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第1話 青天の霹靂

 『あ、あぁ、ン、あン、あ、』  そんなあからさまな喘ぎ声がくぐもって、俺ひとりしかいないと思っていたオフィスに響き、その直後、慌てた様子の小さな声が聞こえ、喘ぎはぴたりと途絶えた。  月曜、一番気だるい昼下がり、昼寝をしようとデスクに突っ伏していたうつらうつら、片足を夢の世界に突っ込んでいた俺は一瞬で現実世界へと引き戻される。  国内では大きいほうに入る電子部品メーカーの営業課、今日は全員外回り。俺だけ、向こう都合で訪問するはずの一社がキャンセルとなり戻って来てた。デスクで内勤のはずの営業アシスタントは皆で新しくできた海鮮丼全て五百円っていう飯屋にお出かけで、ちょうど、俺と入れ違いに出て行った。すれ違い様、女子全員で行くのだけど、一緒にどうですか? って誘われて、営業スマイルで断っておいた。。  内心は「クソめんどくせぇ」だけど、外面はニッコニコで「いってらっしゃい」って言って。  全員で出払うから、「彼」に電話番を頼んだのだけれど、頼みづらくてって、ホッとしている彼女らを見送りながら、電話番は面倒だから、帰って来たことは内緒にしとこうと思った。頼み事をするのは好きだけど、されるのは嫌いだ。めんどくせぇから。  というわけで、電話番は引き受けたような引き受けてないような曖昧な笑顔でスルーして、そっと部屋へと戻る。  六人いる営業全員が、今、どこに外回りで出ているのか、ホワイトボードに書くことになっている。帰ってきている、在社している、のならホワイトボードは真っ白。つまり、そこにある午後の外回り予定を消さずにいれば、俺は昼休みの間「彼」に帰ってきていることを気がつかれない。  で、そっと、デスクに戻り、昼下がり、少し埃っぽくも感じられる、暖房で乾燥した部屋で昼寝をしていた。そう思って惰眠を貪っていた。パソコン画面と棚、並んだファイルたちのおかげで、デスクに突っ伏して寝ていても「彼」には気がつかれない。そして「彼」以外は誰もいない。 そう、今、ここにいるのは俺と「彼」だけだ。そんでもって、俺はエロ動画は見ていない。つまり、あの喘ぎと「うわっ!」って叫んだ小さな声の主は……。  そっと、そーっと首を伸ばす。 「……」 「……」  そして見つけてしまった、オフィスの一角で、どエロい喘ぎで悦がりまくりの動画をパソコン、いや、スマホでこっそり視聴しようとして、音声垂れ流しにして慌てて消した、どスケベ。 「……」  そのどスケベな「彼」は、うちの会社のホープと言われいている、バッキバキに仕事をこなして、最年少で元営業課長を窓際どころか、このフロアから追いやった、現営業課長、その人だった。 「あ、えーっと」 「……」  気まずさハンパねぇ。エロ動画見てるところを部下に見られてとか、向こうも最悪だろうけど、こっちだって最悪だ。  とりあえず、なかったことにするのが一番。大人のエチケットっつうやつ。外ヅラは温厚で爽やかな好青年で通らせてる俺はそこをサラッとスルッと。 「外回りから帰ってきましたぁ。あ、でも、ちょっと外回りにいってきます」  ニコッと笑って、そして、そっと逃げ出した。デスクから立ち上がり、何も知りません、聞いてません、見て……はマジでしていません、って顔をして、ふいぃっと部屋の外へと逃亡を図った。  マジかよ。あれが、課長? あの、鬼の子すらちびるだろう、あの口うるさかった元営業課長に何一つ反論させずに隅っこへと弾き飛ばした、キレッキレにキレのある、スパルタ課長、花織要(はなおりかなめ)? 人違いなんじゃねぇ?  いつもはつり上がったまま固定されてる、っていうか、たぶんそれが通常仕様なんだろってほど、一ミリだって下がることのない眉毛を八の字にして、顔、真っ赤にして、口開けて、眼鏡越しでも痛いほど突き刺さる鋭い瞳をまん丸く見開いていた。あれが、あの、花織要?  名前はすげぇ綺麗でさ、ちょっと女っぽい名前だし、この部署に就任してくるらしい新課長に営業全員が色めき立ったのを覚えてる。性別までは知らされてなかった俺たちは、新課長が三十歳という年齢、すげぇ仕事ができるらしく、社長がどこからか引き抜いたやり手、「花織要」にぶっちゃけよからぬ妄想を抱いていた。  元気印の男子高校生じゃあるまいしって思うが、名前だけで想像したのは、タイトルスカートがエロい女上司。  もちろん、そんな妄想は一瞬のうちに砕け散ったけど。  あ、眼鏡越しは妄想どおりだった。でも、現実はそんなエロ動画みたいなことにはならないわけで、綺麗で美人な名前とは裏腹に、鬼の子もビビるっつうか、あんたこそが鬼なんじゃねぇの? ってくらいにスパルタな上司だった。もちろん、男。細くて、白くて、清潔感は溢れてるけど、触れたらその瞬間、眼力だけで向かい合った奴の心臓を刺し貫けるんじゃねぇかと思える。おかげで営業成績はたしかに伸びたけど、俺たちの寿命は縮んだって、営業のひとりがぼやくくらいには厳しい人。  そんな、厳しいスパルタ花織課長がエロ動画見てた。  部下である俺にエロ動画を見られて、顔を真っ赤にして、今にも泣き出しそうなほど潤ませた瞳を大きく見開いていた。  ビビったのはこっちだから。あの人が昼休憩のエロ動画を見ていることのほうがよっぽどビビるし、こえぇよ。 「マジで……ビビった……」  ポツリと呟いた声が今度こそ誰もいない廊下に響いていた。 「こんな見積もり、ダメに決まってるだろ。お前は会社を大赤字にするつもりか? やり直しだ」  どえらいのが来たって皆、顔面蒼白になったんだ。花織課長の前の課長も厳しかったけど、どこかずぼらだったから、隙があるっつうか、はいはい、わかりましたよってバカにしてた。 「なんだ、この納期回答は。これ、ちゃんと工程管理のほうに問い合わせたのか? この工程には、丸二日かかることも知らないのか? 納期回答くらいちゃんとやれ」  でも花織課長は一ミリだって隙がない。それどころか、完璧すぎて、内心だろうがバカにしてやることも、文句を溢すこともできない。 「おい! 山口! 今持って来た見積もり書、もう一回持ってこい!」 「は、はいっ!」  慌てて俺の後輩である山口が駆け寄って、ぴたりと停止した。課長のデスクの前で金縛りにあったみたいに動かない。っていうか、動けない。課長がめちゃくちゃ睨んでいるから。 「今の見積もり、お前、試験成績票の添付手数料抜けてるぞ。それだって人件費、票の紙代、諸々かかってるんだぞ。サービスにするな。ちゃんと利益に繋げろ」 「え、でも」  いや、無料だろ、そこはサービスだろ。添付手数料ったって、材料費込みで何円なものなんだ。それをきっちり取るよりも、そちらさんのご都合もありますよねっつって良心的なところを見せて、好印象にしたほうがいい。そしたら、次の仕事に繋がる。 「そういうところをきっちりしないと、付け込まれて、向こうの都合の良いようにしか仕事がとれなくなる。わかったな」  でも、って反論しかけた山口がきゅっと口をつぐんで、デスクへと戻っていった。そりゃボランティアじゃねぇから、全部で金を取って利益に繋げるのはわかるけどって思うよな。俺も思う。仕事貰うためにはそういうところもあるだろって言いたいけど、たしかに花織課長は仕事を取ってくる。だから何も言えない。すげぇ完璧すぎるんだよ。隙がひとつもない上司っつうのは、その存在だけでもかなりのプレッシャーになる。 「おい、庄司(しょうじ)」  見た目は綺麗で、青年というか少年って言っても通用しそうな華奢さなくせに、仕事が完璧すぎる新課長は威圧感がハンパじゃねぇ。マジで、皆、感心とか、尊敬通り越してビビりまくりだ。見積もりのそんな小さなところすら見逃さないんだ。 「庄司」  抜け目のなさだけじゃない。普段、ほぼおしゃべりに参加せず眉間に皺を寄せっぱなしで、そして無愛想。 「おい庄司、庄司高雄(しょうじたかお)」  でも……エロ動画を真昼間から見てたがな。なんて思ってみたりして。 「ちょっと、こっちに来い」  鬼の新営業課長に皆ビビりまくり、睨まれると生きた心地がしない。そんな花織課長はエロ動画見てましたよ、なんて思ったりしたのがいけなかったのかもしれない。こっちを今、まさに、眼力だけで刺し殺しそうな勢いで睨みつけていた。

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