336 / 533
33、千秋の悩み
亜樹は、目の前に並んだ美しい双子を見比べながら、ずるずるとコーヒーシェイクをすすっていた。
舜平にもこの場に来て欲しいと頼んだのだが、あいにく午後からフットサルの用事があるのだといい、荷物を持って先に京都へ帰っていったのである。
かくして、三人で空港のハンバーガーショップに入っているという次第だ。亜樹は先に帰ろうと思っていたが、「正也のこと知ってるんでしょ? じゃあ一緒に聞いて欲しい」と、強引に居残らされた。
「で、どうしたの。正也、ここに来るのか?」
と、珠生はチーズバーガーにかぶりつきながらそう尋ねた。亜樹はソファ席の隣に座る千秋を見て、自分もテリヤキバーガーをかじった。千秋はポテトをつまみながら、ようやく顔を上げる。
「……正也のやつ、全然連絡返してこないんだ」
「え? なんで」
「喧嘩してさ。……あいつ、大学は関東で受け直すとか言ってたくせに、家族に説得されたとかで結局明桜行ってるでしょ? まぁ正也は頭そんなに良くないし、受け直すって言っても受かるかどうか分かんないし、そのまま名門校にいけるなら絶対そっちの方がいいに決まってるって私も分かってるんだけどさ……」
「まぁね」
「春休み、あいつ埼玉に帰ってたから、ちょこちょこ会ってたんだ。四月から、あたし東京の大学行ってるんだけど……あいつ、お互い大学生になって、このままうまくいくのかなって、いきなり言い出したの」
「へぇ、正也もそんな事気にするんだ」
そういえば、大学に入ってから正也のことを見ていない。確か斗真と同様、商学部へ進んだはずだ。
「千秋ちゃんは美人だから、ぜったいかっこいい先輩たちがほっとかないから、俺は心配だって。私は別にそんな気ないし、大学入ったらもっと自由な時間もお金も増えて、会いやすくなるって、むしろ喜んでたのにさ……」
千秋は悲しげに目を伏せた。その表情があまりにも女らしくなっていることに、珠生は密かに大仰天していた。
「そんな事言われたら、何かこっちも不安になってさ。じゃあもう、恋人とかそういう関係いったんなしにしようかって言っちゃったのよ。そうすりゃ、お互い好きなことできるじゃんって」
不安に駆られて怒りを露わにしたであろう千秋の姿が、目に浮かぶようだった。そこで素直になれていたら、きっとこんなすれ違いは起こらないだろうに。
「正也、なんかすごい傷ついた顔してた。傷ついてんのはこっちだよ。あたしのこと、何にも分かってない。環境が変わったからって、そんなにすぐ正也のこと忘れて次いけるほど、器用でもないっていうのに」
「……そう」
「結局高一の頃から遠距離でさ、会えても長い休みとかしかなくて。でも電話もメールもしてたし、お互い部活も頑張ってた。それじゃ駄目だったのかな、やっぱ、一緒にいないと駄目なのかな」
「千秋はそれをさ、正也に言ったことあるの? もっと一緒にいれたらいいのにとか、一緒にいたいとか」
珠生は食べ終えたバーガーの包み紙を丁寧に畳みながら、透き通った瞳で千秋にそう問いかけた。千秋はほとんど同じ形をした珠生の目を見つめて、首を振る。
「言ってない。だって、どうせ一緒にいられないんだから、言ったって意味無いじゃん」
「やっぱそれは寂しいんじゃない? 現実近くにいられなくても、そう思ってんならそう言ってやんないと、あいつ絶対分かんないよ」
「そうかな……」
「男なんて、女心全く分からない生き物だもん。言ってやんなきゃ分かんないよ。正也も自信が持てなかったから、そんな事言って千秋を試したんだと思うよ」
亜樹は、諭すように千秋に話をする珠生を見つめていた。千秋は目を伏せたまま、何かを考えているようにしばらく口を開かない。
姉弟だからだろうか。珠生の言葉には遠慮がないし、そのせいかいつもよりずっと男らしく見える。正也のことも千秋のことも分かっている珠生だからこそ言える言葉なのだろう。
「そっか。そうか……」
ぽつりと、千秋はそう言った。
「馬鹿。そんくらい分かってくれないと困る。あたし、そういうこと言うの、苦手なのに」
「これから言ってやればいいんじゃない? きっとすごい喜ぶと思うよ」
「……うん。珠生にこんなこと言われるとは思わなかったな。あんたも人生経験積んでたんだ」
千秋はちょっと冗談めかしてそう言うと、微笑んだ。
安心したように笑った千秋を見て、珠生もまた同じように笑う。
そんな二人を眺めているだけで、亜樹はなんだかぽうっとなってきてしまった。となりにいた家族連れの五歳くらいの男児も、すっかり二人に目線を奪われている様子で、食事が上の空だ。
「亜樹ちゃん、だっけ。ごめんね、なんか引っ張ってきちゃって……」
と、千秋は亜樹の方を向いてそう言った。
「ううん、ええよ。でもほんまびっくり、こんな美人の彼女がおるなんて」
「へへ、そうかな」
「そら自信なくなるわ。新しく出合う男全員が千秋ちゃんに惚れてまうって思うもん」
亜樹の言葉に、千秋は笑った。珠生も微笑んで、ポテトを摘む。
「そんないいもんでもないけどね。あたしがさつだから、最初はよくてもすぐみんな引いてっちゃうからさ」
「ふうん。そうなんや」
「あーあ、あたしから会いに来るなんてさ、何か負けた気分」
と、千秋は頬杖をついた。
「そういう態度が誤解を生むんだろ」
と、珠生。
「そうかなぁ」
「たまにはしおらしく謝れ」
「なによぉ、しばらく見ない内に男らしくなっちゃってさ」
「五月蝿いなぁ。明日会うの?」
「そうしたいけど……連絡とれないし。あ! 珠生、あんたメールしてくれない? あんたが正也と会う約束すればいいのよ」
「まぁ、いいけど」
「一緒に来てよね」
「えーやだよ」
「何でよ、いいじゃん。緊張するし、あたし京都の地理よく分かんないもん」
「駅でいいじゃん、駅で」
「そうだけどさぁ。ねぇお願い!」
ぱん、と顔の前で合掌して頼み込む千秋を見て、珠生は困惑しきった表情を浮かべている。
「いいやん、一緒に行ってあげたら。双子やろ」
と、亜樹まで千秋の応援に回る。
「なんだよ天道さんまで」
「あんたが紹介したようなもんなんやろ? せやったら責任取らなあかんで」
「何の責任?」
「こういう時に間を取り持つのがあんたの責任やろ。顔つなぎくらいしたりぃや」
「他人事だと思って。俺は修羅場に遭遇するのはいやだよ」
「そうなる前にあんたは帰ったらいいやん」
「いやいや、千秋はそういう時ほど俺を帰さないんだから。分かってんだから」
「うーわ、冷たいやつ」
「なんだよ、そこまで言わなくてもいいじゃん」
ぽんぽんと言い合いをしている二人を、千秋は目をまんまるにして見ていた。あんなに大人しくて、自己主張をしなかった珠生が亜樹を相手にこんなにも喋っている様子が、珍しくて仕方がない。
「二人って、仲いいんだね」
「もういいって、そういうのは」
と、珠生。亜樹もぷいとそっぽを向く。
「じゃあさ、亜樹ちゃんも一緒に来てよ! 味方は多い方が心強いし!」
「ええっ、なんでやねん!」
亜樹がぎょっとしていると、珠生はにやりと笑った。
「ここで断ったら冷たいよねー」
「う、うっさいな! ……分かったわ。別にええよ」
「本当!? やった、これで安心」
と、千秋はホッとしたように胸を撫で下ろす。珠生は携帯を取り出して席を立つと、正也に電話を掛けるべく店を出ていった。
「珠生はどう? 学校のこととか、全然教えてくれなくて」
と、千秋は亜樹にそんなことを聞いた。
「うちはクラス同じになったことないけど……まぁ、すごいもててるよ。ホンマにびっくりするくらい」
「そうなんだ! へぇえ、珠生はあたしと離れて良かったんだな」
「水がおうてるんちゃう?」
「そっか、なるほど。亜樹ちゃんはそんな珠生には惚れないわけ?」
「えっ、なんで?」
「あたしがいうのもなんだけど、珠生はかっこいいし優しいでしょ? まあ多少女々しいしネガティブだけど、そこはご愛嬌としても、だいぶいい線いってると思うんだけど」
「そりゃ、まぁ……」
「それとも他に好きな人がいるの? あ、舜平さんとか? かっこいいもんねぇ、何かほんと大人って感じで頼もしいしさぁ」
「舜兄のことも知ってるんや」
「うん、高一のGWにこっち来たんだ。最初は舜平さんともっと遊びたかったんだけど、なんだかんだ、正也がしつこくってさ。それに、舜平さんと珠生って仲いいでしょ? なんかあたしのつけ入る隙なんかないって感じだったから、諦めたんだよね」
千秋は笑いながらそう言って、何かを思い出すようにちょっと上を見ていた。
「あ、まさか亜樹ちゃんも、そんな感じ?」
「まぁ……そんな感じ、かな。沖野から聞いたことあんねん。あいつ舜兄と……その……えーと……」
「なるほどね」
真っ赤になってシェイクの残りをすする亜樹を見て、千秋は楽しそうに笑う。
「今もラブラブってことか。舜平さんと珠生は」
「うん、せやな。ラブラブやな。沖縄行ってる間も、なんやかんや仲よさそうやったし」
「ふーん、あーあームカつく!! あたしはこんなに恋愛のことで悩んでんのにさぁ、何なのよ腹たつ……!! どーせ舜平さんにちやほや可愛がられて調子乗ってんでしょ!? あー腹立つ!!」
「まぁまぁ、落ち着きーな」
そこへ珠生が戻ってきた。
千秋がぶすっとした顔のまま珠生を睨みつけるものだから、珠生はぎょっとしたように足を止めて目を瞬いている。
「な、なに?」
「べっつに。いーわねー、あんたはラブラブでー。年上の優しい彼氏羨ましいーなぁー」
「は!? ちょ、こんなとこでなに言い出すんだよ馬鹿!!」
「うるさいうるさい! もう、なんなのよ珠生ばっかりちやほやされてさぁ!!」
「なんの話だよ!?」
喧嘩を始めた双子を見守りつつ、亜樹は残っていたシェイクをずるずると啜った。
ともだちにシェアしよう!