304 / 351

 ―― 幸せのいろどり(69)

「透が、直のことを今だけの遊びの関係だと思ってんなら、俺が掻っ攫っても文句ないよね?」 「……」  俺は遊びだなんて思っていない。 だけど、光樹先輩のように、その先のことまでは考えることができない。  それが『遊び』だというのなら、それ以上は何も言うことができない。 「…… さてと…… じゃ、王子様の様子でも見てこようかな……」 「―― 待っ…… 直くんのところに行くんですか?」  ―― 光樹先輩が、直くんの部屋に行ってしまう。  さっき別れたばかりの直くんの姿が頭を過ぎって、ドアを開けようとする光樹先輩の腕を、思わず掴んでしまっていた。 「…… どうしたんだよ…… ?」 「……」  言いかけた言葉が、喉の辺りで詰まってしまう。  ―― 何も言えない……、俺には何も……。 「透、大事な時に言葉にできないのは、お前の悪い癖だな」  何も言えなくて動けなくて、腕を掴んだままの俺の手を、光樹先輩はゆっくりと剥がしながらそう言った。 それはまるで出逢ったあの頃のように宥めるような声と、兄のように包み込むような眼差しで。  そして、少し困ったような笑みを浮かべながら、俺の目の前に名刺を差し出した。 「そこ、俺の経営してる店。 今度呑みに来いよ」  俺の手に、名刺を握らせて助手席のドアを開けると、今度こそ素早く車を降りてしまう。 「光樹…… せんぱ……」    今は、直くんのところに行かないでほしい…… そう言いかけたところで光樹先輩は振り返り、俺に向かって指をさす。 「絶対、来いよ」  それだけ言って、光樹先輩は車のドアを閉め俺に背中を向けてしまう。  小走りにマンションの中へ消えていく後ろ姿を、俺は車の中から見送ることしかできなかった。 「―― ッ、」  また、胸の奥から抑えていた苦しい想いがこみ上げてくる。 「―― くそッ!」  握った拳でステアリングを叩き、そこへ突っ伏した。 「…… ッ、ぅ」  堪えきれない感情を握った拳で発散させただけでは足りなくて、熱くなった目頭を手の甲に押し付けて唇を噛み締めた。  一頻りそうして荒れる胸の内を鎮め、漸くエンジンをかけた。 車内は暖房が効いて冷えた身体も温まってきているはずなのに、身体全体がまるで悴んだように暫く動けずにいた。  光樹先輩を追いかけて、直くんの部屋に行くなと言えば良かった。 俺も直くんの事を本気で好きだと言えば良かった。 理屈じゃなくて、直くんの傍にずっと居たいと言えば良かった。  ―― 今更 ……。  全部、今更なことだ。 後悔しても遅いのに。将来のことも含めて直くんの傍に居ると言った光樹先輩と、二人の将来なんて見えなくて、今この時を少しでも長く一緒に居たいと思っていた俺。  俺の存在を知っていても、直くんに愛を伝えた光樹先輩と、身体に残った痕跡だけで、直くんを傷つけた俺。  もうとっくに答えは出ていたんだ。 それでも、ひと言だけでも伝えたかった。 「直くんを……、愛してる」  呟いた言葉は、どこにも届かないのに……。

ともだちにシェアしよう!