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第12話【不屈の精神】「自分のすべてが覆される。」
「おいこら10歳児。」
「11歳だ。」
何なのだろう、この子。本当は怒ってるのではないか。 嫌、もしかして。 ミュージカルに出かけた相手――あの白衣の悪魔が何か 要らぬことを吹き込んだのでは。
「若狭さんに何か聞いた?」
「先生が何かを俺に言ってお前が困ることがあるのか?」
しまった。僕としたことが墓穴を掘った。
「――レポート、終わったのか。」
嫌な予感しかしない。慎重に言葉を選ばねば。
「うん、ごめんね。無事終わったよ。」
「――少しやつれてる。」
白い手が頬を辿る。 錦から触れてくるのは実に珍しい。
「あー…そういや、土下座して錦君ぺロペロする約束だったね。」
「変態。病院いけよ。」
「酷い。」
「本当はお前が病気か何かじゃないかと疑ったんだ。」
――『病院へ行け。頭「も」見て貰え。』
入院中、彼と電話したときの事を思い出す。 彼に情報を与える人間はいない。しかし、限りなく真実に近い憶測だった。
「いつものノリかと‥。」
一応、相手の年が年なので自重しているのだが小学生相手に病院行けと言われて、変態直せ脳外科行けなんて連想してしまう何てどうなのだ。 錦と何時ものノリで会話してたら、ついそういう意味なのかと思っていた。
僕はそんなに変態なのか?
「声が何時もと違った。」
侮れないなぁ。
水分を取り、発声をして大丈夫だと踏んでから連絡をしたのだが…最初から不信感を持たれていたのか。 思わず錦を凝視した。
「声が嗄れていたし、正直俺はお前が、やるべきことをやらない人間には思えない。 お前は変態で馬鹿みたいなところはあるが、課題が「クリア出来ない」なんて信じられなかった。 だから提出物の期限を破るような頭の悪い人間には思えなかったから。 何か別に理由があるんじゃないかと、本当は疑ってた。」
――『俺の事などどうでも良い。お前はまず自分の事を考えろ。』
――『無理はするなと最初から言っている。』
僕が病気であると前提で、彼が話していたなら。
「もし、そうなら?」
「そうなら、――お前が言えない事情があったのなら、俺はそれ以上踏み込むべきじゃない。」
何て事だ。
恥をあえて恥とは思わない。
厚顔を自覚している僕でさえ羞恥で赤面してしまう程だった。
義弟の前では良い恰好をしたいという僕の下らない意地やプライドなどどうでも良いのだろう。ただ僕が口に出さなかったなら、それだけの理由で踏み込むべきでないと追及さえしなかったのだ。
口に出来ない何らかの事情があると、その判断を彼はただ信じたのだ。
彼の無垢な信頼が正直苦しくさえあった。
「――でも、誕生日祝えなかった。約束を守れなかった。」
「…下らない。」
「何が下らないの?君の誕生日だぞ。」
「知っている。10月16日は俺の誕生日だ。でもな、海輝。俺が生まれたのは11年前だぞ。11年前の事など、必要以上の無理をしてまで祝わなくても良い。 それなのにお前は祝えなかったと、無理をしなかったことを酷く悔やんでいる。そんなの馬鹿げている。」
モーツァルトのレクイエム「怒りの日」が大音量で脳内で再生される。
ヴェルディとは一味違うレクイエムだ。
おいおい、脳内でこんなにメロディが爆音で流れるのは人生で二度目だぞ。
「怒りの日」のメロディに絡むようにカールオルフ カルミナ・ブラーナ「おお、運命の女神よ」 が同時に流れてだんだん区別がつかなくなり、 途中で奇妙なメロディへと変わった。
今度聞き比べしなくては。あの二曲出だしが良く似ている気がする。
「生まれて来たことを祝えないとか悔いがあるとか、呪わしいとか間違っても言わないでくれよ?錦君」
共に過ごした夏休みを思いだす。
己に価値を感じず孤独感に遠い世界を望む眼をしていた少年。
この子の生い立ちや立場を考えれば、自己否定ばかりしても仕方がない気がする。
だめだ、腹が立って仕方がない。
声を荒げたりすることはないが少し尖った物言いになり、自分でも驚く。
カルシウムをとらねば。
キツイ物言いして御免ね錦君。
「馬鹿な。海輝には俺がそんな女々しい男に見えるのか。」
阿呆を見た時の様な溜息。 だから、なぜこの小学生はいちいちため息を吐く。
溜息をつかれる大学生とはどうなのだ。
「生まれて来たことを呪い生きていることを後悔しているなら、とっくの昔に潔く死んでいる。 俺は確かに無価値かもしれないが、生かされている事を疑問に思っても生きている事に後悔したことは無いし呪った事は無い。」
君位の子供が、無邪気さの欠片も無く自身の価値を考えること自体が僕には信じられない。それに命に疑問を抱えている時点で問題ありだ。
しかし一見矛盾しているようにも聞こえるが、彼の中では完全に独立したセオリーが有るのだ。
この子は「俺は俺だ」と存在証明を確立する前に、「君は君だ」と肯定してくれる人はいないから。
幼いわりに彼の思考が、整然とし大人びているのは孤独ゆえなのだろう。
錦は己の胸に手を這わす。
錦の物ではない心臓が、そこに息づいている。
「皆が出来る事が俺一人出来なかった。生きているのに死ぬ事に怯える日にいつも疑問を持って、 倒れる度に何度もこのまま楽になりたいって考えた。それなのに朝目が覚める度感謝していた。 何度も死ぬだろうなって思った。だから、夜眠るたび朝目が覚める瞬間を祈っていた。 痛くて苦しくて辛くて怖くて。でも、俺は生かされた。だから、恥じていない。 皆が、例え父と母が俺を恥ずかしい子供だと思っても、きっと俺は俺を恥じてはいけない。 そうだろ?――恥じれば、この心臓の持ち主に何といえば良い? 父と母の絶望と引き換えに手に入れた命を、お前に出会うそれまでの道程を何故否定できる。」
苛烈に燃える様な瞳だった。
正当過ぎる輝きに眩暈がした。
この子の側にいれば、自分のすべてが覆される。
そんな気がした。
「じゃぁ、なおさらだ。尚更君の誕生日は祝うべきだった。一日君を独占する権利が欲しかった。」
「面倒くさい男だな。誕生日など祝わなくとも、生まれて今も生きている事実には変わりないのだから。態々昔の事を特別に祝う必要などあるものか。 俺は毎日健康に生活できるだけで充分なんだ。それにお前と出逢った。お前と過ごす日は常に特別だ。宝石のように輝いている。 俺にとってはお前の存在こそが祝福だ。だから、お前が態々俺を祝わなくとも良いのだ。」
錦は席を立ち、チェストからマッチ箱を持ち出してから僕の隣に座りなおす。 タバコは吸わないよ錦君。そう言うと、「祝いだ」とそっけない言葉。
いまだ手を付けていない茶菓子として出すには大ぶりな和紙の包みを破り、中の饅頭を皿に乗せる。 僕は中から現れた姿に思わず噴き出した。
王冠を乗せた様な頂頭部。
眼鏡の様な縁に囲まれた、開いてるのか閉じてるのか分からない瞳。
多彩な文様が刻み込まれた丸く張り出した体。
遮光器土偶を模した大きな人形焼きに、僕が指をさして笑う前に錦は徐にマッチを突き立てた。ぎょっとした僕に構わず、二本、三本と次々と突き立てていく。
11本目を差し込めば、全身マッチ棒に串刺しにされハリネズミの様な有様だ。
猟奇的な見た目のそれに、思わず無言になる。
「あ、えっと」
「ケーキは無い。蝋燭も無い。」
誕生日ケーキの代わりなのか。
ふざけている様でしかし本人は真剣な顔でマッチに火をともす。 そして、何故か皿を指さし「吹き消せ」と言う。 これは、錦が消すべきではないか。火事になったら困るので息を吹きかければ錦のやる気のない拍手が響いた。
「俺は誕生日は祝われるものではなく祝うものとしている。 一度は死にかけた命だ。でも、こうして生かされている。 生きていることが精いっぱいだったから、自分に誓ったんだ。 生き抜いた事を祝おうって。生かされた事を祝おうって。 もちろん自分を祝う訳じゃない。 周囲に感謝すると言う意味だ。」
僕から見ても両親の彼への態度は無味乾燥の冷やかなものだった。
錦自身が努力で変えられるものではない。如何しようもできない事なのだ。
彼が孤独に耐えながらも前を向こうとする姿は痛々しくいじらしかった。
それでも、彼は産んでくれて生かしてくれて有難うと感謝して命を讃えようとする。
繊細に見えるが、どこまでも強いのだ。 朝比奈家の様な肥溜め…失礼、腐った家の中で、よくもこんなに強く美しい子供に育ったものだと正直感心した。
「しかし…お前の気持ち嬉しかった。それから、会うはずだったが会えなかったのは本当は少しだけ寂しかった。」
まさか、この僕が義弟に完敗するとは夢にも思わなかった。
「感謝したい対象は沢山いるが、お前は特別だ。 だから、お前を相手に感謝し祝福してやろう。何を望む?」
「まいったな。」
完全敗北だ。
「じゃぁ、僕の誕生日は僕が君に奉仕をする番だ。期待してくれ。取り敢えずお揃いで土偶のキーホルダーでも手作りする?」
そう言い返すと「お揃い」に反応し珍しく年相応の子供の顔で笑う。
その笑顔がやはり可愛くて愛おしくて僕は心地良い敗北を感じながら錦の額に唇を落とした。
「お誕生日おめでとう。生まれて来てくれて有難う」
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◇10月16日の誕生花
猿捕茨:不屈の精神、屈強、
ランタナ:厳格
◇10月16日の誕生誕果実
ドワィエンヌ・デュ・コミス(洋なし) 不屈の精神
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