304 / 530

1、常盤莉央

 関西国際空港には、今日も多くの人々が行き交っている。  国外から戻るもの、これから旅立つもの。きびきびとスーツに身を包んで忙しげに歩くものもいれば、派手派手しいスーツケースを転がしながら、ビーチサンダルで歩きまわるものもいる。飛行機の到来を知らせるアナウンスや、搭乗手続きを促すアナウンスが多国語で流れ、広々とした空間には様々な人種が入り交じっている。  ベージュのピンヒールパンプスを履いた、スラリとした脚の長い女が、帰国者ゲートから降り立った。  ざっくりと胸の開いた華やかな赤い花柄のワンピースを身に纏い、大きなサングラスと、つばの広い麦わら帽子を身につけた、派手な女だ。たっぷりとした長い髪は左の肩の上に一つにまとめ、白く伸びやかな首筋を晒している。  小ぶりなキャリーケースを転がしながら、その女は迷うことなく出口へと進んだ。  華やかな出で立ちはまるでモデルのようだ。すらりとした長身、そしてたわわに豊満な胸元は、否応なく人々の目を引く。  女はそんな視線にも我関せずで、さっと開いた自動ドアから外に出ると、サングラスを取って空を仰いだ。  晴れやかな春の空が、そこには広がっていた。  ほわほわとあちこちに浮かんだ小さな雲を見上げて、その女は艶やかなグロスの置かれた唇を緩める。 「常盤様、おかえりなさいませ」  黒いスーツの若い男が、その女のもとに音もなく歩み寄り、礼儀正しく一礼した。女はその男に目をやると、うっすら微笑む。 「お迎え? ご苦労様」 「車内でお話したいという方がお見えです」 「あら、誰?」 「宮内庁特別警護課本部長、藤原修一様でございます」 「へぇ……藤原さんがこんなところまで?」  女は若い男に先導させ、黒塗りのセダンが停まっている場所まで数歩歩いた。恭しく扉を開く男に微笑んでみせると、荷物を任せて車に乗り込む。  車内には、ジャケットを脱いでくつろいだ格好をした藤原修一が座っていた。女を見て藤原は微笑むと、懐かしげにため息をつく。 「久しぶりだな、常盤くん」 「どうも、ご無沙汰しております。本部長」 「やめてくれよ、そんな呼び方は。それに私は今回のへまの責任をとって、一段階降格したんだから」 「あら、じゃあ何になったんです?」 「特別警護担当課、課長だよ」 「大して変わらないでしょう?」 「まぁね。それに君が、明日から本部長だものな」  女は帽子を取って、マスカラの塗られた長い睫毛をゆったりと上下させると、意味ありげに藤原を見る。 「謹んで、拝命つかまつりますわ」 「ははっ、期待してるよ。はい、これが明日からの君の名刺。住まいはとりあえず、僕の仮住まいだったグランヴィアホテルを使ってくれ」 「あら素敵」  女はジェルネイルを施した長い爪で名刺ケースを受け取り、蓋を開けた。 「宮内庁特別警護担当官本部長、常盤莉央。いい響き。あら、でも藤原さんのには肩書き、書いてなかったですよね?」 「若者に渡す機会が多かったから、省いてもらったんだ。堅苦しいだろ」 「若者……ね。本当に、楽しみですわ」  常盤莉央は白い歯をほころばせて笑った。 「ほんとうに本当に、楽しみ」 「あんまり喧嘩をしないようにな。仲が良かった人たちばかりじゃないんだから」  藤原の父親じみた口調に、莉央はまた楽しげに笑った。笑う度に揺れる豊満な胸を隠すでもなく、莉央はぺしぺしと組んだ自分の膝を叩いて笑い続ける。 「分かっていますわ。業平様……いいえ、お父様」 「まったく今も昔も、血の気が多いからなぁ、詠子(えいこ)は」 「あら、それがいいように働いて、今私はこの地位にいるんですもの。むしろ長所よ」  藤原が苦笑していると、莉央は車の窓を下げて車内に風を入れる。風になびく長い髪が揺れるたび、どこか異国めいた香水の匂いがふわりと香った。  常盤莉央は、藤原業平の実娘・藤原詠子の転生した姿だ。  莉央は海風を浴びながら、呟く。 「千珠に、舜海……懐かしいわね」  本土へと続く長い橋を、黒塗りのセダンは一直線に走っていく。上空では、大きなジェット機が轟音を立てながら、異国の空へ人々を運んでゆく。  青い空を見上げながら、莉央は目を輝かせて笑った。

ともだちにシェアしよう!