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二十二、声
命令が下った途端、深春の身体が大きく痙攣した。そして直後、珠生に向かって踊りかかってくる。珠生は襲い掛かってくる深春を鋭く見据え、宝刀を掲げて吼えた。
珠生の身体を取り巻いていた青白い炎が金色の炎へと色を変え、瞳孔が更に細く裂ける。
「ぉおおおおおおおお!!!」
深春の妖気と珠生の妖気が、真っ向からぶつかり合う。
あまりに巨大な妖気と妖気の衝突は凄まじい突風を産み、その衝撃で駐車場に停めてあった車が地面から引き剥がされ、横転した。
珠生の宝刀を両手で受け止めていた深春であったが、じりじりとその身を焼く金色の炎に顔をしかめると、足で珠生の傷ついた腹を蹴り飛ばし、距離を取る。
思わず腹を押さえて膝をつきかけた珠生だったが、僅かに顔を歪めただけで、すぐさま深春の胴を狙って宝刀を横に薙いだ。
Tシャツが裂け、脇腹から微かに血を吹いた深春は、右足を軸に回し蹴りを珠生に浴びせた。珠生は片腕でそれを防ぐと共に深春の脚を捉え、そのまま宝刀で深春の身体を貫かんと鋭い突きを繰り出す。
半身を仰け反らせてその刃を裂けた深春は、両手を地面につき、囚われて居ない方の脚で珠生の顔面を攻撃した。そしてすぐさま、そこから身を離す。
その間も、ぼたぼたと珠生の腹からは血が流れ続けていた。それでも尚、珠生は取り憑かれたように深春を攻撃し続けた。深春も、表情ひとつ変えずに珠生の刃を受け、拳を繰り出し、珠生を命をもぎ取らんと襲いかかってくる。
しかし、深春の目が正気を取り戻したかのように一瞬、揺らいだ。
珠生はその隙を見逃さず、渾身の力で深春に刃を振り下ろした。
「……っぐ!!」
肩から胸にかけて斬られた深春の表情が、苦しげに揺らぐ。正気を取り戻しかけているようにも見える深春の瞳の色に、珠生ははっとした。
「……っくそ……うぅううっ!!! いやだ……いやだぁぁああ……!!!」
頭を掻き毟り身悶える深春の姿に苛立ち、楓は舌打ちをした。
「おい深春!! とっとと千珠をやりやがれ!!」
再び下る楓の命令に、深春は必死で抵抗を示しているようだった。苛立ちを隠しきれなくなった楓がもう一度深春に戒めを与えようと鎖を握りしめた時、空が明るい青緑色に輝いた。
「陰陽五行、百花繚乱!! 急急如律令!!」
上空に現れた五芒星を見上げて、楓は再び憎々しげに舌打ちをする。目の端で、膝を折った状態で印を結ぶ彰の姿を捉えた。
「陰陽閻矢百万遍!! 急急如律令!」
「縛道雷牢!! 急急如律令!」
そこに重なる新たな声色に、楓ははっとして背後を振り返った。
黒いスーツ姿の陰陽師衆が立ち並び、自分を狙っている。
「……くそっ、来やがったか。深春、退くぞ!!」
黒い煙と青黒い炎が、深春の身体を包み込む。
楓がそこに飛び込むと同時に、あっけなくその場から二人の姿が消えた。
珠生は目を見開いてあたりを見回し、ふらつきながら必死で深春の姿を探しはじめた。
「……み、はる……深春!? 待て……待てよ……!!」
二人の姿を黒い海に探すように、断崖絶壁の方へと駆け出した珠生の肉体が、ぐらりとふらついた。どくん、どくんと鼓動のたびに激しく流れだす血液が、珠生の歩いた跡に赤い道を残してゆく。
「くそ……くっそぉおおお!!!」
「珠生くん!!」
絶壁の淵で倒れ込み、それでも尚海に向かって吼える珠生に、高遠と莉央が駆け寄ってきた。
「珠生くん! しっかりしろ! そんな傷を負って……もう動いちゃいけない!」
「俺に近づくなぁああ!!」
赤く染まったままの珠生の目と、何もかもを突き放すかのような強大な妖気に、高遠と莉央は思わず足を止めた。手負いの獣のように牙を剥く珠生の姿のあまりの禍々しさに、息を呑む。
「もう少しだったのに……!! もう少しで、あいつを取り戻せたのに……!! くそっ、くそぉっ……!! なんで手ぇ出した!! 邪魔すんじゃねぇよ!!」
四つ這いのまま、血を吐きながら仲間に罵声を浴びせる珠生の姿は、あまりに狂暴だった。高遠はすっかり呑まれてしまった様子だが、莉央はぐっとこらえて、凛とした声でこう言い放つ。
「これ以上動いていたら、あんたも死んでたのよ!? それでも良かったっていうの!?」
「あぁ良かったよ! それでも良かった!!」
「千珠、あんたは昔とは違うのよ! 忘れたの? 京都に家族も友達もいるでしょう! あんたは、沖野珠生という人間なの! こんなとこで死なせるわけにはいかないわ!!」
「……うるさい、うるさい……!!! 黙れ!! 黙れよ……!!」
血を吐きながら激しい呼吸を繰り返し、燃え上がる妖気に正気を失い、陰陽師衆を威嚇し続ける珠生に、誰も近づけないでいた。
もう術で縛るしかない、と莉央が印を結びかけたとき、ぽんとその肩に触れる者があった。
「莉央さん、術をかけるのはやめたってくれ。どうせまた暴れて、もっと傷が開くだけや」
「……舜平くん。なんでここに……」
舜平は莉央に向かってちょっと笑ってみせると、肩をすくめて言った。
「千珠の世話できんのはな、俺や湊くらいのもんやから。こんなことになるんちゃうかなと思って、こっそりついて来たんや」
「……」
舜平は笑みを浮かべたまま、ゆっくりと珠生に近づく。その背中を見守りながら、莉央と高遠は顔を見合わせた。
珠生は舜平の姿を認めても、尚警戒を解かなかった。今にも唸り声を上げて飛びかかってきそうな珠生を見て、舜平は痛ましげに眼を細める。
「珠生……いや、千珠か。もうええ加減、目ぇ覚ませよ」
「舜……お前も俺の邪魔をするのか」
「深追いをするなと言ってるだけや。ここで今お前がいくら苛立ったところで、どうにもならへん。次の手を考えるしかないやろ。こっちに来い」
「……うるさい、黙れ……黙れよ……!!」
「そんな怪我で、一体これからどうするつもりや。ほっといたら、お前は死ぬぞ」
「……死」
「死んだら、もう何もできひんぞ。雷燕を止めることも、深春を連れて帰ることも、お前の家族に会うことも」
冷静に語りかける舜平の声に、ぴくりと珠生の目が揺れる。裂けていた瞳孔がゆっくりと丸みを取り戻し、ゆらゆらと陽炎のように揺れていた金色の妖気が薄らいでいく。
「亜樹ちゃん、お前と深春のこと待ってんねやろ。藤原さんにも大口叩いて、お前がけりつけるって言ったんやろ」
「……」
「今何をすべきか、お前には分かってるはずや。あのままやりあってたら、お前はほんまに死んでたんやで」
舜平は静かに珠生に歩み寄り、四つ這いの珠生の前にしゃがみこんで目線を近づけた。
黒くきらめく舜平の瞳に見据えられ、珠生の体から徐々に力が抜けていく。
「お前が死んだら、俺はどうなる」
「……」
「お前を失ったら、俺はどうしたらいい」
「……舜」
痛ましげに眉根を寄せ、舜平はそっと血に濡れた珠生の身体に触れた。それを嫌がることもせず、珠生はじっと動かない。
大人しくなった珠生を、舜平はそっと抱き寄せた。生臭い血の匂いの中に、ふわりとした珠生の優しい香りを嗅ぎ分けて、舜平は目を閉じた。
「こんな血まみれになって……こんな大怪我して……。守ってやれへんで、ごめんな」
「……あ……」
「雷燕の封印を最後まで壊されへんかったのは、お前のおかげや。今はそれでいい。一旦休んで、次に備えよう」
「……舜平さん、……おれ……っ」
「珠生……お前が生きてて、良かった」
身体を通じて伝わってくる舜平の声に、心の底から安堵する。
ゆっくりと、意識が遠のく。
握りしめていた宝刀がかしゃんと音を立てて岩の上に転がり、そして消えた。
意識を失い、重みを増した珠生の身体を抱きしめて、舜平は目を開く。
重い色をした曇天がどこまでも広がる風景は、舜平の目にも、どこか懐かしく映った。
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