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四、北陸支部へ

 東尋坊に到着し、彰と舜平は崖に沿って歩いた。聞き取り調査は敦と佐久間の担当である。 「……何があったんやろな」 と、舜平が呟くと、彰はポケットに手を突っ込んで肩をすくめた。  二人は並んで海を眺める。  強い風が吹きすさび、早くここから立ち去れと言わんばかりである。  光のはしごが厚い雲の隙間から見え隠れし、神々しい風景だ。京都では見ることのできないその壮大な景色に、二人はしばし言葉を忘れて魅入っていた。 「……僕は、青葉で三人の祓い人を殺した。覚えているかい?」  ぽつりと、彰がそんなことを言う。 「水無瀬楓真、水無瀬琴、草堂吉郎……。琴は自害だったが」 「あぁ」 と、舜平は短く答えた。 「……よう名前覚えてたな」 「殺した人間の名前は全て覚えている。どうしても、これだけは忘れられないんだ」 「え……ほんまに?」  舜平が痛ましい表情を浮かべているのを見て、彰はふと微笑んだ。 「そんな顔しなくてもいいよ、僕は平気だ。それが彼らへの礼儀だと思っているだけだから」 「……そうか。でもそれって、けっこうきついことなんちゃうか」 「まぁ、たまにはね。……僕が佐為であった頃は、こんな気持ちには一度もならなかった。でも、今の僕は……どうも昔より、色々なことを感じてしまうらしい」 「ええことやとは思うけどな……」 「うん、代わりにたくさん素晴らしい気持ちを感じることもできた。君たちと再会できて、本当に嬉しかったしね。君になら分かるだろう」 「……まぁな」  ふと、舜平はあの日のことを想う。  能登へと逃れた千珠を追って、こういう景色を眺めた時の気持ちを。人を寄せ付けない壮大な風景と、遠くに見えた千珠の背中を。  ざぁっ……とひときわ強い風が、潮を巻き上げて陸地へと吹き付ける。二人は顔をしかめると、海から離れた。  そこへ、敦と佐久間がやってくる。 「聞いてきたで」 「なんだって?」  佐久間は羽織っていたウィンドブレーカーのポケットから手帳を取り出すと、説明を始めた。  バイカーたちがどうしてここへ来たのか、そこで何を見たのかということを。  そして、一体なぜバイクを捨てて徒歩で逃げなければならないような事態に陥ったのかということ。 「一台、キーを付けたままにしていたバイクが盗まれたそうですよ。黒と黄色のアメリカン」 「そうか……」  彰は腕時計をちらりと見た。時刻は午前六時である。 「このまま、能登支部へ行くぞ。雷燕の封印を確認しに行く。もう一重、結界を施しておいてもいいだろう」 「やれやれ、休日が潰れるわい」 と、敦がぼやくので、彰は苦笑した。 「休みが取れるように莉央さんに進言してあげるさ」 「そりゃどうも」  そう言いつつ、四人は車の方へと戻っていく。  大きな灰色の雲の塊がゆっくりと海から陸へと、動いている。  彰はちらりと曇天を振り返り、数多見える人々の浮かばれない魂から目をそらした。  ここはあまりにも、禍々しいもので満ちている。     +  そのまま能登支部へと向かった彰達は、日が高くなる頃には事務所に到着していた。  敦と佐久間は、もう少し現地で調査を行うことになり、ここへは同行していない。  宮内庁からの出向機関として使用されているビルは、石川県 珠洲(すず)市にある。到着した頃には、空からぱらぱらと細い雨が降り始めていた。  季節は夏だというのに、どこまでもどんよりとした重い空をみあげていると、何となく気分が塞いでいくような気がしてしまう。  二人は雨から逃れるようにビルに入ると、エレベーターで上へと登った。  ほかにテナントが入っていないのか、そのビルはえらくしんとしている。人の気配がこんなにもまばらな場所へ来たのは初めてだ。  町中もどこか暗く、打ち捨てられたような印象が拭えない。こんなところで長年過ごしていれば、どんな残酷な文化もきっと普通に思えるのだろうなと彰は思っていた。 「おお、来たね。久しぶり」  白い扉を開けると、部屋の中は当り前に事務所の顔をした空間が広がっていた。そこには十名程度の職員が達働いており、見知った顔が見えて、ひどく安堵する。  高遠に迎えられ、応接室に通された二人はどことなく裏寂しい北陸支部の事務所を、居心地悪そうに見回していた。 「寂しいところでしょ。まぁ慣れたら、なんてことないんですけどね」 と、表情を読み取ってか、高遠は微笑んだ。  「人によっては、こちらの霊威の強い土地柄に滅入ってしまって、すぐに配置換えを申し出てくる職員もいますけどね。僕は割りと好きですよ。こういう土地柄も悪くない」 「風春さまは都が恋しくなったりしないのですか?」 と、彰。 「うーん、僕も最初の三年は京都だったからねぇ。まぁこちらはこちらで、雷燕の術式を行なった縁で思い入れもあるし。あれは僕が執り行った術っていう意味で責任もあるし……特に京都が恋しくなることはないかなぁ。こっちのほうが、僕がいる必要性を感じられて、落ち着くというか」 「……そうなんですか」 「向こうには、業平様もいれば詠子もいる。それに佐為、お前も」 「はい」 「十分だろ、それだけ厚い人員がいる上に、今は千珠さま……珠生くんだっているんだから」 「まぁ、そうですけどね」 「だから僕は、こちらにいるほうが居心地がいいんだよ。何かとね」  そう言って、高遠はにっこりと微笑んだ。座り心地の決していいとはいえないソファに座っていた彰と舜平は、なんとなく顔を見合わせた。 「舜平くんはその後どうだい?」 「あまり変化はないですね。まぁ、何も見えへん感じひん、ってことはないねんけど……」 「そうか。まぁでも、気持ちの方は落ち着いているみたいだし、何よりだね」 「焦ってもしゃあないですからね」 と、舜平は苦笑した。  彰が今回起きた東尋坊での事件についての話を振ったところで、応接室のドアがノックされた。上背のある職員の男が、盆に茶を載せて入ってくる。 「藍沢さん」  彰は藍沢要を見上げて、やや表情を固くした。要はふっと微笑んで膝をつくと、三人の前に茶菓子と湯気のたつ焙じ茶を置く。ふわりと香ばしい香りが応接室に漂った。 「佐為様、お久しぶりです。また背が伸びたんじゃないですか?」 「どうも。まあ順調にここまで成長しました。いつ入庁されたんですか」 と、彰は焙じ茶を手に微笑んだ。 「二年ほど前に。あなたと最後に会ったのは……佐為様がまだ中学生の頃だったからなぁ。今は大学生……? ですか」 「ええ。京大の医学部に居ます」 「おお、大したもんだ。てことは、宮内庁には入られないので?」 「そうです。その仕事は、沖野珠生という僕の後輩に任せようと思っています」 「沖野珠生……ああ、千珠さまか」 「かつての彼とは違って、真面目で控えめな可愛い後輩です。あんまりいじめてやらないでくださいね」 「当然ですよ」  にこやかに会話しているように見えているが、二人の目はまるで笑っていない。舜平の困惑した目線に、高遠が応えるように説明した。 「彼は藍沢要くん、二十四歳と若手だが、かなりの使い手だよ。……そして、君も前世での面識があるはずだ」 「えっ」  舜平が驚いて藍沢を見上げると、彼はややつり上がった一重まぶたに笑顔を乗せて、こう言った。 「お久しぶりです、舜海殿」 「あんた……誰や」 「私は、あなた方には非常にご迷惑をかけました。思い出して気持ちがいい存在ではないでしょう」 「あ」  舜平の脳裏に、青白い顔の無愛想な少年の顔がひらめく。華奢な身体を、黒装束に包んでいた若者の姿が。 「……須磨浮丸、か?」 「はい、そのとおりです」 「……まさかお前まで」 「因果なものです。でもご心配には及びません、今は二つ心はありませんので」  藍沢は真意の読めない笑みを顔に乗せて、そう言った。舜平はなんとも言えない苦々しい思いを胸に感じながら、ただ軽く頷く。 「ドアの外で聞かせていただきましたよ、何が東尋坊で起こったかってことについては」 「……聞きたいなら入ってくればよかったのに」 と、高遠は苦笑する。 「タイミングを逃しまして」  そう言って、藍沢は盆を小脇に抱えたまま高遠の後ろに立ち、曇天の映った窓を背に、三人を見下ろしつつ意味ありげに微笑んだ。 「祓い人の情報が欲しいんでしょう。あれからまた、色々と分かりましたからね」 「というと?」 と、彰。  高遠は要を見上げ、藍沢の口から話すように促した。藍沢は頷く。高遠相手には従順な姿勢でいるらいし。 「最近ちょこちょこと動きが目立ってきている若者たちが居ます」 「若者、ですか」 と、彰。 「ええ。特に霊力の強い者が二人居ましてね。そいつらを筆頭に、何やら動きが怪しくなってきています」 「名前は?」 「水無瀬楓、水無瀬拓人……という二人です」 「兄弟ですか?」 「いいえ。どこかで血縁ではあるのでしょうが、二人は両親共に異なっています。あの地域の祓い人たちの姓は、全て水無瀬なんですよ。結婚しても相手を水無瀬の方へ婿養子に入れて、どんどん血脈を広げているようです」 「……へぇ。あの頃から、変わらぬ名前を持ち続けているのか」  彰は水無瀬楓真の鋭い目線を思い出しながら、そう呟いた。 「今までは、四六時中見張るということまではしていませんでした。雷燕の結界付近に現れることもなかったからです。しかし、まさか福井県まで行って何かをしでかすとは……今後は、式を飛ばして見張っていく必要があるでしょうね」  藍沢がそう言いながら高遠を見下ろすと、高遠も頷いて腕を組んだ。  彰は微かに息をつくと、「そのことは、高遠さんにお任せしましょう。僕は京都に戻り、このことを業平様に伝えます。場合によっては、こちらに追加人員を」と言った。 「そうだね。そうしてもらったほうがいい」 「了解しました」 「千珠さまは……こちらに来たがってるんじゃないのですか? 思い入れも強いのでしょう?」  立ち上がりかけた彰と舜平に、藍沢はそんなことを言った。 「可愛い夜顔の父親ですしね」  舜平の目が鋭くなるのを見て、藍沢は目を細めてほくそ笑んだ。 「珠生は学生ですからね。来たいといっても、そう易々とはこちらにはやりませんよ」  努めて冷静な声でそう応じる彰は、背筋を伸ばして立ち上がると、じっと藍沢を見据えた。 「それは残念だ。どんな子に転生したのか、見てみたかったのに」 「いずれ見れますよ」 「覚えていますかね、私のことを」 「……おそらくね」 「そうですか。どんな顔をするんでしょうね、私の姿を見たら」 「お前……」  ニヤリと不気味な笑みを浮かべた藍沢に、思わず舜平の手が伸びそうになる。ぱし、と横にいた彰に手首を掴まれて、舜平ははっとした。 「……やめろ、藍沢」  二人の間に割って入るように、高遠も立ち上がって藍沢を諌める。藍沢は目を伏せると、ぺこりと一礼して応接室を出ていった。 「すまないね、二人共。何だかんだ言って、過去からの感情はすぐにぬぐい去れるもんじゃないからな」 「……いえ。実際、浮丸を騙し続けたのは事実ですからね。ただ、珠生にいらぬちょっかいを出さないといいんですけど」 「そうだな」  二人のやり取りを聞いていた舜平が、こんなことを尋ねた。 「夜顔の生存について、古文書にはどこにも書いてへんのと違いましたっけ? 何であいつは、そのことを知ってるんです」 「……夜顔のことは、口伝で代々伝えられるエピソードの一つだ。例えば、墨田くんも佐久間くんも、皆知っていただろう?」 「そうですね……」 「藍沢の家系は陰陽師の血筋だから、誰かが必ず話して聴かせる物語だ。その話をきっかけに、彼は前世の記憶が目覚めたのさ。自分が須磨浮丸であるということを思い出したんだな」 「……そうなんや」  舜平はなんとも言えない顔で、藍沢の気持ちを推し量ろうとしている様子だが、不機嫌な様子は隠しきれていない。  高遠は彰を促してもう一度座ると、手を組んで話し始めた。 「ショックだったとは思うよ。夜顔を……他でもない、今までヒーローだと思っていた千珠さまが助け、逃したというんだからね。しばらくしてから、彼は僕のところへ来て、あの頃のことを洗いざらい教えて欲しいといってきた。僕は話したよ、変な伝わり方をする前に、きちんとした形で伝えねばならないと思ったからね。そして、浮丸が千珠さまにしでかしたことも、全て伝えた」 「……」  彰は何も言わず、すとんとソファに腰を下ろす。 「まあ僕も又聞きでしかなかったからね、佐為から報告を受けた限りの知識だから、抜けていた部分もあるかもしれないけど」 「なるほど……」 「ま、それをどうこう言っている暇はないな。雷燕の封印を見ていくだろ?」  高遠は二人を見比べながら、穏やかに微笑んだ。

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