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1.邂逅したのは地獄だった-4
四辻です、朗読係をしております。青年は苦虫を噛み潰したような顔をして、俺にそう名乗った。
場所は変わってロビーのラウンジである。ソファーやテーブルがいくつかおかれ、ジュースの自販機が二台並んでいる。俺が泣いていたことにはありがたいことに気付いていなかったようで、むしろ青年のほうが涙をなみなみと溜めて俺を睨んでいた。思わぬことに上永谷神父が司祭室に呼ばれ途中退場し、この場にいるのは青年――四辻くんと俺だけである。お互い妙な気まずさを抱えていたが、彼の困ったような、眠たそうな顔はやはり生来のもののようだった。ぐす、と鼻を鳴らすさまは子供のようである。
「四辻くんっていくつ?」
「……二十三です」
「ふうん……」
おもったより年が近かったので以外だった。白いシャツに黒いスラックスという出で立ちだったが、聖職者ではないらしい。それを問うたときこれは別の仕事着です、と言っていたが仕事は教えてくれなかった。上永谷神父とはまた違い構い倒したくなるタイプの子だな、さっきまで子供みたいにぐずぐず泣いてた俺がいうと死ぬほど滑稽である。
挨拶もきちんとせずに帰るのも悪いと思い、上永谷神父が戻るのを待つつもりだったが、四辻くんもまた同じ理由で残っているようだった。本来は借りたものを戻しに立ち寄っただけだという。それにしても間が悪い。
「上永谷神父と……」
四辻くんが、か細い声で話し始める。向こうから何かを話しかけてくるとは思わなかったので少し驚いた。
「あなたはそういう関係なのですか」
「は?」
思わず声が裏返った。単刀直入過ぎる。流行か?
「いや、ち、がうとおもうけど」
まだ、と言おうとして流石に飲み込んだ。
「ならば、もう手を出さないでください」
「それは自分が好きだから?」
震える声でそういった彼に、俺がそう聞き返すと、予想だにしない反応が返ってきた。てっきり顔でも赤くして「やめてください」と目を潤ませるのかと思ったが、彼はあまりに真っ青な顔で俺を睨んでいた。どうやら違うらしい。
「あの人は、神聖な神の御使です。慈愛に満ち溢れた方です。だからたくさんのひとがそれにつけこんで」
たくさんのひとがそれにつけこんで。なるほど。それでピンとくるものがあった。この教会内、というより四辻くんの目の届く範囲で俺みたいな男――男に限らないかもしれないが――は一人じゃないわけだ。新宿駅でのあの態度にも納得がいく。これ以上悪い虫を増やしてたまるか、というところだろう。
「でもそれが、御使のご意志ならば」
ほとんど勝手にこぼれた俺のその言葉に、次の瞬間、左の頬へ四辻くんの平手が飛んできた。これは俺の落ち度である。口の端に微かに鉄の味を感じながら、ごめんごめん、と謝ると返答の代わりに睨まれた。
「そういえば上永谷神父っておいくつなの?」
「春に二十六になりましたよ」
まったく空気を読んであげない俺が死にそうな四辻くんに尋ねると、返答したのは上永谷神父本人だった。さっきまでのことなどすっかりなかったことのように、清廉潔白を絵に描いたような凛とした佇まいである。にこやかに、そこに立っていた。
四辻くんは、すっと立ち上がると上永谷神父と二三言葉をかわすと頭を下げ、俺のことなんかちらりともみずにその場を去っていった。これはものすごく嫌われたに違いない。慣れたものなのでなんとも思わないが、面白いのでぜひまたお会いしたい。
「お待たせしました、まだお時間大丈夫ですか? お花の話、少しでもできればとおもったのですが」
大丈夫ですよ、と言おうとして、すぐに思い直した。ただ俺個人の理由で、日を改めたかった。
「あ、ああそれでしたら、今日は資料がないのでよろしければまた後日」
「わかりました、それでは来週の同じ曜日、同じ時間は大丈夫そうですか?」
アポイントメントだけはメモをとった。花、と一文字だけ横に添える。
外に出れば太陽はだいぶ傾き、教会の前はすっかり日陰になっていた。人通りの少ない道路はうら寂しさがある。お見送りを、と連れ立って外に出た上永谷神父は日陰でみても美しかった。
では、と一抹の名残惜しさと、日常へ帰る安心感を抱えて背を向けると、そっと腕を掴まれた。さっきの出来事が一瞬頭をよぎり、心臓が縮む。振り向けば日陰の中で、少し驚いた顔をした上永谷神父がいた。すみません、とびっくりした顔のまま言うと腕を掴んだ手はすぐに離れていった。なんとなく別れ難くなってしまい、とはいえそうもいかない。彼の”奇行”の理由を解するところには至れないが、ころころと変わる印象はなるほど放っておけない気持ちにさせる。四辻くんの気持ちはすぐに理解できそうであった。元通りの穏やかな顔で「失礼しました」といって笑っている彼がものすごく欲しくなって、胸の高鳴りに口角を歪めた。
「上永谷神父、瀬人くんって呼んでいい?」
遠くで、蝉が鳴いていた。
1.邂逅したのは地獄だった 終
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