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偽りの運命の番

「父さん、どうやら俺は”運命の番”というものを見つけたみたいです」 桐生時政が、そう心にも無いことを言ったのは、単純に両親が勧めてきた見合いの相手のアルファ女達が、どれも気に入らなかったという理由だけだった。 しかし、運命の番を見つけたと言ってしまったからには、その相手を両親に紹介しなければならない。 そこで、その場しのぎの為だけに用意された”運命の番”が幸弥だった。 桐生家は、代々から受け継がれている生粋のアルファの家系であり、自動車産業で財を成した、近隣一帯に知らぬものが居ない程の財閥一家である。 時政は副社長として、そしてゆくゆくは社長になることを約束された立場として経営の一端を担っていた。 その桐生グループの末端になる、部品製造工場の工場長の末の息子が幸弥だった。 幸弥の両親は二人ともベータであり、上の兄と姉もベータであったが、幸弥だけはオメガであった。 それ故に、幸弥は家庭の中でも疎ましい存在として扱われていた。 オメガであるということは、それだけでリスクの高い存在だ。検診でオメガだと判り、絶望してしまうものも少なくない。 発情期ともなれば、ろくに動くことも出来なくなってしまうので、どこの会社もオメガと聞くと採用に難色を示すところが多く、運良く採用されても、任される仕事といったものはあまり重要ではない、悪く言えば、いつでも替えのきくような仕事が大半になってしまう。 日常生活においても、毎日必要なピルから発情期用の特効薬まで、保険がきくとはいえ、薬代もなかなかバカにならない。 そして、なんといっても発情期中に放たれるオメガフェロモンに当てられ、突発性発情、いわゆるヒート状態に陥り、理性を保てなくなったアルファに襲われ、望まない妊娠をしてしまう可能性がある。 そんな気苦労の絶えない性である故、家族としての負担も相当なものとなってしまう。 幸弥は高校を卒業して、すぐに父親が工場長を務める工場の作業員として働き始めた。 幸弥としては周りの友達と一緒に大学に通いたいと思っていたが、そのことを両親に相談したところ、あまり良い顔しなかったため諦めた。幸弥も自分自身のオメガ性に後ろめたさを感じていたので、それ以上の我が儘を言う気にはなれなかったのである。 そんな幸弥と時政が初めて出会ったのは、桐生グループ創立五十周年記念に行われた祝賀パーティの席であった。 一八六cmの長身にイタリアブランドのタキシードをサラリと着こなし、深い栗色の髪は丁寧に整えられており、切れ長の目に高く通った鼻梁を持った端整な顔立ちで、文句のつけられない容姿を持った男。 時政はまだ若いながらも、その容姿に相応しい、堂々としたスマートな立ち振る舞いで出席者たちに挨拶をして回っていた。 隣にいた社長、時政の父親は何人かの若い女性を時政の近くに呼び寄せては「綺麗なお嬢さんだろう」だの「いい大学を出た、とても優秀な女性だぞ」だの、と必死に時政に紹介しているところを見るとどうやら皆、息子の花嫁候補にと考えているアルファの女性たちなのだろう。 父親としても、息子に早くアルファの女性と一緒になって、ゆくゆくはアルファの孫をとでも考えているようだ。 代々アルファの家系故に、血筋には敏感になっているのだろう。 そんな父親の考えは、時政も重々承知である。どの女性にも穏やかな笑みを浮かべ、女性の喜びそうな返事をして、和やかにその場を対応していたが、その腹の中では完全に相手の女性をスルーしていた。 確かに紹介された女性は一様に美しく、聡明そうな印象の女性ばかりで、不満はないが面白味も無い、と時政は思っていた。 高級ブランドのドレスやアクセサリーをこれ見よがしに身に付け、非常に巧みな化粧で艶やかな顔を作り上げ、男ウケしそうな笑顔を向けてきて、財閥の跡取り息子である時政に、取り入ろうと積極的に話し掛けてくるアルファ女性をかわし、時政がホールを歩いていると、一人の壁の花に目が止まった。 小柄で華奢で、ダークスーツは着ているというより、羽織っているという方が近いくらいに似合っておらず、若い、というより幼いと形容してもよさそうな印象の青年。 青年は長めの前髪が顔にかかり鬱陶しげだったが、その間から見える艶やかな長い睫毛が印象的で、妙な色気を放っていた。 青年はいかにも所在無さげといった風で、俯きながら手に持っていたグラスを弄んでいた。 その青年が幸弥であった。 時政は幸弥を一目見るなり、幸弥がオメガであると感じ、興味を持った。 幸弥からはアルファ特有の自信に満ち溢れたオーラは微塵も感じられず、かといってベータでは出せないような、儚げで危うく、そして煽情的な雰囲気を醸し出していた。 アルファの狩猟本能のようなものが、僅かに匂い立つオメガ性のフェロモンを嗅ぎとり、狩るものとしての興味を刺激し、その後の行動に突き動かしていったのかもしれない。 時政は真っ直ぐに幸弥の元へと向かっていき、幸弥の真正面に立った。容姿端麗な男に何の前触れもなく、突然目の前に立ち塞がれ、幸弥が戸惑っていると、時政は冷静な様子で幸弥に話し掛けた。 「退屈しているようだね」 話し掛けられた幸弥は、不安そうな瞳を落ち着かなそうに動かしながらも、何か返事をしなければと、必死になっていた。 「こういう場所は慣れていないから、どうしたらいいか分からなくて」 「別にどうとしたこともないだろう、適当に周りに合わせてればいい」 時政はさっきまでのアルファの女性たちとは違う、ひどく冷淡な態度で幸弥に話している。 「率直に聞こう」 時政は幸弥の耳元へ顔を近づけ、囁くように問いただした。 「お前、オメガだろう?」 幸弥はビクッと首元を震わせて目を見開き、時政の顔を見つめた。 「なっ、何で分かったんですか?」 明らかに動揺した雰囲気の幸弥を尻目に、時政は揶揄うような口調で返事をした。 「俺がお前の運命の番だからさ」 そう、空言を言ってみせた。 艶やかな睫毛が不安に揺れる度に、もっと揶揄って遊んでやりたいといった思いが沸々と湧いてくる。 「この祝賀パーティに参加してるってことは、ウチのグループの社員か? それとも得意先の関係者か?」 「父が桐生グループさんのところの工場長をしています。小さい工場ですけど」 「そうか、お前の名前は?」 「……川上幸弥です」 時政の傲慢な態度に、いきなり運命の番だと言われて、幸弥はひどく動揺してしまい、落ち着きを取り戻していなかったが、咄嗟に名前だけは返事をしてしまっていた。 「川上幸弥か、分かった。近い内に必ず迎えに行くから、それまで待っていろ」 それだけ伝えてしまうと、時政は身を翻してさっさと人混みの中へと歩いて行ってしまった。 残された幸弥は、突然の時政の行動に振り回され、頭の整理がつかない状態でただただ呆然と立ち竦んでいた。

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