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溢れて止まらない5

「あの子は……うん、恋人……かな」 「すごく可愛らしい子だった。向こうで知り合ったのか?」 樹はぷいっと横を向き 「うん。今は、僕の仕事を、手伝ってくれたりしてる」 「……そうか」 先日、薫に再会した時、彼女を恋人だと思わせるようにわざと振る舞ったのに、薫の口からその言葉が出ると、心の奥がツキツキと痛む。 「にいさんは、奥さんと、幸せ?」 つい、言わずもがななことを聞いてしまった。幸せに決まっているのに。 薫は少しだけ黙り込み 「ああ……そうだな。穏やかに暮らしているよ」 樹は横目でそっと薫の表情を窺ってみた。 薫は目を伏せ、頬をゆるませている。 見なければよかった、あんな質問しなきゃよかった、とすぐに後悔した。 他の人を思って微笑む兄の顔なんか、本当は見たくないのだ。 樹はぎゅっと唇を噛むと、薫が飲み残したペットボトルの水を、ストローで一気に飲み干した。 「あの連中のこと、警察に届けなくていいのか?」 薫の話題が最初に戻る。 樹は、ハッとした。 そうだった。薫がそのことを疑問に思うのは当然だ。自分と違って、真っ当な世界に生きてきた人なのだ。 真っ昼間に拉致されて、薬で朦朧とさせられて監禁されていたのだから、当然、警察に被害届を出すべきだと考えるだろう。 でも……あいつらにそんな手は通じない。 きっとしかるべき所に裏から手を回して、揉み消されるに決まっている。 そのことを、薫にどう説明すればいいだろう。下手に話せば、触れたくない話題になってしまいそうだ。 「……警察には……」 樹が躊躇いながら話し始めた時、シャっという音と共にカーテンが開いた。 振り返ると、月城が少し焦った顔で中に入ってくる。 「ごめん。ちょっと電話が長引いて」 月城がベッドに歩み寄ると、薫の表情が固くなる。 樹は内心、ホッと胸を撫で下ろした。 「改めまして、藤堂さん、お久しぶりです」 「……ああ」 薫が苦虫を噛み潰したような顔になる。 樹は薫と月城の顔を見比べた。 「君にも聞きたいことがある。樹との今の関係についてだ」 「ビジネスパートナーです」 すかさず答える月城に、薫は眉をひそめた。 「ビジネス……?」 「ええ。樹さんの会社のお手伝いをさせてもらってます」 「樹の会社……?じゃあ、樹は……」 月城は頷いて 「日本に帰ってすぐ、樹さんは起業したんです。まだ会社の規模は小さいですが、経営は順調です」 「どんな……会社なんだ?」 「貿易関連の会社です。ネットを使って主に海外の食品や雑貨などを取引しています」 薫は少し呆気に取られた顔になり、樹の顔をまじまじと見つめてくる。 「おまえが……起業を……。そうか……先を越されてしまったな」

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