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34、千秋と正也

 そして次の日の午後、珠生と正也は、母校である明桜学園高等部のグラウンドで待ち合わせをしていた。  珠生が学校に到着すると、すでに正也は校門の前に立っていて、そこからグラウンドを駆けまわる後輩たちの姿を眺めていた。  言葉を交わす機会は減っていたものの、正也は珠生を見れば、いつも声をかけてくれていた。しかし正也が千秋とどんな関係を築いていたのかということは、何も知らない。久しぶりに見る正也の背中は、どこかやはり、張りがない。 「正也」 「おお、珠生〜。久しぶりだな」  突然隣に立った珠生を見て、正也はぴくと肩を揺らす。笑おうとしたらしいが、千秋に似た顔を前にしたせいか、また少し表情が曇る。 「用事って何?」 「突然だけど、そこの公園に行かない? 座りたいから」 「へ? ああ、いいけど……」  学校の西側にある広めの児童公園に向かって歩き出すと、少し遅れて正也もついてくる。お互い少しずつ背は伸びたものの、今も身長は同じくらいだ。しかし相変わらずがっしりとした身体つきをしている正也は、珠生よりも一回りは大柄に見えた。 「え!? ち……千秋」  公園のベンチには、すでに千秋と亜樹が腰掛けている。  正也の息を呑む音が聞こえた。正也は珠生を見て、そしてまた千秋の方を見た。 「……珠生。これは」 「千秋が言いたいことあるからって、千葉から出てきたらしいよ」 と、珠生はそう言ってちょっとだけ微笑むと、千秋たちの方へと歩を進める。  顔を上げた千秋が珠生を見て、そして正也を見た。千秋の表情が一瞬緩んだかと思うと、またすぐに少し怒ったような顔になる。  のろのろと珠生の後についてきた正也は、そこに亜樹がいることにもまた驚いていた。 「あれ? 天道」 「どうも……」 「じゃあ、俺らはこのへんで」 と、珠生と亜樹がその場を去ろうとした瞬間、正也が珠生の腕を掴んだ。同様に、千秋も亜樹の腕を掴む。 「え?」 「珠生、いてくれよ。もうちょっとでいいからさ」 「何でだよ、俺も用事が……」 「天道とデートだろ。いいじゃん、少しくらいいいじゃん」 「いや、デートちゃうし!!」 と、亜樹がわめいた。  千秋も亜樹の腕をひっ掴んだまま、つかつかと正也たちの方へと歩み寄ってきた。困惑を通り越して迷惑そうな表情を浮かべている亜樹は、ずるずると引きずられている。  千秋は正也の前に立つと、じっと大きな瞳で正也を見上げた。一瞬たじろいだ様子の正也であったが、それでも千秋に会えたのは嬉しかったのだろう。ゆっくりと顔をほころばせて笑った。 「来てくれたんだ、こっちまで」 「何で電話に出ないの? メールも返してくれないなんて、心配するじゃん」  美しい顔に怒りを乗せた表情というのは、どうしてこうも凄みがあるのだろうか。珠生は自分と同じ顔のいかめしい表情を見て、自分は気をつけようと密かに思った。 「ちょっと、色々考えたかったんだ」 「何をよ」 「俺ら、これからも付き合っていっていいのかどうか」 「そんなの、一人で考えて何になるの?」  どこまでも喧嘩腰の千秋は、握っていた亜樹の手を離して、拳を握りしめた。自由になった亜樹は、そそっと珠生のそばへと移動して二人を見つめる。 「千秋は美人だし、これからもっといい男が現れるかもしれないだろ。そう思うと、いつまでも俺と付き合ってていいのかなって思ったんだ。それに、東京で好きな奴ができてからフラれるのとか、もっといやだしさ。だからもう前もって、友だちに戻っといたらいいんじゃないかって思ったんだ」 「何よその理屈。あんたはあたしのことが好きなんじゃなかったの?」 「好きだよ。好きだけど……俺が千秋のそばにいる必要ってあるわけ? 千秋はいつも強くて、かっこよくてさ、なんか一人でパーフェクトじゃん。俺が追い回してることに、何か意味あんのかな」 「……なに、それ」  痛ましげな正也の視線が、まっすぐに千秋に向かう。千秋はぐっと唇を噛み締めて、涙を堪えるような表情を見せた。  そして、ばしっと鋭い音がした。千秋が、正也の頬を打ったのだ。 「うわぁ」 と、珠生と亜樹は同時に首をすくめる。  それでも正也はまっすぐに千秋を見ていた。千秋はもう一度殴りかからんばかりの表情を浮かべながら、ぽろりと一筋涙を流す。 「やっぱり何も分かってないじゃん! あたしは強くもかっこよくもないよ! 正也が応援してくれるから、もっとがんばろうって思えたから、頑張ってただけなのに!」 「え……」 「あたしが一緒にいたい相手を、勝手にあんたが決めないでよ! あたしは正也と一緒にいたいの! 別れたくないんだよ!」 「そ、そうなの……?」 「ずっと追い回してて欲しいの! ずっと……」  涙声になりながらそう訴える千秋は、ついに顔を両手で覆って泣き始めた。正也はすぐにそんな千秋を抱きしめて、ぎゅっと腕に力を込めた。 「馬鹿! 馬鹿! 何で分かんないのよ……」 「だって……千秋、そんな事ひとことも言わないからさ……」 「空気で分かれバカ!」 「いや、俺そういうの分かんないし。千秋いっつも会うと最初は怒ってるし」 「久しぶりに会って、嬉しいけどどんな顔してていいか分かんないんだよ! 別に怒ってたことなんかないもん」 「そうなんだ、そうだったんだ。ごめんな。変な心配させて」  ぎゅと千秋を抱きしめている正也を、珠生と亜樹はじっと見つめていた。  真昼間の児童公園には、たくさんの親子連れがいたが、皆が気を遣って四人のそばには寄らない。しかしながら、何となく大人たちはこの若者たちの動向を気にしている様子がある。 「じゃあ、千秋は俺の事好きなの?」 「好きだよ!」 「ほんとに?」 「しつこい」 「うわ、なんだ、そうなんだ。俺、馬鹿みたいだな」  正也は千秋から身を離して、にっこりと嬉しそうに笑った。そんな正也の顔を見て、泣き濡れた千秋もようやく笑う。 「ごめんな、ほんと。俺、これからも千秋を追いかけまわし続けるから」 「うん、そうして」 「なぁんだ、そうだったのか」  そう言って、正也はもう一度千秋を抱きしめた。千秋の安堵した素直な表情を見て、珠生もようやくホッとする。 「沖野……いこ」  亜樹にシャツの裾を引っ張られ、珠生は亜樹を振り返る。でれでれと蕩けるような笑顔の正也を見て、これまた嬉しそうな千秋は、手に手を取り合っていちゃいちゃし始めたのだ。 「そうだね」 「珠生、ありがと。亜樹ちゃんも、ごめんね」 と、そろりとその場を離れかけた二人に、千秋は慌てて声をかけた。しっかりと握られた二人の手を見て、珠生は微笑み、首を振った。 「ううん。良かったな」 「珠生ぃ、ほんとサンキュな。俺、こんなに幸せな時って今までにないよ」 と、正也は本当に泣きそうな顔をしている。 「まあゆっくり話してよ。色々お互い言いたいこともあるだろうし」 と、珠生は言った。  千秋と正也は顔を見合わせて笑うと、まるで珠生たちなどいなかったかのように二人の世界に入り込む。  珠生と亜樹は、そっと児童公園を後にした。

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