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第1話

 サインも落書きもごちゃ混ぜに書きつけられた黒い壁は、どこもかしこも煙草の臭いが染み込んでいて、楽屋というより舞台へ向かう通路と呼ぶにふさわしい狭い空間は、乾いた小便の臭いと、その臭いを覆い隠そうと躍起になったクレゾールの臭いが漂って、目と鼻を刺激する。 「何?」 白い肌に真っ赤な襦袢を着付けながら、紅夜(こうや)は縁の錆びた鏡越しに背後を睨む。 「別に。ただ、お前もそろそろつまらねぇ身体つきになってきちまったなと思って」  破れて黄色いスポンジが見える合皮のソファに座り、口の端で煙草をくゆらせながら、黒谷(くろたに)は鬱陶しそうに髪を掻き上げる。 「ロリコン」 「はんっ、野郎なんか縛っても美しくねぇんだよ」 黒谷は勢いよく紫煙を吐き出した。 「ま、美意識は人それぞれだからね。僕は骨格が成長しても、ちゃんと美しいよ」 「ま、美意識は人それぞれだからな。そう思いたけりゃ、思っておけ」  鏡を通じて交わされる言葉は鋭く、空気は冷えて尖っていて、楽屋を覗き込むスタッフは壁の陰に半分顔を隠したまま、そっと喋る。 「間もなくです、お願いいたします……」  黒谷は煙草を揉み消し、手首に嵌めていた黒いゴムで無造作に後ろ髪を結わく。ギリギリと音が聴こえるほどゴムを引き絞って後頭部に小さな尻尾を作ると、舞台袖からステージを見た。  紅夜も黒谷の顎の下に頭を出して、一緒になってステージを覗く。  ステージでは、貞操帯を着けた男が跪き、その周りを女王様が黒いエナメルのボディスーツを着て、針のように細いピンヒールのニーハイブーツを履いてステージの上を歩いていた。 「ボンテージもいいよね。今度、革のボンテージスーツを買おうかな。手切れ金、ちゃんとちょうだいね?」 「ああ。最初の約束通りに支払う」  クセのある茶色い髪から甘い花の香りを嗅ぎ取って、黒谷はその臭いを軽く吸い込むと背筋を伸ばした。 「最後の仕事だ」 「うん」  ステージが闇に沈み、次に明るくなったとき、紅夜は真っ赤な襦袢を翻しながら、ステージの中央へ向かって歩いて行った。

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