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30、記憶がない
まぶたの向こうに陽の光を感じて、はっと珠生は目を覚ました。がばりと身体を起こすと、そこはホテルの自室だった。
そして、ふと誰かが同じ布団に入っている事に気づいた珠生は、ぎょっとする。
そろそろと毛布をよけてみると、そこには湊がぐうぐうと寝息を立てて眠っていた。
「湊……? あれ?」
身動ぎしてから、ずきんと痛む頭を押さえる。
「いって……」
頭がずきずきと痛み、胸焼けがする。なんとも不快な目覚めの理由を探ろうと、珠生はぼんやりしながら昨日のことを思い出そうとした。が、その作業は一向にはかどらない。
「……あれ」
記憶が無い。何も覚えていないのだ。
珠生は青くなっておろおろしながら部屋をぐるぐると歩き回った。
確か……敦さんが乾杯の挨拶して……しばらくみんなで喋ってたのは覚えてるけど……。でもちゃんと部屋で寝てたんだし、別に湊に何かしたわけでも無さそうだし……と、必死で自分をしゃんとさせようとする。
がちゃ、とバスルームの扉が開いて、素っ裸の深春が出てきた。濡れた髪をかき上げ、部屋の中を歩きまわる珠生を見ると、深春はにいと笑って「おはよ」と言った。
「……おはよう」
「珠生くん、酒飲んだことなかったんだな」
深春は恥ずかしがるでもなく、ベッドの上に置いていた着替えのパンツを履きながら、そんな事を言った。珠生はちょっと青くなる。前世からの記憶で、酒癖に自信がないのだ。
「俺……どうなったの。何かした? なんにも覚えてないんだよ」
「まじかよ! はははっ! まぁ大したことはしてねぇけど……」
「ほんと?」
深春はベッドに座って髪をガシガシと拭いながら、もったいぶってしばらく黙っていた。
「早く言えよ、なんだよ」
焦れた珠生が深春に詰め寄ると、深春は苦笑いして話し始めた。
「最初は普通だったんだよ。佐久間さんが普通にビールとか薦めてきて、敦も芹那さんももういいじゃんとか言ってさ。珠生くん、飲んだことないとか言いつつ、まぁ最初は普通に顔色も変えずに酒飲んでて、亜樹ちゃんが怒ったりして、わいわいやってたんだけど……。ビールやら焼酎やらワインやら、みんな好きなもん頼み始めた頃からかな。珠生くん、舜平が飲んでた日本酒ちょっと飲んだんだ。ワインとかは平気そうだったけど、日本酒飲んだ途端……」
「途端……?」
ごく、と珠生は不安にかられて唾を飲み下した。深春は笑いを堪えるような顔をして、続けた。
「まずは舜平に絡み始めてたな。よくも俺の身体に傷つけたなとか、傷物にしたくないとか言ってたのはどこのどいつだよって凄んでみたり」
「ええっ……」
珠生は青くなる。
「まぁその頃は結構みんな酔ってたから、ははは、珠生くんが怒ったぁとか言ってはしゃいでたんだけど」
「……」
「佐久間さんが珠生くんにべたべたし始めたのを、俺に触るなとか言って思いっきり投げ飛ばしたな」
「ええっ!」
「……阿呆か、間違った情報を珠生に与えんな」
もぞ、とベッドから湊が身体を起こして、かすれた声でそう言った。珍しく寝起きが悪い。
「投げ飛ばすに至るまで、お前がまた変な色気出して眠たそうにやめてやめてとか言うから、余計佐久間さんが興奮してもうたんやないか」
「……それ、もっと聞きたくなかった……」
「舜平や墨田さんが暴れるな〜とかなんとか言ってんけど……墨田さん、ほんまにただのスケベなんやろうな……、座敷で眠そうにしとるお前の身体撫で回すから、お前キレてもうて……墨田さんを座敷で巴投げしとったで」
「うわ、最悪だ」
と、珠生は深春のベッドに崩れ落ちるように座り込んだ。
「その後最悪やったんは俺やで。お前、何を思ったか俺んとこ来て、べたべたべたべた甘えてきよった」
「ごめんなさい……」
「俺、技術部の人らと真面目に語り合いながら飲んでてんけど、お前が這って甘えに来るから、みんなびっくりしてはったし」
「はははっそうそう。結局、湊くんから離れなくて」
「……もうやめてくれ」
「先輩は先輩で本気で葉山さん口説いてるし、敦さんと莉央さんは大喧嘩してるし、みんな酒癖悪すぎや。どんだけストレス溜まってねん」
湊は歯磨きをしながら文句を言うという器用なことをして、萎れている珠生を見下ろした。
「舜平がさすがにお前をたしなめたり宥めすかしたりしてたけど、珠生が五月蝿い五月蝿い、このエロ坊主とか変態野郎とかって悪態つきまくるから、終いにゃ喧嘩してたし」
「え、うそ。……はぁ……」
と、珠生は頭を抱える。深春はけらけらと笑って他人事である。
「だからもうそのまま引きずって部屋で寝かそうってことになって、舜平と三人で帰ってきたんや。ベッドに転がしたら、お前すぐ寝てもたから、舜平に任せて俺はまた飲みに降りてん。んで朝になったらなったで、またお前が俺の布団の中で寝てるっていう」
「……あぁもう。みんなに会いたくないよ、俺」
珠生はベッドに転がって悶え苦しみながらそんなことを言っていたが、湊は素知らぬ顔をしてバスルームに無言で消えていった。
「はぁ……何で俺ってこうなんだろ」
「日本酒飲まなきゃ大丈夫だって。それまでは普通に飲んでたもん」
と、深春が慰めるように珠生の肩を叩いた。
「そうかなぁ」
「それに、結構そうなったの後半だったからさ、みんなも酔ってて覚えてねぇって。実際、俺もちゃんと見てたわけじゃないし」
「……ならいいんだけど」
「まぁ亜樹ちゃんは相当呆れてたから、しばらくまた文句言われるかもね」
「……うん」
「あと舜平に対して、珠生くんえらくつんつんしてたから、ひょっとしたら怒ってるかも」
「……うーん……どうしよう……」
珠生は顔を覆って、また悶え苦しみ始めた。
+
同じ朝、ふらふらしながら朝食の席に現れた珠生を見て、舜平はひそかにどきりとしていた。
昨夜、湊が飲みの席に戻っていってしまった後のことを思い出す。
もぞりと寝返りをうった拍子に、珠生は薄く目を開いた。そして不快そうに眉をひそめ、舜平を見上げた。
「……んー……舜平、さん……?」
「珠生、水飲め」
「あれ……湊は……?」
「技術部の人らともっと喋りたい言うて、下降りたわ」
「……そう……」
と、珠生はベッドの上に転がったまま、部屋の中を見回した。
そこに舜平しかいないということに気づいたらしい。珠生はうっとりとした笑みを浮かべて舜平を見上げると、ベッドのふちに腰掛ける舜平の腕に手を伸ばしてきた。
「……ねぇ、こっちきて」
「あかんて。いつ湊や深春が戻ってくるか分からへんし」
「ちょっとだけ、添い寝。添い寝するだけ」
「……それで済むならいいねんけど……」
と、渋ってはみるものの、酔ってことさら色気を増している珠生が甘えてくる姿は、いかんともしがたいほどに可愛かった。舜平は靴を脱いでもぞりとベッドに上がると、珠生の傍にすっと身体を滑り込ませた。
「……はぁ……舜平さんの匂い……」
「お前は酒臭いな」
「ん……そうかなぁ、俺、そんなに飲んだのかな……」
「ったく、国家公務員のくせにどいつもこいつも無節操やな。未成年をこんなにするなんて」
「いいじゃん……俺、もう大学生だし……なんかすごく、気持ちいいよ?」
「う」
珠生は舜平の腕にしっかりと抱きつきながら、そう言ってにっこりと笑った。頬や目元を赤らめつつ妖艶な笑みを浮かべる珠生を見つめていると、どうにもこうにも下半身が落ち着かなくなってきてしまう。
「……早々に部屋に戻して正解やったかもな」
「へ?」
「いや……酔ってるお前、めっちゃかわいい」
「……えぇ〜、かわいいとかいわれても」
「千珠は酔うとさらに危険度が増す感じやったけど、お前は……エロくなんねんな。それはそれで危険や」
「きけん? どこが?」
「うう」
珠生はぴったりと舜平に身を寄せつつ、すりすりと舜平の肩先に顔を擦りよせながらそう言った。
――素直に甘えられんの、めっちゃ最高……かわいい……エロ可愛い……。
このまま珠生にキスをして身体中をまさぐり、昂った珠生の中に入ってしまいたい……と、舜平は一瞬いやらしい妄想をした。しかし、ここは湊や深春も戻ってくるホテルの部屋。そんなことをするわけにはいかない。舜平は、必死で己を律していた。
舜平が煩悩を殺すべく黙り込んでいると、珠生の手が舜平の下腹の方へと回ってくる。舜平は内心、「ひっ」と声をあげた。
「……舜平さん、脇腹が痛い……」
「え? あ、俺が蹴ったとこか!?」
「うん……じんじんする……見て……?」
「お、おう? 大丈夫か?」
「舜平さんのせいだよ……? ちゃんと、俺の傷、見て」
ちょっと怒ったような顔をしつつ、布団をめくってシャツの裾を持ち上げ、白い腹をチラ見せしている珠生の姿は、舜平の理性をぐらぐらと揺さぶった。
「……しゃーないな」
舜平は上半身を起こして、珠生のシャツの裾を手に取った。そしてするすると引き締まった白い腹をあらわにしてゆく。
「おい、傷なんてないやんか」
「ふふ……もう治ったのかなぁ」
「珠生……お前なぁ」
「舜平さん、でも、痛い……ねえ、治療して?」
「治療って、今の俺は……」
「ねぇ、触って。それで治る気がするんだ」
「触ってって……」
珠生は自らジーパンのボタンとジッパーを下ろし、きわどいところまでズボンを下げた。くっきりと尖った腰骨と、色の薄い柔らかな体毛がほんの少しだけ覗いて見え、舜平は慌てて顔を背ける。
「……さ、触るだけやからな」
「うん」
「それ以上、なんもせぇへんからな!!」
「……うん、ねぇ、きて?」
「ううっ……うう」
震える手を伸ばし、珠生の脇腹に指を這わせる。火照って暑くなった珠生の肌はもっちりとした弾力をたたえていて、舜平の指に吸い付いてくるように滑らかだ。
「……ぁ、ん……」
「っ……へ、変な声出すなや」
「くすぐったいんだもん……ねぇ、もっと、もっと触って」
「ううっ……やめろ、俺を誘惑するな」
「誘惑なんてしてないじゃん……治療、だろ?」
そっぽを向きながら珠生の脇腹に掌を這わせる舜平の頬に、珠生の手が添えられた。くいっとその手に力がこもり、顔の向きを変えさせられる。
珠生を真正面から見下ろす格好になってしまい、とろんとした目で自分を見上げる珠生の耽美な表情がすぐそこにある。舜平はごくりと生唾を飲み、珠生の脇腹を撫でる手に決意を込めた。
「……珠生……」
「すー……すー……」
「えっ!?」
珠生はうっとりした顔のまま目を閉じて、規則正しい寝息を立てはじめた。舜平は目を瞬いた。
「お、おい、いきなり寝んなや! 俺……お前がそんなにしたいならヤってもええかなって……思ったのに……」
「すー……すー……う〜〜……ん」
「こんの……色魔め」
燃え上がりかけた性欲を持て余しながら、舜平はぎゅっと目を閉じて珠生の上にどさりと覆いかぶさった。しかし、愛らしい顔で眠る珠生の寝込みを襲うわけにもいかず、すやすやと穏やかに眠る珠生の頬にキスをして、舜平はそっと珠生の部屋を後にしたのだった。
+
「あ、舜平さん……おはよ」
「おう。よう眠れたか。顔色悪いな」
「……うん。……ん? 何? 俺の顔、何かついてる?」
そんなことがあったわけだが、案の定珠生は昨日のことを何も覚えていないようだ。舜平はため息をつき、隣に座った珠生の耳元でこんなことを囁いた。
「京都帰ったら、お前のことめっちゃ抱く」
「……うん。…………えっ!? な、なんなんだよ朝っぱらから急に!」
「うっさい。先生、千葉に帰ってんねやろ? 夜、お前んち行くから」
「……なっ、なんだよそれ……俺にも都合ってもんが、」
「行くからな」
「……う……うん」
わらわらと皆が席につきはじめ、舜平はそっと珠生から身体を離す。
耳まで真っ赤になっている珠生を見て、深春が「え、なに? 珠生くんまだ酔ってんの?」と仰天した。
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