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月の光・星の光5
久我が唐突に身体を突き放す。
樹は、はっとして目を開けた。久我は何だか奇妙な表情を浮かべている。
「味見してやるから来いよ」
手首を掴まれ、ドアの方に引きずるように連れて行かれた。久我は壁際の男たちに無言で目配せすると、開かれたドアから廊下へと出る。
恐らく、寝室に連れて行かれるのだろう。
ここに乗り込む前に、こういう事態になることも、想定はしていた。
自分の身ひとつで、兄に危害が及ばなくなるのなら、どんなことをされても我慢出来る。
2階にあがる階段の手前で、久我が立ち止まった。振り返ってこちらをじっと見つめてくる。樹も無言で見つめ返した。
「決死の覚悟で乗り込んできたんだろうが……お嬢ちゃん。こちらも今、デカい取り引き控えてる身だからな。くだらねえトラブルはなるべく避けたいんだ」
「……え?」
「玄関の外に迎えが来てるぜ。大人しく帰んな」
樹は大きく目を見開いた。
想定外の久我の言葉に理解が追いつかない。
「おまえの持ってきたネタもおまえ自身も、ちょっと惜しい気はするが。今日の所は保護者と一緒に帰るんだな」
久我はそう言ってニヤリと笑うと、樹を玄関まで強引に引っ張って行く。
控えていた黒服が厳かにドアを開けた。
外に立っていたのは……月城と朝霧だった。
「おいで、樹くん」
月城に手招きされて樹は息をのみ、久我の方を振り返る。久我は踵を返し、元の部屋へと歩き出していた。
「来なさい、樹」
樹は呆然として、長身の朝霧を見上げた。
「どうして……」
「話は後だ。帰るぞ」
樹はまだ信じられなくて、後ろを振り返りながらふらふらと朝霧に歩み寄った。朝霧は自分のコートを脱いで素早く樹の身体を包み、門の方へと歩き出す。
門のすぐ外の道路に停まっている車の、後部座席のドアを開けてから、月城は運転席に乗り込んだ。
「早く、乗って」
樹は朝霧に押し込まれるようにして、後部座席に乗り込む。
車が発進しても、しばらくは誰も声を出さず、重苦しい沈黙が流れていた。
樹はまだ呆然とした顔で、傍らの朝霧をそっと見つめる。
朝霧は無表情だったが、ピリピリとしたオーラを纏っていた。
「……どうやって……あそこに、」
「樹。言うべきことは他にあるだろう?」
おずおずと切り出すと、ピシャリと遮られた。樹は黙り込み俯く。
朝霧は怒っている。
当然だ。何も相談せずに勝手なことをしたのは自分なのだから。
でも、いてもたってもいられなかった。薫の様子を見たら、焦燥感に駆り立てられてじっとしてなどいられなかったのだ。
自分のせいで、命より大切な薫が辛い思いをした。兄をそんな目に遭わせてしまった自分が許せなかった。
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