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八十一、卒業式、そして
そして、卒業式当日。
去年彰を見送った時は、自分がどういう想いでその場に立つのかということを、全く想像しなかった。
胸を飾る胡蝶蘭の生花を渡され、制服の襟につけると、ようやく自分が送り出される側になったんだなと実感する。いつになくきちんと制服を着込んだクラスメイト達の表情は、皆晴れやかで落ち着いている。
空は薄曇りの乳白色。凍てつく冬の風から、やんわりとした春を匂わせる緩んだ風が吹く。残念ながら桜はまだまだ咲いてはいないが、その蕾もちらほらと膨らみを見せるようになってきた。
体育館までの道を、整列して歩く。
入学式の日、猿之助による襲撃を受けたあの体育館だ。球技大会に高じた場所でもあり、亜樹を助けだした場所でもある。色々な場面の舞台となったこの体育館に足を踏み入れるのも、今日が最後だろう。
入学式の日の心持ちと比べると、わずかでも自分は少しは成長できたのではないかと思った。何も知らず、ただ状況に振り回されていた三年前に比べれば、できることは増えた。仲間も増えた。心も、落ち着いている。
体育館に足を踏み入れると、静かなクラシックとともに、保護者と二年生達が静かに着席しているのが見える。各務健介も、今日は仕事を休んでここへ来ているはずだ。自分以上に涙もろい父親は、きっと体育館のどこかで潤んだ目をしているに違いない。
パイプ椅子がずらりと並ぶ中、ステージに向かう一本道をまっすぐに歩く。ステージの上には見事な生花が飾られ、”第四十七回 明桜学園高等部卒業式”と達筆な文字で書かれた幕が、ステージの壁に掛かっている。
三年生が全て着席してしまうと、クラシックが止んだ。厳かな雰囲気の中、珠生の卒業式が始まった。
+ +
その晩、珠生はクラスメイト達とともに卒業記念ボーリング大会と銘打たれた打ち上げに参加していた。
今回はクラスの男子はほぼ全員が参加し、賑やかに盛り上がっている。珠生の希望で呼ばれた湊と、そして斗真が誘ったバスケ部の楪正武も共に参加し、わいわいと皆楽しげだ。
卒業式が終わり、退場が終わった途端、珠生は全速力でその場から逃げ帰った。
すでに体育館の周りは一年生の女子生徒たちに囲まれており、出入り口付近には、”在校生退場”の指示が出たらすぐに飛び出そうと、クラウチングスタートさながらに身構えた二年の女子生徒たちの殺気立った気配が漂っていた。
朝の登校時に、湊からその情報を知らされた珠生は青くなったが、その場にいた亜樹から、「終わった途端逃げたらいいやん。何のための素早さやねん」と助言があった。そこで珠生は、素直にそのアドバイスに従うことにしたというわけである。
そんな亜樹も、今夜はみすずや百合子、球技大会でチームが同じだった、連城さくらや浮田愛美らとともに遊びに行くと言っていた。これまた派手な集団の一員になったもんだと、珠生と湊は顔を見合わせてちょっと笑った。
「柏木さぁ、緊張してたやろ、答辞読む時」
と、コーラをストローですすりながら、小嶋英司がそう言った。向かいに座る湊は、たらりと汗を流す。
「あのな、去年の斎木先輩からの流れで、俺が今年どんだけプレッシャーを与えられていたか、お前には分かるまい」
「あぁ、去年なぁ。なんかすげーこと言ってたような気がするけど、俺あんま覚えてへん」
と、英司が首を捻る。
「まぁそんなもんやろ。その場で雰囲気感じればいいねん」
と、楪正武 は落ち着き払った声でそう言った。
正武はバスケ部の一軍の一人であり、身長一九三センチの優征、一八九センチの斗真と並び、一九〇センチという上背のある男子生徒だ。一見ちゃらちゃらとした優征、斗真とは違い、まるで武士のような落ち着いた佇まいをしており、実際とても冷静な選手である。
斗真たちはこの六年間で、正武が熱くなっているところを終 ぞ見ることはななかったものだ。
しかし髪の毛だけはくるりとした天然パーマなのか、短く刈っていてもくるくると可愛らしくカールしている。きりりと落ち着いた顔立ちとはアンバランスな可愛らしい髪型が、彼の悩みである。
「僕は柏木の答辞、良かったと思うけどな。ああいう場で、奇をてらう必要はないやろ」
と、正武はまるで日本茶でも飲んでいるかのような顔で、メロンソーダを飲んでいる。きらりと湊の目が光り、ばんばんと正武の肩を叩く。
「お前……今年同じクラスやった割にあんまり喋ったことなかったけど、ええ奴やな! それに、なんか話が合いそうや」
「せやな、実は俺もお前に何か同じような空気を感じていたところや」
珍しく、湊も嬉しそうに微笑む。
「そうか! 今度飲みに行こうや! 明大行くんやろ? 学部は?」
「国文学や」
「え、俺もだよ」
と、ちょうど飲み物を買って戻ってきた珠生が、驚いたようにそう言った。
「意外だなぁ、楪くん頭いいし、理工学部とか行きそうなイメージだった」
と、珠生は微笑む。
「俺はバリバリの文系や。趣味は古典文学を読むことと、書道や」
「うわー、超地味」
と、こいつとは話が合わないと判断したのか、英司は尻をずらして優征たちの方へ行ってしまった。
逆に喜んだのは珠生だった。
「そうなんだ、何読むの? 俺もちょっとなら読んだけど、結構面白いよね」
「お、沖野……そんな浮ついた見た目して、古典なんか読むんか」
と、正武が驚いている。
「浮ついたって」
と、湊が笑うと、珠生はふくれっ面で二人を睨んだ。
「まぁ珠生は私生活は地味やからな。将来の夢は地方公務員やし」
と、湊がかわって説明している。
「うるさいな、堅実って言ってよ」
「へぇ、意外や。お前となら仲良くなれそうや」
と、正武は元の無表情になってそう言った。
「そうだね。良かった、やっと知り合いが見つかったよ」
と、相変わらず人見知りの治らない珠生はほっとしたように眉を下げる。
「楪くんは大きいからすぐ見つけられそうだし」
「まぁ、それは言えてんな」
「ゆずりはくん、て長いな。なんか呼び方ないのかなぁ?」
と、珠生。
すると、一投終えて戻った優征が、わざわざ珠生と斗真の間に割り込みながら、「タケって呼んだって。何やお前、珠生と喋ったことなかったんか」言った。斗真はぶうぶう文句を言っているが、渋々尻をずらして場所を開ける。
「俺ら、クラス同じになったことないねん」
「しかもお前の趣味、そんな地味やったんか。昼休みに何読んでんのかと思ったら」
「悪いか。優征には永久に縁のない書物や」
「ま、そうやろうな」
「次お前やで、珠生」
「あ、うん」
珠生が立ち上がった途端、湊の携帯がけたたましく鳴り出した。真っ黒なスマートフォンを握って席を立つ湊を見送ってから、珠生はあっさりとストライクを決めて戻ってきた。
「またか! このまま行けばパーフェクトやな!」
と、斗真が我が事のように拍手して喜んでいるのを見て、珠生も笑を返すが、ふと凍りついたような顔でこちらを見ている湊の表情に気づき、珠生ははっとした。
手招きする湊のもとに近づくと、彼は騒音に紛れるように、珠生の耳元に口を寄せてこう言った。
「水無瀬文哉が逃げた」
「えっ……!?」
それは、この賑やかで楽しげな場所で聞くには、あまりにも肝の冷える情報だった。珠生はすうっと足元から血の気が引いていくような思いがして、思わずぎゅっと拳を握る。
「……何で……?」
「分からへん。岩倉病院や、行こう」
「うん……!」
せかせかと帰り支度を始めた珠生と湊を見て、同じレーンでボーリングをしていたメンバーが目を丸くする。しかもどことなく青ざめ、張り詰めた空気を纏わせている二人を見て、皆が怪訝な目をしていた。
「ごめんな、ちょっと俺ら、帰らなあかんくなった」
と、いつもの様にポーカーフェイスの湊がそう言った。
「どうしたん?」
と、斗真は心配そうな目を二人に向ける。
「ちょっと親戚が大変で」
と、湊は何でもかんでも親戚というので、珠生はそこに自分をどう合わせようかと一瞬困った。
「えと、お、俺も知ってる人だから、一緒に行くから!」
「あ、そう……」
何も知らない小嶋英司、楪正武は尚も不思議そうな顔をしていたが、優征と斗真は顔を見合わせ、小さく頷き合う。
「そらあかんな、はよう行けよ」
と、優征が大きな声でそう言うと、英司たちも「あぁ、そうやな……」と同意する。
「ほらほら、お前のパーフェクトゲームは俺が全うしておいてやるから」
と、斗真が腕まくりをしながらそう言うと、ぐいぐいと珠生と湊の背を押した。
「金は後で請求するし」
と、更に付け加える。
珠生と湊は斗真と優征に少しばかり笑みを見せると、手を振って帰っていった。
英司と直弥は顔を見合わせ、「あの二人、親戚筋まで含めて仲いいねんなぁ」と言い合った。
「おお、家族ぐるみの付き合いらしいで」
と、優征はボールを持って立ち上がりながらそう言った。
「まぁいいやん。またすぐ合宿で会うねんから、そんときまた聞いてみたら」
と、斗真も続く。
「あ、そっか。合宿や」
英司と直弥の話題が合宿の方へ移ったのを見て、優征と斗真はホッとしたようにまた顔を見合わせる。尋常ならざる二人の様子が、ひどく気になった。
「卒業式の日まで、大変やな」
と、ベンチに戻ってきた優征に、斗真がぼそりと囁くと、「俺らは陰ながら応援してやるしかないで」と、優征は言った。
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