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第20話「反撃」~ZERO DAY~

 翌朝、北見は全身を襲う鈍痛と、異臭によって目を覚ました。場所が書斎のビジネスチェアの上だと知り、昨夜の事を思い出すと、吐き気が催された。それを堪えて立ち上がり、床に視線を走らせると、三十センチはある汚物塗れのディルドが転がっており、異臭の正体がそれだと気付いた。脱がされたパジャマのズボンで床を拭き、それでディルドを掴むと、デスクの上の紙袋を取り、乱暴に中へ入れた。それをゴミ箱に捨てると、彼はバスルームへ急いだ。  入浴後、バスローブを纏って寝室へ行き、放置した状態になっていたスマートフォンを手に取ると、タイミングよく着信があった。見知らぬ番号の為、ほんの少し躊躇したが無言のまま電話に出た。彼の頭の中には昨夜の侵入者が浮かんでいる。  無言でいると、コンピューターの音声が聞こえて来た。 「初めまして、北見輝弥さん。」  安物のロボットのような声だった。 「会社のパソコンとそちらの書斎にあるパソコンをクラッキングさせていただきました。」  北見の脳裏に、「こいつはウィルス入りだったかもな」と言って、USBメモリーをちらつかせた昨夜の侵入者の姿が蘇る。 「昨夜のヤクザか?それとも、おまえは…あの売春少年か?」 「あなたと交渉したい事があります。書斎のパソコンの前に行って下さい。」  北見の問いには答えずに、電話の相手は続ける。声には一切の感情がなく、キーボード操作によるものではないかと推測された。 「交渉だと?優穂を人質にでもしたというのか?」 「行けば分かります。電話はそのままで。」  北見は悔し気に従う。  北見が書斎へ行くと、パソコンは既に起動しており、画面が勝手に動き出していた。クラッキングされている事実を彼は思い知らされる。メール画面が勝手に立ち上がり、北見の会社のダイレクトメールを装った一通のメールが開かれる。本文には『私、北見輝弥は義理の息子を虐待する悪い父親です』とあった。  続いて添付の映像が再生される。それは昨夜この部屋で玩具に犯され、喘ぎ続ける北見の映像だった。そこで彼は初めて、パソコンのモニターに取り付けられている極小のカメラの存在に気付いた。慌てて取り外す。 「映像はこちらに送信済みですので、今更外されても遅いですよ。」 「これを使って脅迫する気か?」 「これは交渉事の材料の内のひとつです。あなたは今後、義理の息子さんへの虐待をやめ、妻にも危害を加えたりしないと誓えますか?」 「…優穂か!優穂に頼まれたんだな?」  北見は答えずに頭に浮かんだ事をそのまま問う。 「誓えますか?」  相手も問は無視し、再度同じ言葉を繰り返した。北見は無言になる。 「あなたの会社の顧客データや知人のデータを入手しました。もし誓えなければ、恥ずかしい映像が添付されたメールを、一斉送信させていただきます。」 「私が警察に通報出来ないと思ってるのか?…私は被害者だ。防犯カメラにも昨夜の不法侵入が記録されている。」  北見は動じずに覚悟を見せつけた。しかし瞬時にその覚悟は踏みにじられる。 「通報しても構いませんよ。こちらの要求は金品じゃない。虐待をやめさせる為のものです。通報して困ることになるのはあなたの方です。それに、残念ながら、昨夜、防犯カメラは作動していませんでした。あなたは自分の事を被害者だと言っていますが、映像はいい感じに編集させて頂きましたので、変態の一人プレイ風になっています。」 「今、この会話は録音されている。」  北見は通話を開始すると、自動で録音を開始するアプリケーションを使用していた。 「それに虐待の証拠はない。…私は虐待等していないからだ!」 「嘘つきですね。色々コレクションしていた癖に。証拠は入手していますよ。こちらには、あなたが階段を水浸しにして妻を事故に合わせた映像や、義理の息子を強姦した映像が手元にあります。そして違法ドラッグを購入した証拠もあります。そんなあなたが警察へ行けるのですか?」  北見はそこで、ハッキングが昨夜、侵入者が来るより前に行われた事だと気付いた。彼の表情に敗北感が影を落とす。 「…優穂はそこにいるのか?」 「義理の息子さんですか?ここにはいませんが、あなたが彼ら親子を傷付けないと誓ってくれるのなら、息子さんはそちらに帰ると思いますよ。」  北見は観念する。 「分かった。…誓うよ。絶対に優穂の嫌がる事はしないし、彼の母親にも危害は加えない。」 「交渉成立です。あなたの社会的地位は守られました。」  そこで通話が切れた。北見は弾かれたように、パソコンの見慣れたフォルダを探る。優穂の弱みに利用する為の物は全て消去されていた。続いて、データ保管の為に利用していたサーバーにもログインして中身を確認するが、そちらも全て削除されてしまっていた。それならば、と、本棚の奥の隠し部屋を開き、現れたベッドの引き出しに手を掛ける。鍵を掛けていた筈の引き出しは軽々と動き、中身は空になっていた。  北見は壁に掛けられた絵の中の優穂の足を撫でると、そのままベッドに倒れ込み、目を閉じた。  部屋に差し込んだ光で目を覚ました優穂は、パソコンで作業中の姫川の後ろ姿を見て、安心したように微笑んだ。そろりと起き出し、彼の首筋にキスをしようとしたところで振り向かれ、彼の手に口を塞がれる。 「優穂、眠れた?」  塞がれたまま優穂が頷くと、姫川は笑って彼を解放した。 「今、何時?」  部屋に時計がないので問うと、姫川がスマートフォンの画面を見せた。時刻は十一時を過ぎている。 「寝過ぎ!…シャワー、浴びてくれば?」 「うん…。燈はもしかして徹夜でなんかしてた?」 「徹夜って程でもないけど、北見輝弥を脅迫する準備をして、…ついさっき完了した。」  優穂の表情が強張っていく。 「何も心配する事はないよ。…勝手な事して申し訳ないんだけど、今、主導権は優穂のものになったから。…一部始終を聞きたい?」  優穂は頷く。 「閲覧注意な映像もあるけど、それも見る?」  更に優穂は頷く。 「実は、昨夜、優穂が眠ってる間にさ…。」  姫川の話す内容と、それを証明する映像と音声データに、優穂は平静を保てなくなる。数えきれない程の衝撃で、一部の感情が破壊されそうになる感覚を覚えた。 「大丈夫?優穂…。もしかして、俺の事、怖くなった?」  平然としている姫川を前に、優穂は僅かに起こってくる震えを制御した。 「怖くないよ。…ただ、ちょっとショックが強すぎて…。保護者の人も、よく協力してくれたね。」 「うん、結構、怒ってたよ。…二度と男を誘うなとも言われた。」 「…監視されてるって知ってたら、あんなにしなかったのに。」  優穂は赤面して項垂れる。その後頭部を姫川は数回軽く叩いた。そして耳元に囁く。 「これから優穂にも、やってもらう事があるよ。」 「え…?」  優穂は思わず顔を上げる。 「優穂にとっては、少しキツイ事かも知れないけど。…先に進む為なんだよ。はい、これ。」  姫川はチタン製の黒いボディが煌くスマートフォンを手渡す。優穂の見慣れないメーカーの物だった。 「あげる。…ちゃんと日本でも使えるよ。」  書斎の本棚の裏に隠すように作ったベッドルームで、北見は目を覚ました。脅迫者とのやり取りの後、そのまま眠ってしまっていたようだった。  体を起こしかけたが、今日が改めて土曜である事を認識して、そのまま脱力する。北見の会社は年中無休で営業させているが、社長である彼自身は土日を休日としていた。  今日、優穂は帰って来てくれるだろうかと、思いを馳せた時、書斎のデスクに放置したスマートフォンが鳴り出した。ぎくりとして重い腰を上げ、電話を手にしてみると、今朝方掛かってきた脅迫者の番号のようだと、薄っすらと認識する。無視出来ずに応答する。 「北見さん、寝てた?人感センサー切れてるみたいだね。」  優穂の声だった。北見の電話を持つ手に力が籠る。 「今、帰って来てるのか!?」 「うん。一階にいるよ。降りてくれば?」  そこで電話は切られた。北見は慌てて一階へ向かう。階段に差し掛かった時、水溜まりに足を取られて転倒した。瞬時に手摺に捕まったので、階段落ちは避けられたが、強かに腰を打ちつけた。 「あれ、落ちなかったんだ。」  階下から優穂の声が聞こえ、北見は苦痛を堪えながら上半身を起こしにかかった。 「ルームシューズ履いてなかったのもあるし、…勢いも足りなかったのかな?」 「優穂…!」  北見は花の活けられていない、底に傷の入った花瓶を棚の上に確認する。 「仕返しのつもりか!?」  優穂は階段を上がり、北見を見下ろせる位置まで近付いた。 「…大丈夫?バスローブはだけてるよ。…そんな体勢で、俺を誘ってるの?」  今までに見た事のないサディスティックな雰囲気の優穂に、北見は息を呑んだ。見下ろされるのが嫌で、立ち上がろうと上半身を前に倒そうとした瞬間、優穂に股間を踏まれる。 「玩具(オモチャ)でメスイキしちゃったんだってね?中々のエロ動画だったよ。」 「…う、おまえだって…あんな…あ…!」  優穂の足に体重が掛けられ、北見は顔を歪ませる。 「最後、俺の名前呼んで射精するなんてさ。…最悪じゃない?」  優穂は北見の股間から足を放した。 「北見さん、俺の嫌がる事、もうしないんだよね。」  北見は答えない。 「このスマホに入ってる、あるアプリを起動させるとね、北見さんの恥ずかしい映像が一斉に送信されてしまうんだよ。勿論、俺の母さんや、北見家みんなのとこにもね。」  北見は涙を見せ始めた。 「僕は君を愛しているだけなんだ。…嫌な思いをさせたのなら謝るよ。もうしないって誓う。ただ、本当に愛してるんだ…!!」  優穂は無表情になると、しゃがんで北見の顔に顔を近付けた。 「そう。じゃあ、俺の言う事、何でも聞いてくれるよね?」  北見は興奮したように数回頷いた。 「明日は母さんが退院する。取り敢えずは仲の良い親子を演じよう。でも必要以上のスキンシップは禁止。母さんには優しくすること。」 「分かってるよ。だけど、…この僕の思いは報われるのかな?」 「交換条件出せる立場じゃないだろう?でも、まあ…気が向いたら相手をしてあげてもいいよ。…あんたが掘られる方だけど。」 「いいよ、優穂!優穂が望むなら!」  優穂は鳥肌を堪えながら、北見から離れた。 「じゃあね!」 「何処へ行くんだ、優穂?」 「教えない。…明日、帰って来るよ。」  優穂は北見邸を後にした。

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