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第5話

年が明けて、もうかなりの月日を経た。三月の卒業式は、合否発表よりも前に開かれるため、ほとんどの生徒は進路が定まっていないまま、この学校をはかなく去って行った。 もう四月だ。 僕は椅子に座っている。へたに体重をかけると、キーキーと金切り声のように耳障りな悲鳴をあげるパイプ椅子だ。それも、教師になってから二十年以上の付き合いで、さすがにもう慣れてしまった。 僕は体育館の中央前方に二百ほど並んだ、パイプ椅子の山を見る。その椅子たちはまるで主人を待つように、後方の小さな扉の方をいっせいに向いていた。 僕は憮然とした態度でそれを眺めた。どこかその光景にときめくと同時に、かすかに虚しさを感じ、目の下が熱くなる。ゆっくりと瞼をとじた。 心の中で、もうそこにはいない彼への気持ちを呟く。まるで書き綴った手紙を読むように、優しく。 大内くん。元気にしているかい。 君のことは聞いたよ。 これまた大きくやらかしたね。 若さゆえの自信からか、前期試験を受けずに後期試験一本で西校を受け、瞬く間に落ち、滑り込むようにして誰でも入れるような私立高校に入学したんだって? きっとまともに勉強していなかったんだろう。 君は今、どんな気持ちでいる? 大きな挫折を味わったはずだ。 そんな君はもう卒業してしまったけれど、僕は今日、また新しい子供たちを迎えるよ。 あか抜けないたくさんの新一年生たちがこの体育館に足を踏み入れて、そして三年も経つ頃には、君のように立派に、どこか憎たらしくすくすくと育って行く。 そういえば君は僕の恋愛について、奥手だ、と笑ったね。 もちろん、その通りだよ。 たとえ目の前にこの歳月だけを重ね萎え萎れた心臓を鷲掴みにする男が現れても、告白などという青少年の無謀な賭け事などには絶対に手を出しはしないだろう。 だけど、僕は、毎年この時期になると深く後悔する。君にもっと何かを言ってあげられなかっただろうかとね。 僕はそういう男なんだ。 君の言うように、寂しい恋をしているのかもしれないね。 でもごらん。こうして毎日、たくさんの子供たちと出会える。 そして、また何らかの形で美術室で出会うかもしれない。デッサンを端描きすると、好奇心で目を輝かせてくれるかもしれない。そしてまた去っていくだろう。 だけれども、これだけはわかってほしい。 君がーー君たちが、これから先、どんな挫折を経ようとも、どんな失敗をおかそうとも、僕は君たちを優しく見つめ続けているよ。 あまりに傷ついた君たちと町中で偶然会ったら、それこそ、その時は君の身体を抱きしめてしまうかもしれない。 人はこれを、好き、と言うのかな。 どうか幸せに。 たとえ幸せではなくても、僕よりは長く生きてください。 僕は、そっと手紙を綴じた。存在しない便箋をーー優しく。 その時、耳慣れた軽快な音楽が体育館に鳴り響き、扉ががらりと開く。扉の合間から、太陽の光がまばゆく飛び射し、逆光になった人影にぶつかった。反射した光が、その造形を綺麗に映し出す。幾何学では捉えることのできない、大勢の少年少女たちがそこにいた。 彼らを出迎えるように、僕はその場に起立する。 いくらか小さい背丈、おぼつかない足取り。僕は直前の思い出を振り切るように、真っ直ぐに見つめた。 今年もまた、新しい子供たちを迎える。 そして、今年もまた、叶うあてのない三年間の恋が始まるのだろう。

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