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五十二、クリスマスの街
珠生と亜樹は、ぶらぶらと北白川通りを歩いて駅へと向かう。芸大のそばだからだろうか、歩いてみると付近はおしゃれな店が多く、歩いているだけでも楽しかった。
「ねぇ、見て」
と、珠生が一軒の店の前で立ち止まり、中に置いてある実物大のアルパカを指さす。
「アルパカや」
「今日の天道さんそっくり」
と、珠生はにこにこしながら、亜樹の着ているダウンジャケットを指差した。
「……ほんまや」
「天道さんって、意外と私服可愛いよな」
珠生の言葉に、亜樹はぽっと頬を染める。しかし、あえてつんとした口調で言い返した。
「意外とは余計やろ」
「あ、そっか」
「あんたは、何でもかんでも思ったことすぐに口に出しすぎやねん」
「なんか誰かにも言われたな、それ。湊だったかな」
「そうやって無意識に女子をあちこちで褒めて回ってるからもててんちゃうの」
「俺、あんまり女子とは口きいたこと無いんだ。皆、理想を俺に当てはめて見てるだけだよ」
「ふーん……」
「女の子とは何喋っていいか、分かんないんだよね。その点、優征はぺらぺらとよく口が回るから感心する」
「あいつはただのスケベや」
「確かに」
珠生は楽しそうに笑った。こうしてクリスマスに二人で過ごし、しかも笑い合っているという事実が、亜樹にとっては夢のよう出来事だった。なんとなく地下鉄の駅を行き過ぎたため、二人はバスに乗ることにした。
「あ、うち……河原町に用事がある」
「え。なに?」
「深春と柚さんに、クリスマスプレゼント買おうと思って……」
「へぇ、いいね、それ。俺も行く」
「え?」
「俺もなんか買って、プレゼントしよっと」
「便乗しよって」
「いいじゃん、あ、バス来たよ」
亜樹に窓際、珠生は通路側に座った。
珠生が撮影旅行の話をしている間、亜樹は相槌を打ちながら話を聞いた。無理をして話をしてくれているのかと心配になったが、珠生の表情はいつになく自然で、ほっとする。
二人は河原町でバスを降り、繁華街の大きなビルの中に入っている雑貨屋に向かう。街中もビルの中もすっかりクリスマスムードで、おしゃれに着飾ったカップルたちで溢れている。
「深春にはこれなんかどうかな」
と、珠生がえらく可愛らしい湯たんぽを手に取ると、亜樹は即座に「却下」と言った。
「なんで? 京都の夜は極寒だから、絶対喜ぶって」
「いやいや、あいつ、この真冬もタンクトップ一枚で寝てんねんで。寒いわけないやろ」
「えっ、そうなの?」
「こっちのほうがいいんちゃう?」
と、亜樹はどこから持ってきたのか、ココア味のプロテイン缶を持っている。珠生はため息をついた。
「あいつがあれ以上強くなってどうすんだよ」
「筋肉がほしいって言ってたから」
「十分いい身体してるじゃん、深春は」
「じゃああんたが飲む?」
「俺はべつにいい」
「もやしなんやから、これ飲んでもっと筋肉つけたら?」
「……天道さんがマッチョ好みとは知らなかったな」
「だ、誰がマッチョ好みやねん! 別にうちの好みで選んでんちゃうわ!」
亜樹は真っ赤になって肩を怒らせながら、今度はマフラーや手袋などが並んでいるコーナーに向かった。珠生は苦笑しつつついていく。
「この色、似合いそうだな」
と、珠生は紺色のざっくりとしたマフラーを手にとった。亜樹もそれを覗きこみ、頷く。
「ほんまやな。あいつ、色白いし似合いそう。でも高い」
「二人で出せばいいんじゃない?」
「あ、そっか」
「じゃあひとつはこれね。柚子さんは?」
「柚子さんにはうちが選ぶわ。あんた、お父さんにプレゼントでもしたら?」
「あぁ……それもそうだね。じゃあお互い保護者に選ぼうか」
「せやな。ま、ゆっくり探そ」
亜樹は深春のマフラーを手に持ったまま、キッチン用品の方へと消えていった。珠生もふらふらと、健介へのプレゼントは何がいいかと考えながら、棚の間をうろついた。
+ +
珠生と亜樹は、それぞれに紙袋を抱えて歩いていた。ぶらぶらと繁華街を歩いていると、どこもかしこも実にカップルが多いことに驚いてしまう。
はたから見たら、自分たちもそう見えるのだろうかと、亜樹はふと思った。男性と、しかも憧れの珠生ととこうしてクリスマスに二人で街を出歩く機会に恵まれるなど、想像したことすらなかった。
珠生は珠生で、まったくもっていつもの調子だ。はしゃぐでもなく緊張するわけでもなく、いつも通り。それが亜樹にとっては楽なのだが、同時に、なんの意識もされていないことが伝わって来て、若干寂しくもあった。
「疲れたから休憩しよっか」
と、珠生はフランチャイズのコーヒーショップを指さしてそう言った。
「そ、そやなぁ……」
確かに人ごみを歩いて疲れている。ふたりは、混みあった店内に席を見つけて荷物をおいた。
「座ってて。何がいい?」
「えっ!? な、なんで!?」
「荷物番しててよ」
「あ、あぁ……うん。そしたら、あ……あったかいココアがいい」
「ココアか、いいね。俺もそうしよう」
珠生は微笑んで、一人飲み物を買いに行った。混みあった店の中を見回すと、やはりここもカップルが多かった。ふと、両脇に座っていたカップルの女性の目線が、どちらも珠生に釘付けになっていることに亜樹は気づいた。眺めていると、珠生が歩く先々で若い女性たちが少し驚いたように珠生の顔を見上げるのだ。これはすごいと、亜樹は思った。
「おまたせ」
「あ、お金」
「あ、いいよ。また今度、なんかおごって」
そう言ってにっこり笑う珠生を、両隣の女子たちが彼氏そっちのけで見ている。そんな風景に気づくでもなく、珠生はココアを熱そうにすするのである。
こいつ、ほんまに鈍いんやな。と、亜樹はそれにも感心した。
「……美味しい」
亜樹がつぶやくと、珠生も頷く。
「なんだかんだ、結構歩いたな」
「お父さんに何買ったん」
「メガネケースだよ。普段はコンタクトだけど、忙しい時期は結構眼鏡も使ってるみたいだし」
「へぇ、ええなぁ。喜ばはるやろうな」
「柚さんには?」
「柚さんは寒がりやから、あんたが最初に選んだ湯たんぽにした」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ俺からもよろしく言っといて」
「うん、ええけど……そんなら、ついでにうち寄ってったらいいやん。マフラー、深春に直接渡してやってよ。柚さんにも会えるしさ」
「あ、そっか」
そんな風に普通の会話をしているだけで、亜樹は楽しかった。ただ、それを素直に表現できないのが苦しい。珠生はそんな自分といて楽しいのだろうかと、亜樹はふと疑問に思った。
正面にいる珠生をさりげなく見てみた。
さらりとした茶色い髪は少し伸びていて、前髪を分けて額を出している。私服姿でそうしていると、いつもより少し大人びて見える。
やっぱりこうして見てみると、初めて会った時よりもずっと男らしくなったなぁと、亜樹はうっとりと珠生に見惚れた。くりくりした目を縁取る長い睫毛も、すっと通った鼻梁も、赤い唇も、写真よりもずっと珠生は綺麗だ。
珠生はココアを飲んで、ぺろりと唇を舐めた。そんな動きに、亜樹はまたどきりとした。ふと、さっき見た舜平とのキスシーンが蘇る。
「舜兄と……あれ、ほんまにしたん?」
「え? ああ、写真の?」
「うん」
「したよ」
「へっ、まじで?」
「うん。カメラが向いてると、なんか入っちゃうんだよね」
「ふうん。プロやなぁ」
「まあね」
珠生は事も無げにそう言って、カップを指先でつついたりしている。舜平は一体どんな気持ちであの撮影に臨んだのだろうと、亜樹は思った。
気づけば、左隣の大学生らしきカップルはいなくなっていた。たまりかねた彼氏が連れて出たのだろうか。右側の方は、まだちらちらと珠生を気にしつつ、それなりに彼氏と話を合わせている様子が見える。
「もう帰ろっか。なんか暗くなってきたし」
「せやな……」
珠生が二人分のカップを載せたトレイを持って立ち上がると、名残惜しげに右隣の女性が珠生を見上げる。まったくそれには頓着するでもなく、珠生はさっさと踵を返した。
とは言え、皆が振り向くような男と歩いているというのも、正直悪い気分でもなかった。見られ慣れているからか、珠生は周りの視線などまったくお構いなしで、亜樹と話をしながら歩く。
「あんたさ、周りの女たちの視線とか、気にならへんわけ?」
「もう慣れてるから」
「うわ、出た。この調子乗りが」
「だって学校であんだけじろじろ見られてたら、慣れるよ。さすがに」
「あ、そっか。あんたも大変やな」
「うん、慣れるまでは辛かった。俺、何かおかしいのかと思ってたもん」
「ふうん、良かったやん。慣れて」
「あのさ、なんか台詞に心がこもってなくない?」
「こもってるこもってる」
「嘘くさ」
珠生がちらりと亜樹を見る。目を合わせるのが照れ臭くて、亜樹はつんとして前を向いた。
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