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四十三、いつも通りの朝

「舜平さん、起きてよ」  ゆさゆさと身体を揺すられて、舜平はどろりとした疲れとともに目を開いた。うつ伏せに眠っていたからだろう、首がごきごきと痛い。 「珍しくいい天気だよ。俺、おっきい温泉行ってこようかなぁ。まだ行ってないしさ」 「お前……ケロッとした顔しやがって……」  舜平は寝乱れた浴衣を直すでもなくベッドの上にようやく起き上がると、すっきり爽やかな顔をしている珠生をじろりと睨んだ。  昨晩は、結局珠生に誘われるままにセックスにもつれこんだ。腹の傷に触らぬよう、舜平としては慎重に事を運びたかったのだが、珠生は舜平を貪欲に求めてやまなかった。  巧みなキスも、絡みついてくる白い腕や長い脚も、愛撫に応じて上げる甘い声も、舜平の意識を絡め取るほどに妖艶だった。男のくせに、どうしてこんなにも色気があるのかと、毎回不思議に思う。腕の中にいる時のそんな珠生には、持てる全てを与え尽くしてもいいと思わされてしまう。  そして文字通り生気を吸い尽くされてしまった舜平は、起きていられないほどの眠気に襲われていた。 「……俺はまだ寝たい。どこへでも行ってこい」 「すごい顔色だなぁ、大丈夫?」 「大丈夫? ちゃうわ。お前が昨日……」 「おかげさまで怪我も体力も全回復だよ。舜平さん、さすがだね」  そう言って、珠生はきらきらした笑顔を向けてくる。あまりに眩しい花のような笑顔に、舜平はうっと呻いて目をそらした。 「……そりゃどうも」  ドサリともう一度ベッドに横たわり、舜平は布団をかぶった。珠生は身支度を整えながらそんな舜平を見下ろして、すでに半分寝かかっているその背中を撫でる。 「ありがとう、舜平さん」 「……ん」 「すごく、気持ち良かった」 「……な、何を言うねん」 「大好きだよ……舜平さん」  身をかがめ、舜平の耳元でいたずらっぽくそんなことを囁く珠生を、舜平はちらりと見上げる。珠生は微笑んで、そっとベッドを離れた。  バタン、とドアの閉まる音が響く。舜平は顔が熱くなるのを感じながら、照れ隠しのように布団をかぶった。 「……不意打ちは心臓に悪いわ」  きらりとした銀色の髪が、光の中に溶けていく景色を夢に見ながら、舜平はしばらく眠ることにした。  +  珠生が浴衣姿で宿のロビーを歩いていると、湯上りの団体がぞろぞろと歩いてくるのと出くわした。  その集団の中から、見慣れたTシャツにジーパン姿の深春が飛び出してきて、珠生に駆け寄ってくる。 「珠生くん!!!!」 「……み、深春……!?」  深春はそのままの勢いで珠生に飛びついてくる。自分よりも図体の大きな深春に抱きつかれて、珠生は思わず後ろにひっくり返りそうになったが、なんとか耐えた。 「深春、良かった。元気そうじゃん」 「珠生くん! 珠生くん……!! ごめんな……本当にごめん!!」 「あはは、何謝ってんだよ」  温泉で火照った深春の背中を撫で、穏やかにそう問いかけると、深春はようやく身体を離して珠生の顔を覗きこんだ。 「怪我……もういいのか?」 「ああ、うん。この通り。ていうか……俺だって、深春の肩を砕いたんだよ」 「俺はもう大丈夫! 雷燕の妖気で治ったみたいで……」 「雷燕、良かったね。行くべきところへ行けたみたいだ」  微笑みながらそう言った珠生の顔をじっと見つめて、深春もようやく顔を綻ばせた。 「うん」 「深春がここにいる意味、分かった?」 「……うん、分かった」 「それはよかった」  珠生の優しい笑顔を見ていると、安心して涙が出てきてしまう。深春は腕でぐいと目元を拭い、じっとその両の目を見つめた。  あの時、鎖を食い千切った珠生の目の色が、記憶の奥底に思い出される。  裂けた瞳孔、血の色に染まった瞳、見たこともないほどにぎらついていた珠生の妖気の炎を。 「珠生くんて、ほんとにつええんだな」 「あぁ、まぁね。俺、最強だから」  調子づいた台詞を吐くには、あまりに純粋で愛らしい笑顔だった。しかしそれはその通りだ。珠生は全てを、その力でねじ伏せたのだから。 「……さっすがだよ。まじで敵わねぇよ」 「帰り道で、ゆっくり話そう。俺温泉行きたいんだよね」  他の職員達に負けず劣らず、のんびりした旅行気分な珠生の口調に、深春は思わず笑った。後ろから湊がやってきて、「舜平は?」と問う。 「まだ寝てる。ありゃ運転は無理かもね」 「ええー、結局俺かい」 「俺ももう大丈夫だよ、二人で運転しよう」 「まぁお前もおるなら……」 と、まるで昨日までのことなど何もなかったかのように喋り合う二人の脇を、ぞろぞろと高遠や要が通り過ぎていく。 「上がったら朝食を取りにおいで。出発は十三時だから」 と、高遠は珠生の肩を叩いていく。その横で、藍沢ももうっすら微笑んでいる。 「はい、わかりました。深春は先に行きなよ、お腹すいてんだろ」 「お、おお。よく分かったな」 「顔見てりゃ分かるよ」  珠生はのんびりとそう言い残して、しっかりとした足取りで温泉の方へと消えていった。

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