299 / 448
君のことが好きだから9(最終話)
「……嘘だ」
「嘘じゃない。俺は兄さんから相談を受けて、樹のDNA鑑定を知り合いに頼んだんだ。あいつは間違いなく、兄さんの子どもだよ。おまえの弟だ」
ガクンっと膝から力が抜ける。
薫は絨毯の上に跪いた。
こんな男の言葉を信用するのか?と、頭の中で声がする。だが、そのすぐ横から、それはたぶん真実だと、冷静に判断する自分の声が聞こえた。
DNA鑑定までしたのなら、樹はおそらく父の子なのだろう。あの父なら、それぐらいの裏切りはやりかねない。
ならば、自分が樹にどうしようもなく惹かれたのは、血のなせる業だったのか。
同じ血を分かつ弟だからこそ、あんなにも愛おしく思ったのか。
……俺は……なんてことを……。
まだ幼い樹を抱いた自分の罪に、いつも怯えおののいていた。許されないことだと、分かっていた。
それなのに、真実は更に残酷な刃を突き付ける。
血の繋がった弟を……母を死ぬまで苦しめた父の裏切りの象徴を……自分は愛し慈しみ抱いていたというのか。
胸の奥に冷たいものが広がっていく。
冷や汗が出てきた。
「まあ、ショックを受けるのも無理はないな。兄さんも酷いことをする。おまえにこんな話をするつもりはなかったんだ。だが、知らなければおまえは、いつまでも目を覚まさないからな。で、どうする?これでもまだ、樹に会いたいか?ん?」
薫はのろのろと顔をあげた。
叔父はさっきまでの嘲るような笑みを消して、少し気の毒げな目をしている。
自分は今、どんな顔をしているのだろう。
「それでも会いたいなら、俺は止めないぞ。おそらくこれが最後だ。おまえと樹は、もう会わない方がいい」
叔父はそう言って小さくため息をつくと、ドアに近づきノックした。
「月城くん。ここを開けてくれ。薫が樹に会いたいそうだ」
少しの間の後で、ドアがガチャリと開く。
薫はよろよろと立ち上がった。
足に力が入らず、よろけてソファーの背もたれに手をつく。
「樹くんは、会いたくないと……」
「いいから連れて来い」
月城はちらっとこちらを見てから目を伏せ、いったん姿を消した。そして、樹を半ば抱き締めるようにして、再び姿を現す。
樹は白いナイトガウンだけ身につけて、俯いていた。
「樹。兄さんにお別れを言いなさい」
叔父の言葉に樹はピクっと震え、ゆっくりと顔をあげる。
「兄さん……」
掠れた小さな声で、樹が自分を呼ぶ。
目が合って、樹の大きな瞳を見つめて、心が震えた。
あれは、憎むべき罪の子なのに、まだこんなにも、愛おしい。
抱き寄せて、今すぐここから、連れ去りたいほどに。
「……樹……」
「兄さん。今までいろいろ……よくしてくれて、ありがとう」
小さいが、はっきりした声で、樹が自分に別れを告げる。
樹は、平気なのか。
何もかも分かっていて、自分を裏切り陥れ、自分に抱かれながら、こっそり舌を出していたのだろうか。
胸の中の冷たいものがどんどん広がっていく。怒りと哀しみと憎しみと愛しさと。
いろいろな感情が混じり合って、心の中で荒れ狂う。
薫は口を開きかけ、だが、何を言うべきか分からず、ただ黙って樹を睨みつけた。
樹の目に、怯えが滲む。
「……兄さん?」
探るような縋るような、樹の目。
薫は引き剥がすように視線を逸らした。
「幸せに。樹。さよなら」
絞り出すようにそれだけ吐き捨て、薫はくるっと背を向けた。そのまま振り返らずに、リビングのドアに向かう。
「兄さん……」
微かな樹の声を背に、薫はドアを開けて出て行った。
ー第1部 完ー
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました*_ _)
これにて「下弦の恋」第1部完結です。
第2部公開はただ今準備中なので、もうしばらくお待ちください。
月うさぎより
ともだちにシェアしよう!