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10、もう一人の転生者
珠生たちは、那覇空港に到着した。
伊丹空港からほんの一時間半あまりの距離だというのに、沖縄の空気はすでに夏本番という暑さだ。
抜けるように高い、透き通った青い空を見上げると、そこはまるで日本ではないような深い蒼色をしている。
午前七時集合ということもあって、若干寝不足の若者たちであったが、そんな空の色を見た途端に皆の目が輝く。毎度の引率役になっている葉山も、「眩しいわねー!」と言いながら笑顔を浮かべ、サッとつばの広い麦わら帽子をかぶった。
「飛行機、俺らだけだったけど、親睦を深める相手はどこにいるんすか?」
と、すでにタンクトップ姿の深春があたりを見回しながら葉山に尋ねた。
「ああ、京都組は今日の夕方に到着の予定よ。ホテルにはすでに能登班が到着しているらしいわ」
「能登班、って何人くらいいるんです?」
と、珠生。
「十人よ」
「その間、向こうはがら空きですか?」
と、湊。
「いいえ。泣く泣く居残りする人が何人かいるの。まぁ、連休の後半は空けてもらえてると思うけどね」
「大変だなぁ」
と、珠生。
「墨田が迎えに来てると思うんだけど……」
と、葉山は皆を引き連れてバス停のあたりまで歩を進め、きょろきょろとあたりを見回した。
連休開始の一日前ということもあり、空港の出入口はそこまで混雑していなかった。迎え車が並び、久々の再会を喜んでいる人たちの笑顔が明るい。一見、それらしい坊主頭は見えず、皆があたりを見回した。
「絶対あいつもタンクトップやな。自慢の筋肉を見せへんはずがない」
と、舜平は深春の引き締まった腕を見下ろしながらそう言った。
「俺は別に筋肉自慢してるわけじゃねぇよ。暑いからだし」
と、深春。
「舜平も張り合え」
と、湊は黒いポロシャツ姿の舜平の上腕をべしべしと叩いた。
「いやいや、張り合うほどの筋肉ないから」
「そんなことないって、舜兄スタイルいいやん。背も高いしさ」
と、亜樹は舜平の隣でにこにこしながらその身体を眺めている。
「そうか? 亜樹ちゃんは褒め上手やなぁ」
と、舜平は満更でもない表情で笑っている。
「お前、その百分の一でも俺らを褒めてみろよ」
と、湊はじとりとした目をして眼鏡を押し上げ、亜樹を見下ろした。亜樹は、白いポロシャツにデニムのショートパンツにトレンカを合わせ、大きな花のついたサンダルを履いている。もっぱら大食いという噂の絶えない亜樹だが、そんな噂ををはねのけるほどにほっそりとした体つきだ。
「あんたの何を褒めたらええんか分からへんし」
と、亜樹は湊に憎まれ口を叩いた。
「前言撤回。別にお前に褒められても嬉しないわ。なぁ、珠生」
「だから何で俺に振るの?」
と、珠生は露骨に迷惑そうな顔をする。
「沖野はエノキやから脱げへんな」
と、亜樹。
「エノキって言うなよ、エノキって」
と、珠生はむくれつつ、
「周りくどいこと言わないで、脱いで欲しいならそう言えば?」
と、珠生が珍しくフフンと笑って見せている。
「は、はぁ!?!? だ、誰が脱いで欲しいなんて言ってん!?」
真っ赤になって抗議する亜樹を見て、珠生はまたにやりと笑った。
「ムキになっちゃって。いいよ俺は、海に入るならどうせ脱ぐんだ」
「誰もあんたのエノキボディなんか見たないねん!」
「はいはい、もうそのへんにしとけ」
と、本格的に言い合いが始まる前に、舜平が割って入る。亜樹はぷいとそっぽを向いて、なぜか湊の脇腹を肘でどついた。
「うぐっ……! 何で俺が……!」
思わぬ攻撃を食らった湊がその場に膝をつくと、珠生は肩をすくめて舜平に言った。
「すまんすまん! 待たせたなぁ!」
車道の方から大声が響き、ド派手なアロハシャツに身を包んだ敦が運転席から身を乗り出して手を振っている。赤やオレンジ、黄色の花の散った、華やかを通り越してけばけばしいしい絵柄のアロハシャツと大きなサングラスをかけた坊主頭の敦は、否応なくまわりの人々の目を引いている。
「あれが敦って人? 一回見たことあんな。タンクトップじゃねぇじゃん」
と、深春。
「うわ、恥ずかしい……」
と、亜樹がぼそりと呟いた。
「修行する気あんのか、あいつ」
と、舜平が呆れたようにため息をつく。
「俺たちまで見られてるやん、迷惑な話や」
と、湊が言うと、珠生は頷いて「他人のふりしようか」と言う。
「全くもう、浮かれてんじゃないわよ。宿についたらシメなきゃいけないわね」
と、葉山は眉毛をぴくぴくさせながらそう言った。
+ +
一行の目線の先には、白亜の美しい建物がそびえている。車道から石造りの門を超えると、左右に広々としたゴルフコースが広がっており、車でなければ、ホテルから外へ出るのに一体何分歩かねばならないのだろうかと首をひねる程に広い敷地だ。
敦が運転するワゴンタイプの心地良い高級車に揺られながら、珠生たちはただその広大な敷地をあっけにとられて見上げていた。
音もなく、車は白亜の建物のエントランスに滑りこむ。ぞろぞろと降り立った若者たちは、そのホテルの豪勢さにまた呆気にとられていた。
「いらっしゃいませ」
礼儀正しく一礼するボーイの指示で、てきぱきとホテルマンたちが一行の荷物をホテルの中へと運んでいく。ふらふらとその後についてホテル内に脚を踏み込み、また一行はあっけにとられた。
「すごい……」
と、湊が思わず呟いた。吹き抜けになっている高い天井からは、豪奢なシャンデリアが光り輝いて揺れている。広々としたロビーからは、そのまま砂浜に出れるようになっているらしく、開け放たれた大きなガラス扉の向こうには、青い海が見えた。ロビーの奥には螺旋階段があり、さながら結婚式場かと見まごうほどの美しさである。
「……なに、ここ」
と、葉山までもが呆気にとられてそう呟いた。車を預けて、のしのしと一行に追いついてきた敦が、サングラスを上げて言った。
「常盤の趣味じゃ。今までになく派手じゃろ」
「……はでも何も……ここに何十人泊まると思ってんの? 一体いくらかかんのよ!」
ぐいと葉山に下から襟首を掴み上げられて、敦は冷や汗を流しながら目をばちばちとさせた。
「……半額は自分のポケットマネーで出すから、一番いいホテルにしろって……」
「半額って……! それでもこれはやりすぎよ!」
「し、しかし……常盤たっての希望で逆らえず……、く、苦しいっす」
下から葉山にぐいぐいと揺らされて、敦は大きな身体を直立にしたまま呻く。見かねた舜平が、まぁまぁと葉山をなだめた。
「ほら、若者はすでに順応してるじゃありませんか」
と、敦はすでにロビーの中を歩きまわっている若者たちを指さした。
「すごいすごい、めっちゃきれい〜!」
と、亜樹が目を輝かせると、深春も一緒になって「すっげぇなぁ! え、何? 貸切? 貸切? もう泳いじゃっていいわけ?」とはしゃいでいる。
「一泊いくらかな、少なくとも三、四万はすると見積もって……」
と、なぜか珠生は脳内で算盤を弾いているらしい。
「いや、これはもっとするんちゃうか。五、六万掛けることの二、三十人やろ。食事代なんかも考えて……」
と、湊も一緒になって金額を弾き出そうとしている。
「……夢のない奴らや」
と、舜平がそんな二人を見てため息をつくと、葉山は感心したように「さすが、あの二人ならこのまま公務員になってもいいわね」と言う。
「まぁまぁ、めったに無い機会なんですから、いいじゃありませんか」
ふと、聞きなれない声がした。敦を掴んでいた葉山と、それを宥めていた舜平が振り返ると、ジャージ姿の見慣れない若い男が立っていた。
「……あ、高遠 さん。お久しぶりです」
葉山は敦をいたぶっていた手をぱっと離すと、居住まいを正してぺこりと一礼した。げほげほと咳き込みつつ、敦はさっとその男の背後に隠れた。
高遠と呼ばれた男は、今からジムにでも行くような格好をしており、黒いジャージを履き、上は白いTシャツに薄手のパーカーを羽織っている。さっぱりと短くした髪は行儀よく同じ向きを向いて整っており、形のいい額と涼しげな目元や薄微笑みを浮かべた口元が、いかにも品の良い雰囲気を醸し出していた。
「葉山さん、若者たちを連れてきてくれたんですね。お疲れ様でした」
「いいえ、彼らと行動するのはもう慣れっこですから。あ、そうだ。こちら相田舜平くん」
「あ、どうも……」
葉山に紹介されて、舜平はぺこりと頭を下げる。高遠はしげしげと舜平を見つめて、あっと何かに気づいたような表情をすると、すぐに破顔した。
「ひょっとして、舜海? そうだろ?」
「え、何で……」
「私は、高遠雅臣といいます。私が能登班をまとめています」
「はぁ……」
「お気づきになりませんか。寂しいなぁ」
「え?」
「私は昔の名を、芦原風春と申すものです」
「え? ……ええええええ!?」
舜平は仰天して、改めて高遠雅臣を頭の先から爪先までじろじろと眺め回した。確かに、以前と違わぬ品の良さ、そして凪の海のように穏やかな霊気には覚えがある。その場にいるだけで、誰しもが安心できるような優しげな雰囲気を持つ男だった。
「風春……様。ほんまや」
「はははっ、君は変わらないな」
と、高遠は手を差し出して舜平と握手をした。
「お久しぶりです。風春様……いや、高遠さんか。あなたも、転生してはったんですか」
「ええ、お聞きじゃなかったですか?」
「はい。全然……」
「佐為に術をかけられなくとも、こうして蘇ることもあるのです。聞けば、柊さんもそういう口だとか」
「確かに……」
「して、あの若者たちがそうですか? 楽しそうですねぇ、千珠さまもいる?」
「あ、紹介しますよ」
ロビーの中心に据えてある噴水の周りではしゃいでいる若者たちの方へ、舜平は高遠を連れて行った。
舜平が見慣れない大人を連れて歩いてくるのを認めた珠生は、ふと顔を上げてその人物を見た。
そして、ひどく懐かしい匂いを嗅ぎ取る。
都の香の匂い。人がしっかりと住み着いた木造の建物独特のあの落ち着いた香り。
しんとした、程よい緊張感の張り詰めていた、陰陽寮土御門邸の香り……。
「……風春さま?」
珠生の口から、ぽろりとその名前がこぼれた。高遠は嬉しそうに笑うと、珠生に向かって手を差し伸べる。
「千珠さま、でしょう?」
「やっぱり、風春さまだ」
がし、と握手を交わした二人は、懐かしさから顔をほころばせた。にこにこと満足気に珠生を見つめて、高遠は軽く頭を下げる。
「お懐かしい。千珠さま。今世でも実にお美しいですね」
「はぁ、どうも……」
「しかし態度のほうは、えらく控え目になられたようですね」
と、高遠は可笑しそうにそう言う。
「はい。昔は色々と生意気言ってすみませんでした」
と、珠生は眉を下げて苦笑した。
「いいえ。あなたには本当に世話をかけましたから。またこうしてお出会いできるとは、本当に嬉しいことだ」
「本当ですね。俺も嬉しいです」
「風春さまやって?」
と、湊もしげしげと高遠を見ている。高遠はまたにっこりと微笑むと、「柊殿でしょう? すぐ分かりますよ」と言って、湊とも握手をした。
「うわ、めっちゃ懐かしいですね。相変わらず爽やかで」
「いえいえ、あなたこそ」
「……すごい同窓会ね」
と、葉山と敦は五百年ぶりの再会を喜んでいる面々を見ながらそう言った。その後ろで、亜樹と深春が不思議そうに高遠を見ている。
敦を雑用に走らせて、葉山がひと通り皆の紹介を済ませると、高遠は深春の方を向いた。ぎく、と深春の肩が揺れる。風春は、夜顔と対峙こそしていないが、その妖気には覚えのある一人だ。
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