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三十四、死闘
容赦のない珠生の攻撃に、身体が勝手に反応する。一太刀、二太刀と宝刀の斬撃を妖気の鎧で防ぎながら、深春は隙をついて廻し蹴りを繰り出した。
珠生は表情も変えずに身を引いてそれをかわし、深春が着地したところを狙って再び太刀を振り下ろす。思わず飛び退って距離をとるが、素早く間合いを詰めてくる珠生の身のこなしに息をつく暇もなく、宝刀の切っ先が深春の胸を斬りつけた。
身体は自分で動かせないのに、痛みは感じるのか……と深春は顔を歪めてもう一段階距離をとる。裂けたシャツの辺りに指を触れると、ぬるりとした赤い血が見えた。
本当に容赦なしだな……と深春が顔を上げると、珠生は宝刀の先端についた深春の血を指ですくい、ぺろりと舐めてみせた。
ぞっとした。
見たこともない珠生の姿がそこにあった。
湧き上がる妖気に短い髪を逆巻き、金色の瞳がまっすぐにこちらを見据えている。縦に裂けた瞳孔。その目つきは鋭く、禍々しさと神々しさに足がすくむ。深春の血で赤い唇をさらに朱に染めている珠生が、にやりと笑った。
「雷燕の……味がする」
「え……」
「お前じゃ相手にならない。雷燕を出せ」
「何を……」
「俺を誰だと思っている。いくら夜顔でも、俺に勝てるわけ無いだろう。いいから雷燕を出せ」
そこにいる青年は、珠生であって珠生ではなかった。冷たく突き刺さるような美しい両の目は、いつもの珠生の優しげな目つきではなかった。口調も妖気も、全てが数段強い上にひどく好戦的で、威圧感もいつもの比ではない。
「……珠生くん」
「そんなに血を流して、脚に来てるだろう。その胸の傷、放っておくと開くぞ。早く雷燕と交代して、さっさとけりをつけたほうがいいんじゃないか? お前では、じわじわ俺になぶり殺されるのが関の山だ」
珠生の口からは到底出てこないであろう冷たい言葉と声に、深春はぞくりとした。それと同時に、胸の奥でもう一つの心臓がどくん、どくんと鼓動を始めるのを感じていた。
黒い黒い妖気が、体内をじわじわと這い上がってくるのが分かった。まるで墨が白い紙にゆっくりと染みていくように、深春の身体を黒く染めていく。
「あ……ああぁ……」
その感覚は恐ろしいものなのに、肉体的にはひどく心地よく、墨色に染まることに安心感を覚えている自分もいる。圧倒的な力に飲み込まれ、まるで胎児に戻されていくような……腹の中で守られているような感覚が身体を包む。
ぶわり、と黒い妖気が燃え上がり、深春はすっくと立ち上がった。深春の意識はそのままに、口が勝手に言葉を発する。
「青葉の子鬼と、再びこうして相まみえることになろうとはな」
「雷燕、久しいな」
千珠は小首を傾げ、心底懐かしげに微笑んだ。しかしすぐにその笑みを引っ込めると、無行に構えていた太刀を両手に握り締める。
「祓い人ごときに操られるとは、情けないことだ」
「ふふ。俺を鎮め、あの頃の力を削いだのはお前らだろうが。まぁ何にせよ、俺はこの戦いを望まない。さっさと斬り伏せて、もう一度眠らせてほしいものだ」
「言われなくてもそうしてやる」
「その自信たっぷりな顔は、昔と変わらぬな」
雷燕の妖気が爆発する。
黒い炎が辺りの草をちりちりと焦がし、幾重にも張った結界がびりびりと激しく震えた。
結界を張っていた術者達から悲鳴が上がり、何かの時にと備えていた攻方の術者たちも助太刀に入って、なんとか結界を保つ。彰も、じっと二人が対峙する姿を見守りながら、印を結んで結界の支柱を支えていた。
びしっと、びしっ……!! と、目に見えない鋭い針が、外界へと溢れ出そうとしているようだ。この結界が壊れてしまえば、この山全てが焦土と化すに違いない。
「深春の身体はもつのか……? 珠生は、平気なのか?」
思わず呟いた彰の声に、敦が顔を上げる。脂汗を流しながら、必死で結界に霊気を注ぎ込んでいる。
「古文書で見たんじゃけど……あの二人がやりあうのは二回目じゃろ? 千珠さま、一回その時心臓が止まったって……」
「あぁ、その通りだ」
「じゃあ、あんなふうに雷燕挑発して、大丈夫なんか」
「これでも、雷燕の妖気はあの頃のものに遠く及ばない。しかし珠生は、以前千珠の意識を取り戻した時よりもずっと力を取り戻している」
「五分五分、ってことか」
「……そうだな。深春を取り戻したい一心で、力を燃やしているんだろう」
「あとがつらそうじゃな」
「しかし……今は珠生に頼るしか術がない。僕たちは絶対にこの結界を崩してはいけない」
「ああ……!」
両手を高く翳し、結界に霊気を流し続ける術者達の顔には、苦悶の表情が浮かんでいた。彰は蜜雲を呼び出して応援を呼ぶように言いつけると、再び二人の戦う姿をしっかりとその目に焼き付けようと視線を向けた。
辺り一面を黒く焼きつくす妖気の中、千珠の妖気は白い炎となってその身を包み込んでいる。
ふっと姿を消した千珠が、雷燕の懐へ一瞬にして入り込む。今の千珠には、雷燕の動きが手に取るように分かった。突如すぐそばに現れた千珠を見て表情が驚愕に揺れることさえ、見て取れた。
しかしそう易易と千珠の攻撃を許す雷燕ではない。たとえ力を削がれていたとしても、素早さや技の重さは今も健在だった。
雷燕は千珠の太刀を持った方の腕をむんずと掴んで自由を奪うと、妖気で硬化させた手刀を鋭く千珠の眉間めがけて突き立てる。さっと首を倒して一撃目を避けたものの、そのまま横薙に襲い掛かってくる手刀に目を見張る。千珠は顔を歪め舌打ちをすると、雷燕の腹を蹴って何とかその腕から逃れた。
喉元を浅く斬られ、血が流れる。しかしそれに頓着する様子もなく、攻撃に回ってきた雷燕の手刀を宝刀で受け止める。昔ほどの力量はないとはいえ、雷燕の力は今も相当なものだ。ぎりぎり、と刀がきしんで悲鳴を上げ、千珠の踵がずぶりと地面にめり込んでいく。
「……千珠よ、もっと力を出せ。この俺を斬るんじゃなかったのか」
「黙れ。今にそうなる」
「早く俺を打倒して、この鎖を外せ」
「……分かっていると……言っているだろう!!」
淡々と話す雷燕に対し、汗を流し血を流し、必死でその力を受け止めるしかできない自分自身に焦れたように、千珠は声を張り上げた。渾身の力で雷燕の身体を弾き飛ばすと、泥濘に足を取られた雷燕に上段から斬りつける。
かつて沼だったということもあり、降り続く雨はみるみるその土地を泥濘に変えていた。特に深い部分に左足を取られた雷燕を地面に叩き伏せた千珠は、そのまま雷燕の上に馬乗りになろうとした。
しかし、柔らかい地面に攻撃の力を吸収され、深手を負わせることは叶わなかった。雷燕の手刀が再び鎌首をもたげ、千珠の下腹を貫いた。
「……ッ……!!」
ずぶり、と雷燕の手首までもが腹を突き破る感覚に、千珠は思わず息を止めて身体を震わせた。雷燕は再び、淡々とこう言う。
「昔と同じ手に乗るとは、成長のない子鬼だ」
「っあ……かはっ…………!!」
ごぼ、と千珠の口から大量の血が流れ出し、それを浴びた雷燕の顔半分を赤く染める。表情も変えずに雷燕は千珠を見上げたまま、動きを止めた千珠とじいと見上げていた。
そのまま倒れるかと思っていたが、千珠は身じろぎせずに雷燕の肩を地面に押し付け、馬乗りになったまま呼吸を整えようとしているようだった。ひゅう、ひゅうという呼吸の音、その度に流れ出す千珠の鮮血、それでも光を失わない金色の瞳が、雷燕の黒い瞳に映る。
「……もういい、お前も楽になれ」
落胆したような声色でそう呟いた雷燕は、千珠の腹から腕を抜き去ろうとした。
しかし、その腕はびくともしない。雷燕は目を見開き、千珠の顔を見あげた。
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