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第3話

タカヒロとの距離はこんなにも近かったか。 身体に力が入る。 これ以上近付いてはいけないと頭のどこかで警報機が作動し始める。赤い回転灯がくるくると光を乱射するだけで音は一向に聞こえてこない。 これ以上はダメだ。 何故だかダメな気がする。 普段じゃれあってるのに今夜はダメだ。 ふいに身体が持ち上がる。 「ちょっちょっと!濡れたらヤバイって!革靴!スーツ!!」 「大丈夫大丈夫」 「全然大丈夫じゃない!落ちる!!」 170cmの俺を後ろから軽く抱え上げ、まだ水が引いたばかりでてらりと光っているギリギリのラインまで運ばれる。胸の前まで回された腕にしがみつくこともできずただひたすら抗議するしかない。 「落とさないよ」 そんなのわかってる。わかってるけど。 「わー!!やめろって!!」 本気で持ち上げるならもっと強く何も考えずに力を使うはずなのに。壊れ物を扱う様な腕の優しさに気付いてしまった。 「ははっ」 笑いながら素直に降ろしてくれたはいいが背中は触れ合ったまま。前に逃げれば革靴を濡らしてしまう。 緊張感が増していくと同時にその温度はじわじわと背中にに浸透してくる。タカヒロにも同じ温度が伝わっているはずなのに離れない。何故こんなに追い詰められてるのか。 ぬるい体温が上着越しでもわかるほどに。暖かくなっていく。 近い。近いよ。 心を許して感じるのとは違う暖かさ。 頭が回らない。普段のたわい無いじゃれ合いの中で触れることなんて今まで何度でもあった。なのに。 左腕に触れる。 ゆっくりと優しく。 向き合うように誘導される。 雲がいつの間にか増え星はもう見えなくなっていた。波だけが静かに暗闇の中音を立てている。 近いよ。 声に出そうになるけど出せないこの気持ちは何だ。出したらその弱い空気の流れでさえも切れてしまうほどに糸は細いのに。 顔を上げたら。 目を見てしまったら。 おわってしまう。 「つ、次の電車そろそろじゃないか」 「まだあと15分は電車こないよ」 優しく返された言葉にまた無言になってしまう。 あと少し。あと少しで細く長く伸びた緊張の糸は切れてしまう。その糸を切ってはいけない。慎重に距離を取ろうとするが逃げられない。 近すぎる。俺らの距離はこんなんじゃなかった。 時間だけが流れていく。 これは何だ。何か何か早くしゃべらないと。 「アキ」 なのに名前を呼ぶなんて。 タカヒロの切ろうとする熱に焼かれる。 なんで。いつから。そうなった。 お互い安心しきってたはずなのに。自分だけの勘違いで済まないところに今立たされている。 ピロン。 自然の音だけが流れていた時間にふいに響いた電子音はとても大きく聞こえた。 「さおちゃんからじゃない?」 藍色で染められた空間の中、ポケットから取り出したスマホの光が眩しい。話を振られたことで無視も出来ず自然といつもの距離に戻る。メッセージを読むタカヒロの顔をほんのり冷たい光が照らしている。 「あー、実家に子供とそのまま泊まるってさ。この時間アキはもうバスないだろ。紗那ちゃん今日も車で迎えに来てくれそう?」 カンカンカンと電車が近づく知らせが響き始めた。駅はすぐそばだからゆっくりと向かっても間に合う。先ほど降りた階段を2人のぼっていく。 降りた時に感じた熱は少しだけ冷めていた。 [end]

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