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溢れて止まらない9
「お前は誰だ、樹とどんな関係がある。そう俺が聞いたんだ。その男はもうすぐ樹が来るから会えば分かる。……多分そう言ったと思う」
「なるほど。それで……薫さん。その部屋を出る前に何か別の薬を?」
「ああ。注射器で打たれた」
「その後の……記憶は?」
月城の質問に、樹は慌てて目を伏せた。
その後の記憶が、もし少しでも残っていたら……。
薫はしばらく黙り込み、必死に記憶を探っている様子だったが、やがて首を横に振ると
「いや……。何か音がしたり声が聞こえていたような気はするんだが……ハッキリとは覚えてないな」
「何か見えていたものは?」
薫はその時の状況を思い出したのか、顔をしかめて
「靄がかかったような視界に時々どぎつい光が煌めいていた。目を凝らして周りを見ようとすると眩暈を起こしたようになる。人がいるような印象はあったが……ほとんどまともに見えていなかった」
「そう……ですか……」
月城は何故だか酷くガッカリしたような顔で小さく吐息を漏らした。だが、樹は反対にそっと安堵のため息をつく。
あの部屋でのことを、薫は覚えていない。声も聞こえていなかったし、見えていなかった。
正直、涙が滲みそうなくらいホッとした。薫には何も、気づかれていないのだ。
……よかった……。
薫がもしあれを覚えていたら、一番に質問してくるだろうから、恐らくほとんど認識出来ない状態だったのだろうと思ってはいたが、薫の口から直接聞けたことで、緊張が一気にゆるむ。
「打たれたのは麻薬の一種だと思います。一度だけなら中毒にはならないとは思いますが、念の為少し様子を見ましょう」
気落ちしたような月城の呟きに、薫は部屋の中を見回し
「ここは……仙台の病院なのか?」
「いえ。石巻です」
「石巻……?」
「ええ。ちょっとツテがあって、ここだといろいろ融通が効くので」
薫は複雑な表情でじっと月城を見つめると
「君は……なんだか得体が知れないな。昔もだが、今は尚更だ。樹の友人と言うが、歳もかなり離れているだろう?どうしてそこまで樹に親身になるんだ」
「友人、では納得いきませんか?」
薫はぷいっと目を逸らすと
「複雑だが……樹が君を信頼していて、君もいろいろ協力してくれているのは分かった。俺は不甲斐ない兄だからな。文句を言う資格なんかないさ」
「にいさん……」
哀しそうな薫の表情に、樹が思わず声をかけると、薫はこちらをちらっと見て
「おまえは今、幸せか?その、養父という人は、おまえに優しくしてくれているのか?」
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