311 / 351

 ―― 幸せのいろどり(76)

 じっと見つめられて居心地が悪い。 「…… なんですか…… ?」 「あーぁ、やっぱキスはやめた」  そう言って光樹先輩は、身体を起こした。  どこか子供みたいな物言いに、緊張の糸が解れて思わずクスっと声を漏らしてしまっていた。 「男同士は、ノーカウントじゃなかったんですか」 「そうだけどね。 キスは熱を抜く行為にならないし……」  光樹先輩特有のルールに、俺の思考は付いていけてないけれど、そこで止めてくれたことに、内心はホッと胸を撫で下ろしていた。 「キスは、やっぱり好きなやつとじゃないとね。 透は直が好きだし、俺も直が好きだし」  光樹先輩の言葉はいつだって軽すぎて、本心は見えない。 本当に本気で直くんと付き合っているとは、どうしても思えなかった。 「好きだなんて…… 本気で思ってないんでしょう?」  一時の気まぐれで、直くんを傷つけてほしくないと思った。 「酷いな、そんな風に思ってたの?」  光樹先輩は、ベッドに仰向けになったままの俺の隣に横たわると、肘枕をして溜息混じりにそう言った。 「違うんですか?」 「俺は、いつだって本気だよ」  ―― それが信じられないんだけど……。  言葉には出さなかったけど、俺の表情から言いたいことを感じ取ったのか、光樹先輩は言葉を続ける。 「本当だよ。 俺は、好きでもない相手には手を出したりしないよ」  不意に光樹先輩の指が俺の唇に触れて、軽くなぞるように動く。 「…… あの頃、透のことも、本気だった」  その言葉に昔の記憶が思い起こされて、胸のざわつきを感じた。 「…… 信じませんよ。 そんな昔のこと」 「まあ、今更だよね。 それは昔の話だし」  光樹先輩は少し困ったような顔をして、言葉を続ける。 「今は、直のことが誰よりも好きだよ」  それは、いつもの軽いノリとは違う、言葉に重みを感じて、  ―― ああ…… そうか…… と、思う。 やはり…… 光樹先輩は本気なんだと。 「そうですか……」  本気でこの先も、直くんと生きていくことを考えていると、漸く信じられる気がしてきた。  ―― それではもう……、本当に俺の出る幕は無いのだと、自分に言い聞かせるしかなくて……。 「光樹先輩が直くんのことを本気で思っていて、直くんもそれを望むのなら、俺は……」 「――身を引くとか、言わないでよ?」  言いかけた言葉は、光樹先輩の意外なひと言に遮られる。 「―― え?」  なんでそうなるのか、光樹先輩の考えることは予測がつかなくて、俺は、次の言葉を待って、その唇が動くのをじっと見つめた。 「透が、初めて本気で好きになった相手じゃないの? 直は」  その言葉は、絡んで縺れてしまったままの糸を解すように心に響く。  生まれて初めて、嫉妬を覚え、生まれて初めて、哀しみを覚え、生まれて初めて、手放したくないと心から思った。  光樹先輩に言われて、初めて気付くなんて……。  きっと、この気持ちは、ずっと変わらない。 ―― 永遠に続く愛なんて、信じていなかったのに。

ともだちにシェアしよう!