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第21話「少年_日常.bak」
八月に入り、母親の景子が予定通り仕事場へ遠出するのを見送った後、優穂は姫川燈のアパートを訪れた。インターホンを鳴らすと、眠そうな顔をした無防備な姫川が姿を現した。
「おはよう、燈。寝てた?もう十時過ぎてるよ。」
「寝てた。おはよ…。」
「今日さ、キャンプ行かない?」
「え…?」
起き抜けの姫川は、戸惑いを隠せないでいる。
「金田と洋ちゃんも一緒に。」
「いや…、もう、学校の奴らとは…。」
「転校の事は黙ってるから、今日一日、付き合ってよ。」
ぐいぐい来る優穂を抑えきれず、姫川はやむなく承諾させられる。
「日帰り?キャンプって…準備、どうしたらいいんだよ?」
「一泊予定だった。手ぶらでも大丈夫なとこだよ。」
五分袖のパーカーにクロップドパンツ姿の優穂の恰好を一瞥し、姫川は首を傾げてみせる。
「山?」
「丘って感じかな?割と近場だし。…お金の心配もしなくていいから。」
その言葉に、姫川は苦笑させられる。
「…優穂さん、急に悪い息子になってませんか?」
「まあ、それなりに。」
優穂は悪人の笑みを演出して見せた。姫川はそれを軽く受け流し、中へ入るように示唆した。
「支度すっから、中で待ってて。」
ほんの少しだけ、優穂が躊躇する。
「俺を入れて…保護者の人、怒らない?」
「怒らないと思うけど。…監視カメラが気になる?言っとくけど、一日中監視してる程、あの人も暇じゃないから。」
「そうなんだ…。」
優穂は小さく「お邪魔します」と呟くように言って入った。
リビングルームに通されると、姫川の体を執拗に求めた事が思い出され、優穂はその記憶を必死で振り払う努力をした。
「保護者の人にとって燈はさ、大事な甥って感じ?」
質問をして気を紛らわせる。
「甥…?さあ、訊いた事ないから、分からないな。」
身支度中の姫川の白い背中が露になり、優穂は慌てて目を逸らした。やはり扇情的な姫川の体が忘れられなかった。一度発情したら男に抱かれるまで止まらない、と言った姫川の特異体質が脳裏を占め始めていく。
――それが真実だとしたら、普段そうなった時、どうしてるんだろう?やっぱり保護者の人と…?
「優穂…ダメ…!」
妄想が膨れ上がって来た時、姫川の声に思考を遮られて、優穂は彼に焦点を合わせた。
「…何?」
「優穂から、雄の匂いがしてる…。」
姫川の吐息混じりの言葉に、優穂は下半身の熱を両手で覆い隠した。
「あ、ご免!…これは…!」
「…欲しくなる…から…悪いけど、外に出てて…。」
姫川の言葉に更に熱を煽られた優穂は、慌てて外へ出て行く。玄関から外へ出て、夏の暑い日差しに晒されながら、逆に自身の熱を覚ました。
姫川の発情を誘発するのが、男の欲情なのだと認識して反省すると、両手で頬を強めに叩いて気持ちを入れ替えた。
暫くして身支度を終えた姫川が外へ出て来た。
「燈、ご免ね!大丈夫?」
「うん。なんとか堪えた。…もう、気を付けてくれよな!」
背中を思い切り叩かれ、優穂は反論する。
「イッ…タイな!…雄の匂いに反応するなんて、知らなかったんだよ!…ってか、何?雄の匂いって?」
頬と背中をジンジンさせながら、優穂は先に歩き出す。姫川もその後を苦笑しながら歩き出す。
「金田と前原は途中で合流?」
「うん。電車に乗るから、その駅で待ち合わせ。」
歩調を少し緩めた優穂は、姫川が横に並ぶのを待った。彼と目を合わせると、再び視線を正面に向ける。
「燈には感謝してる。あの時、燈に出会ってなかったら、金田や洋ちゃんとも普通に顔を合わすなんて出来なかったと思う。」
「…俺も優穂に出会えて良かったって思ってるよ。…頼ってくれたのも実は嬉しかったし。」
「俺を受け入れてくれて有難う。」
姫川は答えずに、優穂の頭をくしゃりと撫でた。
キャンプ場に着くと、姫川は海を一望出来る環境に予想を裏切られた様子だった。広い敷地内は利用者ごとに貸し切りとなる作りになっており、他の利用者と遭遇する事はないとの事だった。
「キャンプって、こんなんだっけ?」
姫川の問いに、他の三人は軽く首を傾げて見せる。
宿泊場所となる、四人でもゆったりと入れる大きさのテントの中には、ベッドが二つあり、寝袋も二つ完備されていた。他にもホテル並みにアメニティが充実しており、その内のひとつである蚊取り線香に、金田が先陣を切って火を点けた。
「え?虫除けスプレーしてるでしょ?」
前原が代表して突っ込む。
「俺、人一倍、虫に刺されやすくてさぁ。」
半袖のTシャツにハーフパンツという恰好の金田に、みんなで「そうだろうね」と納得してみせた。
金田とは対照的にマウンテンパーカーにスウェットパンツの姫川は、極端に露出が少なく、四人の中では一番防御力が高そうだった。
「お肉、焼かない?」
姫川の次に防御力の高そうな、デニムジャケットにジョガーパンツ姿の前原が、率先して調理スペースへ移動する。続いて金田も外へ出た。
「…俺は寝袋で寝ようかな。」
独り言のように呟いた優穂に、姫川の肘が当たった。
「優穂が変な気起こさなきゃ、一緒に眠れると思うけどな。自信ない?」
「あいつらもいるし、起こさない自信はあるけど…って、そうじゃなくて!…寝袋の経験がないから寝袋を選ぼうとしてたんだって!」
「はい、はい。…俺達も行こう、優穂。」
調理スペースへ行くと、前原が殆ど下準備済みの食材をステンレス製のスキュアに手際よく刺しているところだった。
「そのまま焼いてもいいみたいだけど、折角だから串焼きにしようと思って…。」
「手伝うよ。」
優穂と姫川も手を洗って、前原の横に並んだ。グリル台の方に目を遣ると、防御力の一番低い金田が炭をおこしている。
「姫川君、好き嫌いはない?」
「ここに出てる分にはないかな。」
前原の姫川に対する気遣いに、優穂も介入する。
「俺、この分厚く切ってある玉ねぎは苦手かな。あと、ズッキーニの厚切りも…。」
「昔っから好き嫌い多い子だったよね、優ちゃんは。」
「いや、切り方だって!小さいと食べれるんだって!」
優穂が言い訳したところで、金田が手を洗いにやってきて、グリル台の作業が終わったと告げた。
準備した食材を持って、全員でグリル台の元へ移動する。本格的に焼き始めると、僅かだが煙が広がった。
「…そういえばさ、いつの間にか、優穂が姫川君の事、名前、呼び捨てにしてるんだけど。」
特に前述の話題に関連性もなく、金田が気付いた事を口にした。優穂は素直に経緯を話す。
「ああ、それね。俺が北見って名字で呼ばれたくなかったから、下の名前で呼んでもらう事になって、燈の事も下の名前で呼ぶようになったんだ。」
「へぇ、じゃあ、俺はヒメって呼んでいい?」
流れに乗っかったようで、突拍子もない提案を金田がする。
「はぁ?なんでだよ?…じゃあ、金田の事はカネって呼んでいい訳だな?」
「えー!?…いいよ!」
「俺は嫌だよ!」
金田と姫川が呼び方について揉めている隙をみて、前原が優穂に小声で訊く。
「北見さんと上手くいってないの?」
「…なんで?」
優穂は少しだけ、ぎくりとした。
「名字で呼ばれたくないって…。」
「ああ、まだ慣れてないだけだよ。…上手く行ってなかったら、キャンプ代、みんなの分まで出してもらえる訳ないだろ?」
「そうだね、変なコト訊いてご免。」
「いや、心配してくれて有難う。」
そこで話は終わったと言わんばかりに、前原が姫川を呼んだ。
「燈ちゃん!…って、俺も呼んでいい?」
「いや、だから、ちゃん付けやめろって言ってあったよな?」
燈の反応に、その場が笑いに包まれた。
夜、みんなが寝静まったのを確認した優穂は、一人テントを抜け出して、暗い海を見下ろすベンチに腰を下ろした。所々、木にLEDイルミネーションが巻かれており、周囲は星よりも明るかった。そんな中で優穂の表情は暗く、影を落としている。
暫くして、一点を見つめたままの優穂の隣に燈が腰を下ろした。
「眠れないのか?」
「…いつまでライトアップされてるのかなって思って。」
一部のLEDソーラーライトの方は、充電が切れかかり、光を弱めている。
「何で、いきなりキャンプだったんだ?」
「燈の送別会だよ。…こんな経験、ないんじゃないかなって思って、キャンプ。」
「そっか…。確かにな。」
姫川は納得したように軽く笑った。優穂の表情は変わらず暗い。
「北見輝弥は、その後どう?…ちゃんとあしらえてる?」
「もう、あいつに恐怖心はないし、寧ろ、嗜虐心しか湧かないし…。ちょろいよ。…何れ、母親の前でキスして離婚してもらう予定。」
姫川が溜息を吐く。
「自分が傷付くような事は、率先してするなよ。」
「分かってる。…大丈夫だよ。」
優穂は深刻な表情のまま、彼に質問する。
「燈は…俺の事、普通に友達って思ってくれてる?」
優穂の問いに、姫川は即答する。
「思ってる。…会えなくなっても、ずっと思ってるよ。」
その答えは優しいものだったが、優穂にとっては失恋を意味していた。不意に彼の目から涙が溢れ出す。
「優穂…?」
「…ここ最近、俺はゲイなんだって自覚が出来て、…燈に対して友達じゃない感情も自覚したんだ。…今、凄い、フラれた気分。」
姫川は優穂の涙に焦り出したようだった。
「優穂は少し勘違いしてるんだよ。…その、…最初にした相手が俺だったから。もし、俺が女の子だったとしても、優穂は俺の事、抱いてただろ?」
「…うん。抱いてた。…燈の事が好きなんだ。」
俯き、涙を落とす優穂を、姫川がふわりと抱き締めた。
「うん、有難う。」
「燈と…離れたくない。…ずっと、一緒に居たい…!」
「いつか、帰って来れたら、また会いに来るよ。…約束は出来ないけど。」
姫川の口から紡がれる言葉は、全て自分を慰める為のものだと理解しつつ、優穂は彼に縋りつく。そして出来るだけ純粋な気持ちで彼の唇を求め、キスをした。
気持ちが通じたのか、姫川は身を引く事なく、それを受け入れた。
触れるだけの長いキスの後、優穂の涙が引いていく。姫川の唇が離れ、優穂の頬の涙を吸い取った。
「いつ居なくなるの?」
「…教えない。」
「だったらさ…。」
優穂の手が姫川のパーカーの前を開き、更に中のTシャツをたくし上げた。そして彼の胸に舌を這わせ、一点を強く愛撫する。姫川から甘い吐息が洩れ始めた。
「思い残したくないから…、沢山、触らせて。」
姫川は従順な姿勢で、優穂の行為を受け入れた。
「ご免ね、燈。こんな事しない為に、あいつらも誘ったのに…。」
「うん。…でも、もう…回避出来ないみたいだ…。」
優穂はこの上ない愛情で彼を抱き、貴重な経験と「姫川燈」を記憶に残した。
-完-
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