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第1話
「あーもう仕事辞めたい」
「確認するけど、今の仕事始めたのいつだっけ」
「1週間前」
「今年だけで何回、勤め先変わったっけ」
「5……6回?」
「それについてどう思う?」
「俺は働く事に向いてないんだなぁ」
「他には」
「お前に養って貰おうかなぁ」
「……他には」
「いや、だって! 俺、働く必要ある? お前カネ持ってるじゃん? ぶっちゃけ今だって生活費全部出して貰ってんじゃん? 小遣いまで貰ってんじゃん? 俺が働かなくても、充分やってけるじゃん?」
「労働は国民の義務だって知ってるか?」
「そういうの良くないよ? 世の中には働きたくても働けない人もいるんだよ?」
「トウヤは働きたくないだけだろ」
「…………」
「ほら、出勤の時間だろ。行け」
「ああぁー……憂鬱だなあ、行きたくないなぁ」
「行け、また遅刻するぞ」
「ねえ本当さあ、キオ俺の事もっと全面的に養わない?」
「家事も出来ないお前を養うとすれば、人間的な扱いはされないものと思え」
「恋人なのにぃ?」
「恋人でもだ」
「…………ふーん。あっそぉ……」
「分かったらさっさと行け」
「はぁい。行ってきまーす」
そんな会話をしたのが、1時間前。
折角の休日だというのに、一切の家事をやろうとしない恋人のおかげで、溜まった洗濯やら掃除やらに追われていた。
現在同棲中の恋人は大変可愛いが、生活能力という面においては、全くのダメ人間だった。
定職には就かない、バイトも長続きしない、かといって家事も出来ない頭もどっちかと言うと悪い、けれど質の悪い事にどうにも憎めない、誰かが面倒を見なくてはならないタイプの大人だった。
幸いにして人1人養うくらいの甲斐性なら持ち合わせているが、ヒモを飼う予定はない。家賃の半分にさえならなくてもいいから、とにかく働けと口を酸っぱくする日々だ。
いい加減、心を入れ替えてくれたらいいのだけれど……
「ただいまー!」
「!?」
嘘だろ。
ただいま?
バイトが終わるにはまだ早過ぎる。ついさっき、乾燥機付きの浴室に洗濯物を干し終えたばかりだ。
それなのに少しも悪びれる様子はなく、トウヤはさっさとリビングに入って来る。
出してきたばかりの掃除機をひとまず置いて、俺は詰め寄る。
「おい、仕事は」
「辞めてきた」
「ハア!?」
意味わかんね。
ついさっきの話はどうなったんだ。
「おまっ……本当に辞めたのか?」
「うん。あとねえ」
至って軽く答えると、トウヤは大胆に服を脱ぎ始めた。
そこにはよく見知った、俺好みの筋っぽい体が現れる。
だが一点、見慣れないものが、そこにはあった。
「人間も、やめるね」
「……は?」
赤いペンで、腹にでかでかと「犬」と書いてある。
「本当は刺青も考えたんだけど、自分じゃ難しいし、彫って貰うにはお金かかるし、とりあえず」
「え? は? 犬?」
「猫が良かった?」
「何が?」
「人間扱いじゃなきゃ、養ってくれるんでしょ?」
あっ……
…………ああ。
そう来たか。
なるほどな、そう解釈したか。
「なあ、お前、自分が何言ってるか分かってる?」
「分かってるけど?」
「俺にどんな扱い受けても、文句言わねえって事だぞ」
「うん、キオになら何されてもいいよ? 働いてこいとか、その辺に捨てられるとかじゃなければ」
トウヤは至って真面目な顔をしていた。
何かの冗談でも、仕事を辞めた言い訳でもない事は、理解出来る程度の仲だと自負している。
そしてそれは、トウヤも同じ事だ。
お互いを知っている。見抜いている。
どんな本性を、秘めているのか。
伊達に何度も肌を重ねていないし、無為に何年も一緒に暮らしていないってものだ。
そう。そうか。
「いいんだな?」
一度だけ、念を押す。
「外で働ける程度には、真っ当な人間生活を送らせてやろうと思ってたけど、本当に、いいんだな?」
食っていくだけなら俺の稼ぎで賄えた。
家事だってきちんと教えれば、きっと少しずつ覚えられた。
けれどトウヤを家に閉じ込めず、社会に出そうとしたのは、彼にマトモであって欲しかったからだ。
人として、正しくあって欲しかった。人間らしく、幸福に。
それが彼の為だと思ったから。
でも結局、どれもこれも中途半端だった。
本気で自立を促したいなら同居なんてしていないし、怠け癖が許せないのであればとっくに別れていただろう。
なのにだらだらと、半端な状態を続けていたのは、俺にも原因がある。
苦言を呈する事で、一応のポーズをつくった。俺はお前が、人並みに生きられるよう、ちゃんと促したんだぞと。
彼の望みを叶える事なら、ずっと前から可能だた。経済的な話で言えば、問題はない。
けれど外に出る必要性を否定してしまったら、あとに残るのは、俺の支配だけだ。
根深く、欲深い、俺の。
「だから言ってるじゃん。いいよって」
トウヤは即座に答えた。
そっか。
覚悟は決まったか。
これで、辛うじて保っていた均衡は、遂に崩される。
確認は、したからな。
「……分かった。お前はもう、この家から出なくていい」
トウヤの顔に、笑みが浮かぶ。
働かずに済む事の純粋な喜びにしては、随分と淫猥だった。
それほどまでに働きたくなかったのか、あるいは……――――
「じゃ、トウヤの服は、今すぐ全部処分しような」
「……うん」
トウヤは頬を紅潮させて、頷いた。
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