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悠一郎の頼みごと〈3〉

   黒の紋付袴に着替えを済ませた舜平は、式場の庭で出番を待っている。  もともとこれを着用する予定だった男性モデルと体格が似ていたおかげか、それはまるで舜平に誂えたかのようにぴったりだった。  ヘアメイクのスッタフに髪もいじられた。無造作に跳ねていた黒髪が、今は珍しくスタイリッシュにきまっている。  まさか自分がこんなものを身につける日がやって来るとは思わなかった。もはや女性との結婚を望まない舜平にとって、自分が結婚式を挙げることはないだろうと考えていたからだ。  珠生の女装は、単純に興味がある。女装した珠生をどうこうしたいという願望はないが、美しい珠生が美しく着飾る姿を、見たくないと思わないはずがない。  珠生は真面目だ、責任感に迫られて今回は了承したのだろう。あの気乗りしない表情のまま、今頃着物をきちきちと着付けられているところなのだろうか。仏頂面でこの場に戻ってくるであろう珠生の表情を想像すると、ついつい笑えて着てしまう。舜平は晴れ渡った秋の空を見上げながら、女性スッタフに手渡された緑茶を一口すすった。  そこうしていると、珠生の着替えに付き合っていた悠一郎が戻って来た。自分よりも先に珠生の晴れ着姿を目にしたのかと思うと若干腹立たしい想いもするが、今回のカメラマンを務める悠一郎とは、何かしら打ち合わせをすることがあったのだろうと自分を納得させる。 「おう舜平! めっちゃかっこええやん!」 「え? そ、そうか?」 「依頼してたモデルよりかっこええわ。お前、和装めっちゃ似合うねんなぁ」 「え、まじで?」  真っ向からべた褒めされて、若干トゲトゲしていた舜平の心があっさりと和む。きらきらした目で素直に褒められて、嬉しくないわけはないのである。 「珠生、どうやった?」 「そらもう……期待以上やった……ほんっまに、きれいやった。正面から映さへんとかもったいない……でも、我慢やな我慢……。けどまぁ、撮るだけ撮るやろし、データはお前にやるわ」 「え? お、おう……まぁ、欲しいけど」 「最初はぶうぶう文句言ってはったけど、あの子プロ意識高いからな。化粧が済む頃にはちゃんとモデルの顔してはったわ」 「化粧か……せやんな。本格的にやんねんもんな……」 「といっても、ほんのり白粉はたくだけやったで。メイクさんがびっくりしてたわ。ファンデで隠すのが勿体無いくらい綺麗な肌やって」 「そらまぁ、そやろな」 「……あ、そろそろ来るかな。まずは庭で撮るから、舜平も準備して」 「じゅ、準備って……?」 「顔引き締めとけよ。珠生くんの和装見たら、絶対緩むやろけど」 「ゆ、緩まへんわ!」  と言いつつ、珠生がどのような姿で現れるのかどうかが楽しみで楽しみで仕方がない。舜平は立ち上がり、意味もなく庭をウロウロと歩き回った。青々とした芝生の眩しい庭だ。珠生がどんな色彩の衣装で現れても、きっととても映えるのだろう。 「あ、きたきた!」  悠一郎がバルコニーの方へ駆けていく。舜平もつられてそちらを見ると、数人の女性スタッフに伴われた珠生が姿を現した。  ぱぁっ……っと、珠生の頭上にだけ、光が差しているかのように見えた。  真っ白な着物に身を包んだ珠生が、しずしずと歩いてくる。  これは、白無垢というのだろうか。真っ白な着物の上に、艶のある白い衣を羽織っている。女性スタッフに羽織の裾を持ってもらい、ゆっくりとした歩調で歩いて来る珠生の姿は、冗談抜きで神々しいまでに美しかった。  ウイッグを使ってボリューム感を出した髪の毛を、白い胡蝶蘭の生花で飾っている。ぴったりと額に撫で付けられた焦茶色の髪の下には、いつもよりどこか冷え冷えとした美しさを湛えた珠生の顔がある。  すると舜平の存在に気づいた珠生が、ふと目を挙げて視線を寄越した。  いつもよりきりりとした目元になっているところを見ると、多少アイメイクは施されたのだろう。鮮やかな赤い口紅が途方もなく色っぽく、まるで精巧に作られた人形が歩いているのかと見紛うほどの完璧な美貌だ。舜平は、唖然としてしまった。 「見過ぎ、しっかりしてくださいよ」 「えっ……あ、おう……」  当然のことながら、声は慣れ親しんだ珠生のものだ。  舜平はごほんと咳払いをして、とりあえず気を落ち着かせようと、さっき散々眺めていた辺りの景色をもう一度見回した。 「ほんなら、撮影始めていきますー! みなさん宜しくお願いします!!」  悠一郎のハリのある声があたりに響き、ポスター撮影が始まった。  +  + 「そう、ええよ。そのまま目線上で……うん、いい感じやで」  まずは珠生ひとりの姿を、庭で撮影しているところである。  立ち姿、椅子に腰掛けた姿、空を見上げる横顔、使うあてもないだろうに、バッチリカメラ目線のものなども、悠一郎はカシャカシャと撮影している。  珠生はさすがのように、撮られることに慣れている様子だった。何も言われなくとも顔の角度を変えてみたり、表情や目線の位置を変えてみたり……了承することを渋っていたとは思えないほど、珠生は完璧に花嫁役をこなしている。  ――……むっちゃきれいやな……。  舜平は腕組みをして庭の隅っこに突っ立ったまま、息の合った珠生と悠一郎の撮影風景を眺めているところだ。悠一郎は、いつぞや山中で撮影に付き合った時よりもずっと洗練された動きをしているように見える。やきもちを妬くとかそういうレベルを超えている。二人は、完璧にプロの仕事をこなしているのだから。 「ほな舜平、こっち来て」  不意に、悠一郎から声がかかった。ぼんやり珠生に見ほれていた舜平は、はっとして肩を揺らす。 「お。おう」 「ほな……せやな、そこの木の下で向かい合ってくれるか」 「おう……」 「緊張し過ぎやっちゅーねん」 「おう……」 「ちょっと引きで撮るわ。向かい合って喋ってて」  緊張の足取りで珠生の元へ向かう。珠生はなんとも言えない表情で、じっと舜平を見つめていた。一歩一歩と近づくにつれ、美しく着飾った珠生の姿が目の前に迫る。  舜平は、この異様な緊張感の正体は一体なんなのかと思案してみた。数秒の考察ののち、女装した珠生があまりに美しく、そこにいる珠生であって珠生ではないような感覚に囚われているせいだ……という結果に落ち着いた。……とにかく混乱しているのである。  しかし珠生はいつもの調子で、舜平にゆったりと微笑みかけた。 「舜平さん、紋付……すごく似合うね。黒装束も良かったけど、そういうのも……かっこいい」 「えっ!? そ、そうか……?」 「うん、男らしいよ。だからもっとリラックスしなって」 「いってぇ!」  べし!! と馬鹿力で肩を叩かれ、舜平は思わず声をあげた。 「なにすんねんお前!」 「ほら、しゃきっとして」 「う」  白無垢姿の珠生に襟を正され、ぐっと距離が縮まった。  ちょっとウイッグをかぶって髪飾りをしてほんのり化粧をしているだけだというのに、どうしてこうも珠生は美しいのか……と、舜平はどきどきしながら「言われんでも大丈夫やって」と強がった。  悠一郎は抜かりなく、舜平の襟を直す珠生のしぐさもバッチリ写真に収めているらしい。少し離れた場所でカシャカシャとシャッター音が響き渡り、ちょこまかと二人の周囲を動き回る悠一郎の動きは俊敏だ。時折レンズを変えてみたり、側に控えていた若い男性スタッフに指示を出したりして、舜平の緊張などまるで御構い無しに仕事をしている。プロやな……と舜平は思った。 「舜平さん」 「ん、ん?」 「俺を見て」 「えっ!?」 「あのさ、舜平さんは花婿役だろ? いつまでもどっかよそ見してんじゃ、形になんないだろ」 「あ、せ、せやな……すまん……」 「まったく。ほら、こっち見てって」 「う、うん……あぁ、あかん、照れるわ」 「はぁ? なんで?」 「お前、むっちゃきれいやもん。真正面から見れへん」 「……」  思わず舜平がそんなことを口走ると、珠生はきょとんとして黙り込んでしまった。また「そんなこと言う舜平さんは気持ち悪い」と罵倒されると覚悟したのだが、一向に珠生は口を開こうとしない。ちらりと珠生を見下ろすと、珠生は長い睫毛を伏せて、ちょっとそっぽを向いた。どことなく物憂げな表情に見えるのは、気のせいだろうか。 「……舜平さんはさ、やっぱ……なんていうか……」 「え?」 「女の人と、結婚したい?」 「……えっ?」 「梨香子さん、きれいだったしさ。……今の俺みたいな……って言ったら変だけど、こういうふうに、綺麗に着飾った花嫁さんをもらいたいって思う?」 「……珠生、どうした。急に……」  珠生のちょっと潤んだ目で見上げられ、舜平はまごまごとたじろいでしまった。女装姿を褒めすぎたのだろうか……と、舜平は自分の率直すぎる言動を悔いた。  しばらく無言で見つめ合っていたが、珠生はふいとまた目を伏せてしまった。舜平はそっと珠生の手を取って、両手で強く握りしめた。 「そんなわけないやん。俺は、お前との未来しか欲しくない」 「……え」 「そんなん、当たり前やろ。何百年、お前のことを想い続けてきたと思ってんねん」 「……舜平さん……」 「そんな顔すんな。こうしてお前が不安になるってことは……俺の愛情表現が足りひんかったんかな……」 「えっ、いや……じゅうぶんすぎるほど表現してもらってるけど」 「そら、女装してるお前はきれいやけど……でも俺は、普段のお前が一番好きやで」 「……」  舜平の言葉を受け取るたび、珠生の瞳がうるやかに揺れる。隠れていた太陽が顔を出し、珠生の瞳に光を差す。  澄んだ胡桃色の瞳が、きらきらと揺れる光を湛えている。そのあまりの美しさと、珠生の表情の可憐さに、舜平は思わず息を飲んだ。  ――キスしたい。  唐突に湧き上がる情熱に突き動かされるように、舜平は珠生の肩に手を触れた。たっぷりとした豪奢な着物に包まれた珠生の肉体の感触を探るようにぐっと指に力を込めると、珠生ははにかむように目を瞬き、紅をさした唇を震わせた。 「……そ、そんな目で見ないでよ」 「……えっ」 「そんな目で見つめられると、どうしていいか、分からなくなる」 「あ……悪い」  思わず手を離すと、珠生はうっすら紅色に染まった頬を恥じらうように俯き、舜平から顔を背けた。白無垢に引き立てられる白いうなじが色っぽく、長い睫毛を伏せる珠生の横顔にまた見惚れてしまう。 「……舜平さんは……いきなりそいうこと言い出すから、困るな」 「そうか?」 「……まだ、撮影残ってるのに」 「……え」  含みのある珠生の言葉に、舜平はぽっと赤面する。珠生は舜平を見上げ、優しい表情で微笑んだ。  ――それってつまり、撮影の後、俺に抱かれたいとかそういう意味か? そうなんやな珠生……!! 「はいオッケー!! よかった!! いい表情やったで二人とも!! 最高!! マジ最高!!」  珠生の言葉の真意を確かめる間もなく、悠一郎から撮影終了の声がかかった。  次は洋装での撮影である。 ˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚ 令和元年、おめでとうございます。 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします٩(ˊᗜˋ*)و  

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