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第7話(完)
時間ギリギリでホテルを出た。
精算機の支払いはカオル持ちで、ナオトは素直に礼を言い、少しだけカオルに寄り添った。これから軽く朝食に誘い、奢らせて貰いつつ連絡先を聞き出そう。今後の話もそれとなくしてみよう。そう算段を立てて門構えを出た正面に、バイクに腰掛けたコーイチが待っていた。
「どうだった、オレの奥さん」
「へっ」
素っ頓狂な声が出た。
朝日を浴びて光る、白髪混じりのアッシュグレーがニヤニヤ笑って、白いヘルメットを放って寄越した。
「やめなさいって」
「遅ぇよ、腹減っちゃったよ」
慣れた仕草でカオルはそれをキャッチし、四気筒の大きなバイクに向かって歩いていく。
「え、ええ? ちょっと……!」
カオルさん、と色をなくしたスーツのナオトに、褐色の顔が愉快そうに声を立てた。
「悪いね! こいつ、たまに男に戻りたいっていうからさぁ」
「こらこらこら」
「浮気されるよりマシだろ? 年に一回くらいは見逃してやるってね」
「しないよ、バカだね」
首に掛けたウインドブレーカーをカオルに渡し、コーイチはさっさとフルフェイスを被ってバイクを跨いだ。スロットルを引き、セルスイッチを入れた大きなバイクがトコトコと鼓動を鳴らす。シャッターの並ぶ歓楽街の、静かな朝の路地裏に、トルクの回転が小気味好く響く。
「カオルさん、カオルさん、ちょっと、待ってください!」
「はいはい」
照れ臭そうに笑って視線を返し、コーイチと揃いのフルフェイスを被るカオルの耳の端は赤い。どうしたってそれの全部が、嘘だとは思えない。
カオルを乗せた空吹かしのアクセルに、ナオトはハッとして内ポケットをまさぐった。
「ぼくの連絡先、これ、下が個人のほうです、このひとに嫌気がさしたらいつでも呼んでください」
「ハイまいど」
ピッと素早く名刺を奪われ、ナオトは焦ってコーイチの左腕に掴みかかった。
「あんたにやってないでしょうがっ!」
「まあまあ、慌てんなよ」
掴んだ腕は鋼のように硬く、ひょろりとしたそれは堅牢で、透明なシールド越しにニヤッと笑う皺の剣呑さに、ナオトはぐっと言葉に詰まった。
「ほいこれな、ウチの連絡先。バイクのご用命は承りますよっと」
ウエストバッグから出されたボロボロのチラシには、輸入バイク専門店と書かれてある。
「いや、いらないですよ」
「もらっといてよ」
カオルの声にドキリとし、ナオトは渋々、畳んだそれをポケットに仕舞った。それから直球でカオルのヘルメットを覗きこみ、受けのいい顔でカオルに笑みを広げた。
「このひとやめて、ぼくと付き合ってくれませんか」
「うわ……まいったな」
「おいおい、落ちるなよ〜?」
照れ臭そうに柔く笑ったカオルの、つぶらな瞳の不思議な愛惜に、鼓動が逸った。
「ごめんな」
断りの声は静かで、有無を言わせぬ強さがあった。
「カズキくんに悪いから、一回だけだ」
「そういうこと」
納得している二人に、ナオトは置いてけぼりの心で口を開けた。悪いもなにも、カズキはただのセフレだ。お互いほかにも幾つか体の関係を持っている。そもそもカズキは出張ホストで、何年も続く固定客だっている。
瞼に浮かぶカズキの顔を、バイクの鼓動が囃し立てた。
「あいつ、意外と骨っぽいとこあるよ。カオルが一目惚れなんてすっから、気ぃ利かせて身を引いちゃったね」
「やめろやめろコラ、ほんと、悪かったと思ってるよ」
照れるカオルと笑うコーイチの軽さに、ナオトは言葉を失った。この中に、自分の入る隙間はない。
「じゃあそういうことね。ママとカズキ頼むわ、ナオト」
「また来年、運が良く会えたら、奢るよ、ナオトくん」
あっさりと手を振り、還暦越えの二人を乗せた、大きなバイクが去っていく。
遠ざかるそれにナオトは何も言えず、歓楽街の朝の低い青空を見上げた。そうしてきっと、この先も続いていくのだろう、この場所で生きる同い歳のセフレの元へと洒落たコートの足を向けた。
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