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Laurel【1】
数多の星辰 で彩られる夜空、凛と神々しく、総てを包み込むかのように佇んでいる月の下、双方黙して水平線の彼方を見つめる。
とは言え、月明かりだけでは限度があり、果てなど無いのではないかと思わせるような溟海を前に、波の姿すらよく捉えられぬまま堤防にて立ち、先ほどから黙りこくっては風に身を任せている。
「潮の近くは、やっぱ風あんな……」
陽炎揺らめく世界が嘘のような、なよやかで心地の好い風を一身に受け入れながら、まるで独り言のように呟かれた言葉が宙を舞い、呑み込まれそうな程に深い深い海の闇へと吸い込まれていく。
「なんも見えねえんだけど」
すると、不満そうに紡がれている割には落ち着いた声音が、波の調べと共に鼓膜へと滑り込んでくる。
当然のことながら辺りに人は居らず、良い子はとうに眠りに就いていなければならないような時間帯に、夜空の輝きだけで景観を楽しむには無理がある。
けれども何処までが本気なのか、さも景色を楽しめずに残念がっているような言い方をし、相変わらず何を考えているのか分からない男だと思う。
「仕方ねえだろ、夜なんだから。そもそもテメエが無理矢理連れてきたんだろが……」
「アレ? そうだっけ」
ぽつりぽつりと、ようやく交わされ始める言葉を耳にしながら、大海のざわめきを肌で感じ取る。
視線を向ければ、銀糸のような髪をさらりと風に弄ばせ、淡い輝きを見せている月光に照らされながら、端正な顔立ちに微笑を湛えている青年が映り込む。
「ったく……。寒がりで暑がりなテメエが……、なんでよりにもよってこんな季節のこんな時間帯にこんなところへ来ようと思ったんだ、バカだろテメエ」
「傷付くなァ……。真宮ちゃんと色気のある夜を過ごしたい一心で、わざわざこんなところにまで足を運んだっていうのに」
「ハァ? 相変わらず押し付けがましい野郎だな」
「どうも」
「バカ、呆れてんだよ」
溜め息混じりに言葉を紡ぎつつも、日中の暑さから暫しでも解放され、あまりにも穏やかで気持ちの良い涼風を身に受けていることで、不覚にも優しげな言動を露にしてしまう。
来たくて来たのではない、無理矢理に連れて来られて辟易しているはずなのだけれど、夜の海を楽しんでいる自分が居るのも確かな事実であり、なんだか負けたような気がして少し悔しく感じていた。
「真宮」
何を思うでもなく視線を向けると、当たり前に並んで立っている銀髪の青年が居り、淡い輝きの下で微笑を湛えている。
柔らかく名を紡がれ、すっと差し伸べられた手に頬を撫でられ、ひやりとした感触に目を細める。
「嫌がらなくなったな。俺の手……」
「嫌がるだけ無駄だろ。テメエしつけぇし」
手を払い除ける素振りも見せず、直立不動で漸の思い通りに撫でられていると、意外だと言わんばかりに声を掛けられる。
嫌がったところで、目前で笑んでいる青年が大人しく引き下がってくれる可能性など無きに等しい。
無駄な体力を使うだけだと分かりきっているので、諦めて仕方無く為すがままにされている。
本当はもう、差し伸べられる手を然して嫌とも思っていないくせに、あくまでも我慢してやっ ていると己へ言い聞かせ、往生際悪く未だに抗っている。
今までずっと突っぱねてきたのに、今更その手を心地好く感じられるようになっただなんて、情けなくて口が裂けても言えるはずがなかっ た。
「いて。摘まんでんじゃねえよ」
「何処まで許してくれるのかと思って」
「許してねえよ。一切許してね、いててっ。テメいい加減にしろ」
暫くは優しく、穏やかに頬を撫でていた手が、 唐突にむぎゅっと摘まみ始めて驚き、地味に痛みが込み上げてきたところでたまらず非難する。
それでも簡単にはやめてもらえず、楽しそうに声を弾ませている漸 に尚も頬を摘ままれ、じんわりと目尻に涙が浮かんでくる。
悪戯な笑みを湛えているのだろう漸は、ぐいと引っ張ったりして一頻り遊んでから、摘まむのをやめて再度慈しむように頬を撫でてくる。
「真宮……」
そうして急に真面目になり、すりと頬を撫でられながら名を呼ばれ、静かに唇が触れ合う。
「ん……」
「もう一回……」
「調子乗んな……」
「なんで……? ホントはキスしたいんだろ? 俺と……」
「勝手なこと言うな。俺はそんなこと一度も、 んっ……てめっ」
「早くも二回目。悪態つきながらも結局は……、 全部受け止めてくれるんだよな。お前はずっとそうやって、何もかも受け入れてくれる……。お前だけが、俺を……」
いつしか向き合い、両の頬を温もりに包まれ、 額を合わせてきた彼が間近で思い詰めたように紡ぎ、涼やかな風と共に波の調べが通り過ぎていく。
言葉で返すよりも、頬に触れている手に手を重ね、何も言わずに温もりを分け合う。
確かめるようにすり、と手の甲を撫で、一方の手だけを重ね合わせながら瞳を閉じ、置かれている現実を、立場を忘れて罪深い夜を過ごし、 黙ったまま二人で立ち尽くす。
「もっと、キスしてあげる……」
「いらねえって、言ってんだろ……」
「お前今、顔真っ赤だろ……」
「うるせぇ、そんなんどうでもいいだろ……」
「ふっ。よく見えてねえんだから、嘘つけばいいのに」
「お前みてえに嘘がつけねえ性格なんだよ」
「あ、なにそれ。もしかして喧嘩売ってる……? 清らかぶっちゃってやな奴~」
「テメエにやましいことがあるからそうとっちまうだけだろ。俺のせいじゃねえ」
言葉を交わしている間にも、隙ありとばかりに頬へ口付けされており、肌寒さに反して体温が次第に上昇していく。
どうしてこんなところに来たのかなんて、理由も分からなければ意味など必要もない。
声を大にして認められなくても、人の目を避けるように互いにこのような場所まで来てしまったという事実だけで、十分である。
もう随分と前から互いを求め、傷付け合い、許し合って積み重ねてきた言動の数々の延長が此処であり、その先にもずっと続いていると信じてやまない。
「真宮……」
「ンだよ……」
「ムラムラしてきたから、とりあえず一発やってこうぜ」
「やんねえよ、くそボケ死ね」
「即座に何を求めてるか察するなんて、いやらしい奴になっちまったもんだなァ~。まあいいや、やるぞ真宮」
「やらねえっつってんだろ! ちょ、やめろ海だ! 海だ、此処!」
「海だな」
「海だな、じゃねえ! 何かっこつけてんだよ!」
がらりと空気が変わり、軽口と共にいやらしい手付きで触れてくる漸を払い除けながら、途端に騒々しく賑わっていく。
漸の手からするりと脱け出して、瞬間脱兎の如く逃げていき、足元に注意しながらも海へと別れを告げて堤防から下りていく。
直ぐ様追ってくるかと思いきや、漸は暫くは逃げ出していく様を眺めてから己の手を見つめ、仄かな照らしの下で物思いに耽る。
「真宮……」
小さく名を紡ぎ、すぐにもそっと流れていく風に掻き消されるも、いとおしそうな声音と共に自然と笑んだ表情が、想いの全てを物語っている。
暫しの時を経てからすっと手を下ろし、ゆったりと歩を進めて後を追い、海辺にて佇んでいた人影は消え、波の音だけが残される。
「真宮ちゃ~ん、置いてかないで~。もうなんにもしないからー」
「テメエの発言は信用に値しねえ!」
「律義だな……。ちゃんと呼び掛けに応えてくれんのな……」
後ろから呼び掛けられるも信じられるはずもなく、構わずすたすたと歩いていく。
それでも彼が追い付ける猶予を残してしまうあたり、もう随分と前から毒されてしまっている。
互いにとうに離れられないのだけれど、濁してばかりで踏み越えずに微妙な立ち位置のまま、 危うい関係を続けて今夜も更けていく。
とりあえずは彼の手に捕まるのは、悔しいけれども時間の問題であった。
【END】
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