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五十四、クリスマスの街

 藤原に連絡をとって、深春は一人でグランヴィアホテルに来ていた。いつものスイートルームで深春を迎え入れてくれた藤原の顔には、やや疲れが見える。  ソファに深く腰掛け、深く頷きながら深春の話を聞いていた藤原は、ひとつ息をついてから、コーヒーを淹れてくれた。 「……君の言うとおり、彼女にとっては実の母親のことだからね。こちらもどう伝えるべきかと迷っていたところだ。明日、ここに呼ぼうと思っていた」 「そうですか」 「……京都中に敷かれたあの結界をかいくぐるとは、流石、祓い人というべきかな……」 「だいぶ疲れてたって、言ってました」 「そうだろうな。いったい今は、どこに潜伏しているんだろうか……」 「あ、ありがとうございます」  コーヒーを出してもらい、深春は丁寧に礼を言った。そんな深春を見て、藤原は微笑む。 「礼儀正しくなったね。それに、こんなに水無瀬さんのことで心を痛めてくれるとは……彼女のためにも、君がいてくれてよかった」 「……いや、そんな」 「辛い役回りをさせてしまってすまない。ありがとう」 「……いえ」  穏やかに微笑む藤原に礼を言われて、深春はもじもじとカップを弄んだ。どうしてもこの人といると、父親のことを意識させられてしまうとともに、こんな大人が親だったらどんなふうだろうと、憧れにも似た思いを抱いてしまう。藤原は、優しく自分を認めてくれる、大きな存在だ。 「彼女の父親の病院には、うちの職員がいる。水無瀬さんもそこにいるらしいから、とりあえずしばらくは様子を見よう」 「はい」 「さてさて……我々はどうするかな」  藤原は足を組んだまま、ソファの背もたれに身を委ねて天井を見あげた。表情に迷いを浮かべる藤原の姿を見るのは初めてで、深春は気遣わしげに藤原を見つめた。 「できれば、直接対決という格好は避けたい。こちらは平和的解決を望んでいるからね。祓い人だからといって、誰も彼もを傷つけたりはしたくないんだ」 「……分かります」 「君の力もかなり戻っているし、珠生くんや佐為……彼らが本気になれば、紗夜香さんの母親もただではすまないだろう。それに、ここへ来てようやく落ち着きをとりもどしている市中の妖たちが、また騒ぎかねない」 「……はい」 「居場所がわかって、素直に捕らえられてくれたら、一番話しがしやすいのだがね」 「こちらから訴えかける方法とか……」 「うん、それも考えていたんだが……なかなかいい手がなくて」 「うーん」 「珠生くんや佐為、そして舜平くんは、実際に前世で雷燕を抑え、眠らせた術式に深く関わった。あの一件への思い入れもかなり強い。雷燕にはもう二度と、人を憎むような生き方をさせたくないと思っている」 「……そうなんだ」 「それに雷燕は、言わば君の……」 「あ……そうっすね。一応。でも俺は、そんなにその能登の一件についてはあんまり関わりがなかったし……」 「そうか。……彼らは、紗夜香さんの母親が再び攻めてきたときは、おそらくかなり強引な手で彼女を止めようとするだろうな。あの時代のことを繰り返さないためにも。……一度皆を集めて、意識を一致させておかねばいけないな」 「そうですね。彰先輩とか、結構がっつり攻めるタイプですしね」 「ははっ、そうなんだよ。困ったもんだろ」  深春の口調に、藤原は笑った。深春も微笑んで、コーヒーをすする。 「そうだな……明日にでも、また皆を集めよう。ありがとう、いい情報をくれたね」 「いいえ、水無瀬さんが取り乱してるから、かえって俺は冷静になれた気がする。それに、俺の家族が亜樹ちゃんや柚子さんだとして、自分の身を水無瀬さんの位置に置き換えて考えてみたら……やっぱり家族には、悪いことはしてほしくないって思ったし」 「そうか。その通りだ、君は正しい行動をとった」 「それで水無瀬さんちが荒れなきゃいいけど……」 「一度歪んでしまった家族というのは、一回壊れてしまったほうが、再興しやすいかもしれない……」 「え……?」  藤原の重たい口調が気になって、深春はちらりと藤原を見上げた。藤原ははっとしたように目を瞬き、すぐにいつもの穏やかな笑顔に戻った。  深春には、藤原の表情の意味を推し量ることすらできなかった。    +  +  深春が帰宅するのと亜樹達が帰宅するのは、ほとんど同時だった。  亜樹たちが玄関先に差し掛かった所で、深春が門扉を開いて入ってきたところなのであった。 「あ、珠生くん」  深春は嬉しそうに笑って、二人の元へ駆け寄った。珠生は黒いコートを着て、寒そうにしながらも深春を見て微笑んだ。 「久しぶり、元気?」 「うん、まあな。亜樹ちゃん、デートはどうだった?」 「五月蝿い、デートちゃうし」  亜樹が鍵を開けながらつんとしてそう言うと、珠生が笑う。 「深春は学校だったの?」 「あぁ、俺頭悪ぃから補習へ……」  紗夜香の顔が蘇る。藤原に話をして、重荷を下ろしてきたような気持ちになっていたが、やはりまだ心にはひっかかっていた。  表情を曇らせる深春を見て、珠生は首を傾げた。 「……まぁ、入ろうか」 「うん」 「何かあったんだね」   珠生が玄関を閉めながら、小声で深春にそう言った。深春は振り返って、苦笑する。 「分かるか? さすが」 「着替えておいでよ、俺、夕ごはんご馳走になっていいそうだからさ」 「お、まじで?」  亜樹が柚子に前もって連絡を入れてくれていたため、珠生は晩ご飯にありつくことができるということだった。柚子のおもてなし料理はかなりのボリュームと旨さなのだ、珠生は今から楽しみだった。  食事の後、亜樹にクリスマスプレゼントをもらっている柚子の顔は、本当に幸せそうだった。それを見ていた深春が、何も準備していなかったことを悔いているのを見て、柚子は「二人が元気にご飯を食べてくれていたらそれで幸せ」と言って微笑んだ。  そんな深春に、亜樹がプレゼントの包を渡すと、彼は一瞬きょとんとして亜樹を見た。亜樹は照れているのか、深春の方を見ないでずいと包みを押し付けている。 「俺たち二人からだよ」 と、代わって珠生がそう言うと、深春はまるで幼い子供のように嬉しそうに頬を染めて笑った。その表情には、確かに夜顔の面影が見える。  マフラーは深春によく似合っていたし、嬉しそうにそれを首に巻いている深春は、とても可愛い。珠生はとてもあたたかな気持ちになった。  高校生達はリビングへうつり、珠生達が買って帰ったシュークリームと、柚子が準備していたケーキを食べながら、深春は昼間の水無瀬紗夜香の話、そして先ほど藤原と話をした内容を伝えた。  浮かれていた気持ちが、すうっと冷えるような話だが、しっかり聞いておかねばならないことだ。珠生は気を引き締めて、深春の話を聞いた。  亜樹の表情も、徐々に険しくなっていく。そんな二人の表情を見て、深春は慌てて手を振った。 「おいおい、そんな顔すんなって。明日は藤原さんが皆に話したいって言ってるんだ。そんな顔で行かれたら藤原さんも困るだろ」 「あ、うん……そうだな」  深春に言われて、珠生は頷いた。亜樹を見て、眉間にしわがよっているのを見つけると、そこにデコピンをくらわせる。 「いったぁ!!」 「すごい皺よってる」 「口で言えばいい話やろ!」 「ごめんごめん。……平和的解決か、業平様も変わったな」 「そうなのか?」 「昔はもう少し武闘派だったような気がするけど。まぁ確かに、現世でも武力で争ってちゃ駄目だよね。歴史に学んでいかないと」 「そうだな」 「でも、向こうの出方にもよるよな。うちが見た夢みたいに、あんな妖がわらわら攻めてきたら……」 「それはもう倒すしか無いな」 と、珠生。 「そうならないように、今いっぱい結界張ってんだろ?」 と、深春はシュークリームを一口で食べながらそう言った。 「そうみたいだ。なんか最近市内は息苦しいよ」 と、珠生がぼやく。 「母親が敵とか……どんな気分なんだろうな」  ふと、静かな口調で深春がそう言った。珠生と亜樹が、そろって深春を見る。  深春はソファの上にあぐらをかき、暗い窓の外を眺めながら思いを馳せているようだ。しばらく二人が黙っていると、深春は更に続けた。 「俺は母さんいないからよく分かんないけど。きっと……やりづらいよな。小さい頃から、敵だったわけじゃないんだし」 「そうだね……」 と、珠生も目を伏せながらそう言った。 「柚さんや亜樹ちゃんや……珠生くんが敵になるみたいなもんだろ? そんなの、手ぇ出せねぇよな」 「深春……」  亜樹は少しばかり驚いたような、それでいて感動したような難しい表情を浮かべて深春の方を向いた。それはつまり、亜樹や柚子、そして珠生を家族のように思っているという、深春の想いから出た言葉なのだ。亜樹が微かに目を潤ませているのを見て、珠生は微笑む。 「……まぁそうなったら、俺が全力でお前を倒すよ」  珠生の迷いのない口調に、深春は深く黒い瞳を珠生にまっすぐ向ける。珠生の胡桃色の目も、まっすぐに深春を見返していた。 「俺がお前を止めてやるから、大丈夫。何かとんでもないことをしでかす前にね」 「……はは、珠生くんが相手じゃ、勝てねぇな」  そう言って、深春はやおら珠生に抱きついた。三人がけのソファに並んで座っていた二人は、ソファの上でもつれ合って座面に転がる。自分よりも大きな深春にじゃれつかれて押しつぶされている珠生が、笑いながら暴れている。  深春は起き上がってからりと笑うと、信頼のこもった目で珠生を見つめた。首に巻いていたマフラーが、はらりと片方ほどける。 「ま、深春は喧嘩慣れしてるしな、俺も勝てるか分かんないけど」 「いや、妖気の桁が違うんだ。殺されてもしょうがねぇよな」 「殺すわけないだろ」 「状況によるんじゃねぇか?」 「大丈夫、絶対殺さない」 「どんな物騒な話し合いや」 と、亜樹。 「そんな事にはならへんやろ。あんたら仲いいもん」 「そうだな」 「そうだね」  三人はなんとなく笑い合って、揃ってケーキを食べ始めた。  クリスマスの夜は、和やかに、穏やかに、更けていく。

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