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五十、珠生の友人

 翌日、舜平はひどい二日酔いに苛まれていた。  兄の言うように、節操のない飲み方をしてしまったからであろう。舜平は痛む頭を押さえつつ、朝食をとるべく居間へと降りる。 「あんたひどい顔やねぇ、二日酔いか?」 「……うん、まぁ……」 と、母・美津子が呆れたようにそう言った。味噌汁の匂いに、少しばかりむかつきを覚えつつも、一口すする。すると、味噌の塩気のおかげで身体がやや生き返るように感じた。 「まったくもう。今日もどっか行くん? 母さん、友達と出かけんねんけど」 「ああ……一時間したら出る。おとんと兄貴は?」 「もうお寺。早貴は帰って来てへんし」 「ま、クリスマスやもんな」 「あんたは彼女いいひんの? 前おったやん、なんかきらびやかな女の子」 「あぁ……あいつはもうとっくに別れたし」 「それ以来いいひんの? やれやれ、あかんなぁ、花の大学生が」  「五月蝿いな、ええやん別に。ごちそうさま」  当たり前のように朝食を出してくれる母親がいる——舜平はふと、珠生のことを思い出した。  健介はもう千葉なのだ、きっと一人で朝食を作って食べているのだろう。きっと彼にとってはそれが当たり前の事なのだろうが、家族と離れることなく暮らしてきた舜平にとっては、それは少し淋しげに見えてしまう。  舜平など、一人暮らしをしたら、きっと二日酔いの朝は何もできないだろう。こういう時ほど、家族のありがたみを感じる。  ふんふんと鼻歌を歌いながら後片付けをしている母親の丸い背中を眺めながら、そのうち礼でも言ってやろうと舜平は思った。  +    約束の時間よりも三十分も早く珠生の家に到着した。聞けば、今日は亜樹も誘ったと言っていたため、後で亜樹も迎えに行くことになっている。 「早すぎ」 と、珠生が玄関から顔を出すなりそう言った。歯ブラシを咥えている。 「すまん。おかんが駅まで送れって言うから、そのまま出てきてん」 「あ、そうなんだ。まぁどうぞ」  ぺたぺたと裸足で廊下を歩いている珠生についてリビングへ入ると、ソファと和室で、二人の男子高校生が寝っ転がっている。舜平が驚いていると、珠生はコーヒーを入れながら説明した。 「昨日、終業式のあとクラスのみんなで遊びに行ってたんだけどさ、ついてきちゃったんだよこの二人」 「あ、そうなんや。楽しそうやな」 「うん、楽しかったよ」  ボーリングの後はファミレスへ行き、だらだらとそこで過ごしていた。一人暮らし状態の珠生の家へ行ってみたいと言い出した斗真、優征、直弥の三人を連れ、お菓子や飲み物を買って帰宅し、まただらだらとテレビなどを見て過ごしていたのだという。  直弥は次の日は実家の旅館を手伝う仕事があるといい、日付が変わる前に終電で帰っていった。結局、斗真と優征は珠生の家に泊まり、まだ寝ているというわけである。 「ええなあ、懐かしいわ。俺もそんなんしてたっけなぁ」  ダイニングでコーヒーを振る舞ってもらいながら、舜平は懐かしげに笑った。  珠生はソファで毛布に包まって寝ている斗真を揺さぶり、和室に敷いた布団で眠る優征をゆり起こした。 「ん……何やねん」 と、優征は仏頂面で目を開け、のろのろと身体を起こした。 「ほら、起きろって。俺出かけるって言ったろ?」 「え? あぁ……天道とデートね」 「デートじゃないから。ほら、さっさと顔洗って。斗真も、起きてってば」 「ううーん……」  斗真は寝返りをうち、ソファからごろりとラグマットの上に落ちる。そんな様子を見て、舜平は笑った。 「……あれ、お客さん?」 と、のっそりと和室から出てきた優征が舜平を見た。優征の背の高さに、舜平はちょっと驚く。 「でかいな、君。バスケでもしてんの?」 「あ……はい。バスケ部で……」 「そうなんや。強そうやな」  そう言って爽やかに笑っている舜平を見下ろし、優征は乱れた頭をぼりぼりとかいた。珠生は優征と斗真の分もコーヒーとパンを出しながら、「食べるよね」と言った。 「あ、おう。サンキュ……。おい、斗真、起きろ、ボケ」  優征がべしと斗真の頭を叩くと、斗真はようやく起き上がった。そして舜平を見て、慌てて立ち上がる。 「あ、誰……?」 「父親の研究室の学生さんだよ。天道さんと、この人と一緒に、芸大の展示を見に行くんだ」 「あ、そうなんや。デートじゃないんや」 と、斗真がシャツをズボンに入れ込みながらそう言った。 「しつこいな」 と、珠生は渋い顔だ。  顔を洗って戻ってきた優征は、ダイニングに座って合掌する。 「ほな遠慮無く、いただきます」 「どうぞ。意外と礼儀正しいんだね」 「こんくらい当たり前やん。てかお前はどんな目で俺を見てんねん」  えらくいかつい友達が多いのだなと意外に思いながら、舜平は優征と斗真を見比べる。二人共舜平よりも背が高く、高校生にしてはかなり体格もいい。そして外見の華やかさもなかなかのものだ。類は友を呼ぶのだろうかと、舜平は思った。  コトンと目の前に置かれたのは、ここのところすっかり舜平専用になっている焦げ茶色のマグカップだ。舜平の好きな砂糖なしのカフェオレで満たされたそれを見下ろし、舜平はてきぱきと立ち働く珠生に微笑みかけた。  すると珠生は少し照れたように頬を染め、プイと無愛想に目をそらした。 「こっちは本郷優征、こっちは空井斗真。二人共バスケ部で、この人は元キャプテン」  きちんと着替えて戻ってきた珠生は舜平の隣に座り、二人を紹介した。珠生はストライプのシャツの上に黒いセーターを着てベージュのパンツを履き、いつもよりどことなく大人びた格好だ。 「それで、こっちは相田舜平さん。京大の学生さんで、来年から大学院生」 「へぇっ、すげぇな。頭いいんや」 と、パンくずを口の周りに付けた斗真は、尊敬の眼差しで舜平を見た。 「俺なんてバスケがなかったらほんまにどうなってたか……」 「スポーツ推薦なん? すごいな」 「でかいだけですよ」 と、斗真と舜平はすでに打ち解けた雰囲気を醸し出している。優征はじっと舜平を観察するように見つめ、そして珠生を見た。 「相田さんは、珠生と仲いいんですね。一緒に出掛けたりとか、ようしはるんですか?」 と、優征が話しかける。目線は、舜平の手元。カフェオレの入ったマグカップだ。 「え、まぁ……そうやな、たまにはな。先生にお世話にもなってるし」 「ふうん……そうですか」  優征の問いに戸惑いがちに応える舜平の隣で、珠生はマイペースに朝食を食べ終えている。 「なんで天道とも友達なんすか?」 と、斗真。 「えーっと……何でやっけなぁ」 「珠生に紹介されたってこと?」 「いや、えーと、湊とか彰とかも知り合いやし……」 「え、柏木とも友達? あぁ、そういえば俺、相田さん文化祭で見たわ! 去年の!」  直接喋ってはいないが、悠一郎が写真を撮っていた時に舜平もそばにいた。斗真はそれを思い出したのだろう。舜平はその時写真を撮っていた奴の展示を見に行くのだと、斗真に説明した。 「ふうん、なんやかんやで天道も知り合ったってことか」 と、斗真は自分なりに解釈して落ち着いているようだ。 「そうそうそう!」 と、舜平はあたふたしながら乗っかっている。 「ちょっと、あんまりのんびりしてないでさ。こっちは用事があるんだって」 と、片付けに入っている珠生がキッチンから声をかけると、三人は一斉に珠生を見た。 「あ、せや」  優征は斗真を促して立ち上がると、「俺らも午後から部活やろ、帰って着替えなアカンな」と言った。 「あ、そうだったっけ。やべ」  皆が出かける雰囲気になったところで、珠生は先に立って玄関へ出ていった。その後に大きな身体でちょこまかとついていく斗真が、「いやぁ朝飯まで出してもらって……」と嬉しそうにしているのを眺めつつ、舜平も立ち上がった。  ふと、優征の視線に気づく。きりっとした大きな目に好奇心を乗せて、優征は薄く笑った。 「相田さんて、ひょっとして、珠生と何かあんの?」 「え?」 「なんか、見てたら何も喋らんでも息ぴったりやし……珠生の雰囲気とか見てたら、何となく」  優征は薄笑みを浮かべ、ぺったんこの鞄を肩に引っ掛けて小首を傾げた。 「気のせい……かもしれへんけど、すんません、いきなり変なこと言うて」 「いや……かまへんけど」  何を言うべきか言わないべきかも分からず、舜平は複雑な表情で優征を見ていた。優征は先に玄関の方へ足を進め、靴を履きながら言った。 「気をつけといたほうがいいんちゃいます? 珠生、学校で男女問わずモテまくりやし」 「気をつけるって……何をやねん」 「ま、機会があったら、また」  優征はスポーツマンらしく爽やかに笑い、斗真と珠生の待つ外へ出ていった。 「もう、早くしてよ」 と、再び顔を出した珠生に急かされながら外へ出ると、二人の姿はもうそこにはなかった。

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