレビや雑誌でも時々見かけていた。
「透くんも吸う?」
2本目の煙草を口に咥えながら、指でトントンと音を鳴らし、箱から煙草を1本覗かせて俺の目の前に差し出した。
「…… いえ、俺は吸いませんから」
「そ?」と、言いながら、神谷さんが煙草に火を点ける。 オイルの匂いが風に乗って漂ってきた。
「坂上社長のとこのご令嬢と結婚するんだって?」
俺に視線を合わせて、紫煙を吐き出しながら、ニヤリと笑う。
「…… ご存知なんですか」
いきなり振られた話題に、言い淀んでしまった。
「まあね……」
咥え煙草で、両手をポケットに入れて肩を竦め、「寒いね、ここ……」と言って、口角を上げる。
「…… で? ゆくゆくは合併するんでしょ?」
「…… さあ、そこまでは…… 分かりませんけど」
今日のパーティに出席するくらいだから、父の会社のこともよく知っているんだろうけど、何処まで話していいのか躊躇していた。
「…… ふーん、それで将来は透くんが会社を継ぐって道が出来てるんだね」
「…… いえ、俺は……」
まだ分からないですと言いかけると、神谷さんが名刺を取り出した。
「透くんのお父さん…… 社長はそれを望んでんのかな」
「……」
神谷さんが、何を言いたいのか解らなかった。
「まあ、それはいいや」
短くなった煙草を揉み消し、吸殻を携帯灰皿に入れて、俺に視線を向ける。
「透くん、俺の会社に来ない?」
「—— え?」
神谷さんはニヤリと笑って、俺に名刺を差し出した。
「もし、興味があったら、いつでもいいから連絡してきなさい」
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