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契約の番

祝賀パーティから三日後、幸弥は仕事中だったが父親から呼び出しがあり、仕事を中断して事務所に向かった。 扉を開けて中に入って行くと、相変わらず簡素な事務用デスクが並べられていて、机の上には文房具やら書類やらが雑然とおいてあり、事務の人間が皆一様に整理整頓が下手なのだということを物語っていた。 デスクの列の一番奥に工場長である幸弥の父親のデスクが置かれている。父親はデスクに座って書類の整理をしていたが、幸弥に気付くと手を止めて、幸弥の元へと歩み寄ってきた。 「幸弥、実は本社の副社長から連絡があってな、お前をぜひ花嫁として迎えに入れたいと言われたよ」 予想もしていなかったことに幸弥は面食らってしまった。 「何でいきなりそんなこと、何かの間違いじゃないの?」 「俺もそう思ったから確認してみたが、どうやらこの前の祝賀パーティでお前を見かけて気に入ったらしい、お前心当たりないのか?」 そう問われて、幸弥はあの傲慢で不遜ではあるが、眉目秀麗なあの男の顔が浮かび、はっとした。 ーー近い内に必ず迎えに行く。 (あの男はそんなようなことを確かに言っていた。まさか本社の副社長だったなんて) 「でも、いきなり花嫁なんて」 確かに妊娠可能なオメガを花嫁と呼ぶこともままにあるが、オメガではあっても、男である自分が花嫁と呼ばれることに違和感を感じる。そんな、唐突過ぎる展開に幸弥の思考は混乱しっぱなしであった。 普段から自身無さげで、オドオドとしている節があるが、今は更に拍車をかけて狼狽している息子を見て父親は、極めて明るい口調で話しかけてきた。 「いや、良かったじゃないか。まさかお前がこんなお偉いさんに目を掛けてもらえるなんて。相手はアルファなんだから、オメガとして冥利につきるだろう」 狼狽している幸弥とは対照的に父親は上機嫌であった。それもそうであろう、今まで悩みの種でもあったオメガの息子がアルファの、しかも財閥の時期社長に見初められたのだ、将来安泰を約束されたようなものである。 「そういう訳だから、明日に副社長の自宅へ招待されたから行ってきてくれ。仕事は休みにしておいたし、ちゃんと迎えの車も出してくれるそうだ」 父親は息子の肩を二度ほど軽く叩き、満面の笑みを浮かべて「失礼のないように、しっかりやれよ」とだけ言ってしまうと、幸弥に仕事に戻るように促し、自身は再びデスクに戻り書類の整理を開始した。 幸弥は仕方なく事務所を出て、仕事場へと戻ることにしたが、事務所を出た途端に、あの男の顔を思い浮かべて深い溜め息をついた。 突然降ってわいた縁談話に幸弥は納得できるはずがなかった。たった数分会っただけ、しかも相手が一方的に話を進めて、幸弥の方はそれに翻弄されただけの、はっきりいって、幸弥にとっては最悪の出会い方であった。 その日一日中、幸弥はもやもやとした気持ちを払拭することが出来ずに、溜め息をつきながら仕事するはめになってしまった。 翌日、幸弥の家の前に、この近所には全く似つかわしくない、メタリックシルバーの高級車が停められていた。 (本当に迎えにきちゃったよ……) 幸弥は昨日から何十回目か分からない溜め息をついた。 そんな息子を尻目に、両親共に喜色満面の笑みを綻ばせ、車の運転手らしき老紳士に何度もヘコヘコと頭を下げて「息子をよろしくお願いします」とか何とか言っている。そんな浮かれた態度をとっている両親を横目に見ながら、幸弥は重い足取りで、仕方なさそうに車の後部座席に乗り込んだ。 高級車のその座り心地の良いシートに身を沈めると、運転手が慣れた手つきでドアを閉めてくれ、自身も運転席に乗り込むとエンジンをかける。 車が発進してしまうと、いよいよ後戻り出来ないなと、幸弥はすっかり諦めムードに入っていた。 車の窓から外の景色をぼんやりと眺めていると、普段から見慣れた景色から、どんどん知らない景色へと変わっていき、その内緑が多く、広い庭園のあるお屋敷やら洒落たデザイナーズマンションなどの建物が目に付くようになり、よく知らない土地とはいえ、ここが高級住宅街というような場所であろうことは幸弥にも見当がついた。 しばらくすると、少し小高い場所に建てられている豪邸が見えてきた。 どうやら、ここが桐生時政の自宅らしい。白を基調とした外壁がよく目立ち、二階の大半を占めているテラスは全面ガラスばりでできており、開放的な作りになっている。 ガレージには、スポーツタイプの高級車が二台並んで駐車されており、今、幸弥が乗っている車も合わせると、合計三台は高級車を所有しているようだ。 ーーさすが、御曹司様のお屋敷は違うな しかも運転手の話によると、ここはあくまで時政の個人宅であり、実家の方はさらに立派な大豪邸らしい。幸弥は自分とのあまりの環境の違いに、ただただ驚くばかりであった。 車は先ほど見たガレージに入っていき、駐車されると幸弥は車を降り、運転手の老紳士に丁寧にエスコートされて、白亜の豪邸の中へと進んでいった。広い玄関を上がると吹き抜けになっていて、内装はシンプルモダンのテイストで統一されており、所々で目に入る家具などもシンプルながらも質の高そうなものばかりだ。隅々まで掃除が行き届いていて、チリひとつ見当たらないくらいだ。 案内されて二階に上がっていき、一室の扉の前に向かうと、老紳士は扉をノックし「幸弥様をお連れ致しました」と言うと、部屋の中から返事が聞こえてきたので、老紳士は扉の開けて幸弥を中へ入るように促した。 「失礼します」 おずおずと部屋に入っていくと、祝賀パーティで出会った男。桐生時政がそこにいた。 祝賀パーティのときとは違い、白地にネイビーのロンドンストライプのワイシャツをラフに着こなしていて、髪型もいくぶん柔らかめにながしてある。今の姿はタキシード姿の時よりいくぶん若々しく見えるものであった。 この男の所為で、散々振り回されたのかと思うと腹ただしくなり、幸弥は時政を思い切り睨みつけて文句の一つでも言ってやりたかったが、まずは冷静になり、ひとまず相手の出方を伺うことにした。 「また会えたな、必ず迎えに行くと約束したからな、当然か」 時政はそう言うと中央のソファに座り、幸弥にも向かいのソファに座るように勧めた。 幸弥は勧められたままソファーに座ると、時政の顔の方をしっかりと向きながら、不機嫌ということをはっきり主張したような、口調で話しかけた。 「あなたが勝手に言ってきただけで、僕は約束をしたという認識はありませんけど」 時政はフッと鼻で笑い。 「口のきき方には気をつけろよ。お前には俺の花嫁を演じてもらいたいんだ」 「えっ?」 幸弥は思わず驚きの声を漏らし、さらに先ほどの言葉の真意を問いただした。 「あの、花嫁を演じるって本当に花嫁にしようとしているんじゃないんですか?」 「そうだ、演じてくれるだけでいい」 「そんなの聞いて無いです」 「言ってないからな。本当に花嫁にできそうな相手なら、他にいくらでもいる」 ーーどこまで人を馬鹿にするんだろう! 幸弥はなんの悪びれもなくそう言ってのける時政に対して、ますます嫌悪の念を深めていった。 「今は演技でも、俺が気に入れば本物の花嫁にしてやってもいいぜ」 顎をあげ、切れ長の瞳を幸弥に向けるその表情は傲慢そのもので。 「オメガに生まれたならアルファと番になることこそ、唯一の幸せだろう。少しは俺に気に入られるよう努力してみせろよ」 さらに追い討ちをかけるような酷い言葉に、幸弥ももはや、怒りを通り越して呆れかえってしまっていた。 「あなたの番になることが僕の幸せになるとは到底思えません。もう、帰らせていただきます」 幸弥は勢いよくソファから立ち上がり、そのままさっさと部屋を出ていってしまおうとしていたが、時政はそれを制した。 「いいのか?お前の両親はアルファの俺との結婚話に随分な喜びようじゃないか。それをお前の方から反故にするのか?」 「それは……」 時政はさらに続けざまに、今度は少し脅しを含んだ内容で幸弥を留めようとした。 「それに、お前の父親の工場、最近は経営があまり芳しくないみたいだし、潰すとまではいかなくても、事業を縮小させなければいけないかもな」 幸弥は目の前のこの男が桐生グループの副社長であることを思い出し、そして、この傲慢な男ならば、本当に工場の経営に何かしらの危害を加えかねないと感じた。 幸弥が何も言えずに押し黙っていると、時政は 少し柔らかい口調に切り替えて話し始めた。 「そんなに重く考えるな、それに少しの間、お前に運命の番になってもらわないと困るんだよ」 「そんなの勝手過ぎます」 「しばらくの間だけでもいい、俺の両親を誤魔化す間だけでもな。そうすれば、工場の方も便宜してやるし、お前の身の振りもちゃんと考えてやる。悪いようにはしない」 幸弥は深いため息をついたが、渋々運命の番を演じることを了承した。 「どうせ、僕はあくまで候補なんだし、優秀なアルファ様には他にいくらでもお相手がいるようなので、しばらくの間だけ!よろしくお願いします」 “しばらくの間”というところを思い切り強調し、嫌味たっぷりといった風な言い方をしてみたが、時政の方は意に介さないといった感じで、落ち着き払った態度を崩さなかったので、幸弥はますます面白くないとむくれた顔を作った。 挨拶程度と思っていたので、幸弥は必要最小限の荷物しか持ってきていなかったが、要るものがあればこちらで全て用意するし、両親にも連絡をしておくということで、幸弥はそのまま時政の自宅に滞在することになった。 時政は幸弥を連れ立って、先ほどの部屋を出てすぐ隣の部屋を案内した。 「滞在中は、この部屋を自室として使うといい。あと、今までは福田、今日お前を迎えに行った運転手だか、彼がこの家の使用人として住み込みで働いていたが、今日で退職することになっていてね。明日から新しい使用人に来てもらうことになっているから、そのつもりで」 一人暮らしには十分過ぎるほどに広い家だ。空いている部屋ならいくらでもあるらしい。それだけ伝えると、時政は持ち帰っていた仕事を片付けるためと、先ほどの部屋に戻っていった。 幸弥は、これからしばらくの間過ごすことになる部屋を一通り見渡した後、壁側に設置されているダブルベッドに腰掛け、そのまま上半身をドサリと後ろに倒して、高い天井の一点を見つめながら、自分の置かれた理不尽な状況を嘆いた。 ーーアルファだからって、金持ちだからって、こんなにも人を振り回していいものなのだろうか。 オメガはアルファやベータを誑かす、卑しい性だ。などと、時代錯誤も甚だしい思想を持つ者もまだ少なからずいる。幸弥もオメガであるがゆえに、今まであまりよい思いはしてこなかった。 自分がオメガだと分かったときの両親の落胆ぶりを幸弥は今でもはっきりと憶えている。父親は悲愴の顔で頭を抱え、母親にいたっては泣き出してしまう始末だった。 発情期ともなれば、否が応でも大量のフェロモンが放出され、アルファはもちろんのこと、ベータまでも誘惑してしまう。薬を飲んでいても、多少は抑制されるが、身体はどうしようもない倦怠感に襲われ、幸弥も毎回発情期に入ると泥のように動けなくなってしまっていた。 そうなれば学校も休まなくてはならず、それを繰り返せば、自然と周りにもオメガであるということがバレてしまい、一部の心無い者たちからはオメガというだけで、イジメの対象にされてしまった。 ーー別に好きでオメガに産まれたわけじゃないのに。オメガの幸せってなんだろう、アルファと番になることがオメガの幸せなのだろうか。 オメガは子を孕むことに特化した性であり、幸弥の周りにいたオメガも皆、その特性を受け入れ、どうせなら良いアルファと番になりたいと願い、それが一番の幸せだというものがほとんどであった。 しかし、それもまた結局のところ、アルファによって もたらされた上部だけの幸せであって、オメガがオメガとして掴み取った幸せとは言えないのではないかと幸弥は思っていた。 ーー僕は運命とか、そんなものにしばられたくない。 体勢を変え、全身をベッドに乗せて横になり、なめらかな肌触りのシーツの感触を確かめながら、柔らかなベッドに身を預けると、五分もしないうちに幸弥は眠りに落ちてしまった。 二、三時間は眠っていただろうか、ようやく幸弥は目を覚まし、身体を起こそうとしたが、手首に違和感があり、上手く起き上がることが出来なかった。 幸弥は、まだはっきりとしていない意識で、必死に自分の置かれた状況を確認しようとした。 上手く起き上がれなかったのは当然で、幸弥の両手首は縄の様なもので、しっかりと後ろ手に縛られていた。 その状況を把握すると同時に、猛烈な不安に支配されていき、頭は事態を飲み込めず、混乱するばかりであった。 「やっとお目覚めか」 不意に声が聞こえて、一瞬ビクッと身体を震わせたが、声のする方に目を向けると、時政がベッドの下方に置かれていたパーソナルチェアーに腰掛け、本を読んでいる姿が目に入った。 時政は持っていた本を閉じ、近くにあった円形のテーブルに本を軽く放るように置くと立ち上がって、ゆっくりとした歩みで幸弥が横たわっているベッドの方に近づいて行った。 「いったい、どういうつもりなんですか?早く手首のこれを解いてください!」 不審の色を滲ませ、怒りと不安に満ちた瞳で時政の顔を凝視した。 「言っただろう、俺がお前を気に入ったら本物の花嫁にしてやるって。そのための審査として、身体検査をしておこうと思ってな」 明らかに、悪ふざけといった雰囲気である。時政は、横になっていて自由のきかない幸弥の上に跨り、ボトムのボタンに手をかけ外していき、ジッパーを下ろすと、そのまま一気に剥ぎ取りってしまった。 「嘘。嫌だ、止めて……」 唇を震わせ、怯え切った瞳で時政を見ながら、かすれ気味の力無い声でそう哀願したが、時政の方は、意地の悪い目つきで幸弥を見下ろし、口元を獲物を甚振る獣のように歪ませた。 「やはり、オメガの男ってのはここが随分と貧弱にできているんだな」 オメガの男性は、孕む立場に重きが置かれている。それゆえにアルファ、ベータ男性に比べて明らかに局部が小さい作りになっている。幸弥のソレも例外ではなく、その幸弥のモノを時政は揶揄うように指先で突いてみせた。 「うるさい、もう止めてくれ!」 羞恥心と恐怖心がないまぜになり、一体どうすればいいのか分からず、只々この状況から解放されることだけを願っていた。 しかし、幸弥が怯えれば怯えるほど、時政の加虐的な好奇心を煽り、増幅はさせるばかりであった。 「まぁ、お前にとって大事なのは、どちらかというとコッチだもんな」 時政は幸弥の脚を掴み、開かせると、その男らしく骨張った長い指を股ぐらから、後方へ這うように沿わせていき、肉付きは薄いが、滑らかな曲線を描いている双丘の間にある窄みに指先を押し当てた。 「あぁっ……」 思い掛けない感触に、背筋を跳ねるように仰け反らせた。 「キツそうだな、処女なのか? 他の男に触れさせたこともないのか」 「当たり前だ、そんなとこ触られたことなんて……」 幸弥は今年で十九歳になるが、発情期中は極力自室に籠もっていたので、アルファとの接触は無かったし、アルファでもベータでも男と付き合ったことは無かった。 時政は一旦手を放し、サイドテーブルの上に置いておいたローションを手に取り、その無垢な窄みにたっぷりとローションを塗り込めていった。 冷えた感触に小さい悲鳴を上げ、腰を上げる。時政は構わずその窄みを押し広げていくように指を動かし、奥の方へと侵入させていった。 「あっあっ……やめっ……いやぁっ」 鈍い痛みを伴い、指の侵入が進むにつれ、その刺激で幸弥の後孔は徐々に潤んでいき、遂には粘り気のある蜜液を吹き始めていた。 「今までオメガと付き合ったことは無かったから始めて見たが、オメガだと男でもちゃんと濡れるんだな」 初めて見る、オメガのアルファの欲情を煽るような特性に、時政は本能的に触発され、その切れ長の涼しげだった瞳を欲望で黒く光らせていた。 一本だった指を二本に増やして、幸弥の内壁を甚振るように責め立てる。 「いっ……やぁっ……ああぁっ、だめっ……」 初めての感触に心臓は鼓動を早め、息も上がっていた。時政にこんなあられもない姿を見られているのかと思うと、恥ずかしさで顔は火が付いたように熱くなり、目には涙が溢れ、頬を伝い零れていった。 「お願い……もう許して、もぅ……いやぁ」 これ以上の行為を止めさせるための哀願の言葉も、寧ろ時政を煽るための嬌声のようになっていた。 鎖骨にかかる程度の長めの黒髪が汗と涙で顔や首筋にへばりつき、その悲愴な雰囲気が更に煽情的で、もっと酷く鳴かせてみせたくなる。 「どうやら俺にはアルファの女より、オメガのお前のほうが向いてるみたいだな」 今まで付き合ってきた相手は、ほとんどアルファの女性ばかりだった。しかし、それなりに楽しんではきたものの、何かがもの足りず、満たされないといった感情が常について回っていた。 しかし、今の時政は初めて満たされたような感覚になっていた。もっともっと幸弥が欲しくなり、自分のものにしてしまいたいと思うようになっていた。 後孔を甚振っていた指を、更に奥の方へとに伸ばしてゆき、蜜液でぐちゅぐちゅと隠微な音を立てながら、かきまわしていくと、ある箇所にたどり着きそこに触れた瞬間、幸弥は再び腰を跳ねる上げ悲鳴をあげた。 「ああぁっ!やだっ、いやっ!もぅ……!」 「いやだ?いいの間違いだろ?」 不敵な笑みを浮かべて、その箇所を執拗に嬲っていく。 「んぁっ、あぁっ……はぁっ、あぅん」 一通り弄ぶと、やっと指が引き抜かれた。幸弥はホッとしたのも束の間に、今度は前方の局部を握り込められ、荒々しく上下に扱かれた。 「あっ……あっ……んんっ、はぁっ」 次第に扱く動きが速くなると、幸弥の息づかいも速くなり、腰を震わせ、どんどん感覚をのぼりつめていった。 「はぁっ……あああぁっ!」 遂に絶頂まで到達し、先端から蜜液を放出し、時政の手を白濁で汚した。 「イッたか、どうだ気持ち良かったろう?」 時政の問いかけにも幸弥は頭がぼうっとしてしまっていて、返事を返す余裕などなく、ただ荒い息づかいが聞こえるだかりだ。 時政は幸弥の後ろ手で縛っていた縄を解いてやると、幸弥の真正面に覆いかぶさり、小さく半開きになっていた唇に口づけを落とした。 「今日はここまでにしておく。ゆっくり休んでろ」 そう言うと、時政はベッドから降り、幸弥にシーツを掛けてやってから部屋を出ていった。 一人残された幸弥は、もう何も考えられないとばかりに虚ろな瞳で、疲労した身体を横たえ、ベットの中でうずくまるしか出来なかった。 翌朝、重い身体を引きずるようにベッドから這い出て立ち上がると、立て掛けられていた鏡に映し出された自分の姿を幸弥は呆けたように見つめていた。 下着とボトムは剥ぎ取られたまま何も着けておらず、かろうじて着ていたTシャツも皺が寄り乱れていた。 泣き腫らした目元に、頬にはシーツの皺が刻まれていた。 ーーなんて情けない格好だろう。 とりあえず衣服だけでも整え、恐る恐る部屋の扉を開け部屋を出ていこうとしたら。 「おはよう」 後ろから不意打ちで声をかけられ、驚いてしまい、ビクッと身体を震わせて後ろを振り向いた。 「なんだ挨拶もちゃんと出来ないのか?」 初めてのことで、心が乱れて動揺してしまっている自分とは違い、平然とした顔で話しかけてくる目の前の男を幸弥は苦々しい思いで睨め付けた。 「あんなことしておいて、本当に信じられないですね」 「そうむくれるな。しかし、これでよく分かったよ」 時政は口元に笑みを浮かべて、幸弥の瞳をしっかりと見つめ。 「俺にはアルファとして、オメガを捕らえるという本能に従うのが性に合っているらしい」 幸弥の乱れた髪を優しげな手つきで撫でて、頬に手を添え、小柄な幸弥に合わせて身体を屈めて顔を寄せると、軽い口づけをした。 「正式に俺の番になれ幸弥」 今まで不遜で傲慢な嫌な奴だったのに、打って変わって、優しく愛しいものを扱うような雰囲気になり、幸弥は面食らった。 「……時政さんじゃないみたい」 怪訝そうな顔で、呟くようにそう言うと。 「お前が愛しいんだ、お前と番になりたいと本気で思っている」 時政は両手で幸弥の頬を挟むように添えると。 「今すぐ、その頸に噛みつきたい」 アルファがオメガを頸に噛みつき、歯型を刻み込めば番の関係が成立し、アルファが解消させない限りは一生涯のパートナーとなる。オメガの本能としてもこの関係性を望むものだが、幸弥としては、そう簡単に番の関係を受け入れられず、まだ決めかねていた。 「まだ会ったばかりだし、そんな簡単に決められません」 「いいぜ、俺としても無理強いはしたくない。お前が望んでくれるまで待つよ」 時政は幸弥の頭を愛おしげに撫でると。 「昨日から何も食ってなくて腹が減っているだろう。朝食を用意しておいたから、キッチンに行こう」 確かに、そのままベッドで横になり、部屋に籠っていたので、食事もとらず空腹だった。キッチンに向かう時政の後ろ姿を見ながら、幸弥も少し軽い足取りでその後をついて行った。 食事の前に身体を綺麗にしておきたかったので、風呂を借りて入浴してから、改めてキッチンに行くと、時政が広いダイニングテーブルの上に朝食を並べているところだった。 近くの席に着席して、並べられた朝食メニューを見てみると、トーストにハムエッグ、飲み物はミルクが用意されていた。ただ、トーストは少し焦げていたし、ハムエッグは卵の黄身が割れていて、だいぶ不恰好なものだった。 「もしかして、時政さん初めて料理したんですか?」 「今まで、全部福田がやってくれていたからな、コンロの前に立ったこと自体初めてだ」 慣れていないということはすぐに分かる。しかし、慣れていないながらも、ちゃんと朝食を用意してくれたことには感心していた。 「ありがとうございます、いただきます」 空腹だったため、夢中で食事を口に運んでいった。時政も異様に苦くなってしまったコーヒーを飲みながら、そんな幸弥の様子を満足気に見ていた。 「今日の午後には、新しい使用人が来るはずだ。そうしたらもっとまともな食事ができるようになるから安心しろ」 「時政さんの料理も好きですよ」 美味しいといえるものでは無かったが、料理を用意してくれただけでも嬉しく感じた。 「お前は可愛いな。本当に俺の運命の番だったのかもな」 最初に言った時は、誤魔化すためだけの嘘だった。誤魔化した後は適当に別れようと思っていたが、幸弥から匂い立つオメガのフェロモンは、時政のアルファの本能をかき乱し、惹きつけていった。 「でも、僕はその運命の番っていうの、嫌いです」 「どうしてだ、大概のオメガは運命の番に憧れるもんだろ」 「僕はオメガのフェロモンに振り回されずに、自分の意志で運命を決めたいんです」 ーーこんなに強い目をしていたんだな。 時政は改めて、幸弥の顔をまじまじと見た。 艶のあるまつ毛が印象的な二重の瞳に、丸みを帯びた輪郭が、実年齢以上の幼さを演出している。 初めて見た時はいかにも弱々しく、その意識も薄弱そうに感じていたが、どうやら自分が思っていたより、ずっと強い人間だったらしい。そう感じて、時政は己の幸弥に惹かれる理由を思い返してみた。 アルファとオメガだからか?幸弥への好意なのか、フェロモンに惹かれているだけなのか。 「お互い、ゆっくり歩み寄っていこうな」 時政は幸弥の頭に手を置き、軽く髪を乱すように撫でると、すっかり空になった食器を重ねて、シンクの中へと置きに行った。 「時政さん、食器洗いくらいは僕に任せてください」 そう言うと幸弥もシンクにむかい、腕まくりをして、洗いものに取り掛かった。 「そうか、すまない。俺はそろそろ出社しなければならないが、新しい使用人には福田がしっかり引き継ぎをしてくれているから、何かあったら頼るといい」 「大丈夫ですよ、いってらっしゃい」 時政は腕時計を見て時間を確認すると、いそいそとキッチンから出ていった。

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